手には花束と紙袋。そして私の横には気になっている人。こんな風に蒼天堀の街を歩くことなんてないと思っていたけれど、まさかのチャンス。でも、これが最後。嬉しい気持ちと残念な気持ちが混ざったどうしようもない感情が溢れていた。

「家はこっちの方なんか?」

「あっ、あと少しです。」

本当は近道があったけれど、あえて遠回りの道を示す。これくらい最後だからいいよねと自分に言い訳をして支配人の横に並んで歩く。

かっこいいなぁ

もうこの姿も見納め。自分の目にはしっかり焼き付けておきたい。そんな気持ちで黙ったままこっそり横目で支配人の姿を見つめる。歩く度に揺れる縛った髪。今日も綺麗な黒がこの街と合っている。シャツの首元のボタンは外されて蝶ネクタイもない。お店で見るかっちりとした姿も好きだけど、このラフな姿も好き。本当は堅苦しいのが苦手なのかもしれない。素の部分に触れて思わず嬉しい気持ちになる。
あと少しで自分の家。
でも、もうちょっとだけ。誰に言う訳でもなくそう言い聞かせて私は意を決して口を開いた。

「支配人…。」

「どないした?」

「ちょっと休んでいきませんか?」

「なんや、椿チャン疲れたんか?」

「そうです。支配人は先に上に行ってて下さい。」

四ツ寺会館の屋上で待っておいてもらうように話して私はポッポへ急ぐ。すでに酔っているけれど、缶ビールを2つとお水を1本買って急いで屋上に。上がると支配人はベンチに座って煙草を吸っていた。

「どうぞ、支配人。」

「気が利くのぅ。おおきに。」

そう言って支配人は缶ビールを手に取った。私もすぐに横に腰かけて缶ビールを開ける。一口飲んで一息。真上を見ると星がまばらに光って月もよく見える。今日は夜空を見るには良い天気だ。

「椿チャンがおらんようになると店も寂しくなるなぁ。」

「またまた〜!支配人は他の女の子にもそういう事言ってますよね?」

「ちゃうちゃう!椿チャンが店におるとほんま店も明るくなって居心地ええんや。」

「…ありがとうございます。」

その言葉をもらえただけで十分幸せだ。それが例えお世辞でも。再び空を見上げると薄い白い線が広がっている。どうやら飛行機雲のようだ。私が見上げているのを見て支配人も同じように空を見ておっ!と声を上げている。

「椿チャンもあんな風に空飛んで行くんやな。」

「そうですね。どんな生活になるかはまだ全然実感が湧かないですけど。」

私は夢だった海外への留学を決めた。もともと行きたかったけれど、資金を貯める為にサンシャインで働いていた。そこで素敵な仲間と支配人に出会った。ここでの経験は一生の宝物になるだろう。紙袋に入っていた寄せ書きをそっと取り出す。そこには仲間だったみんなからの暖かい言葉が書かれていた。

「私、サンシャインで働けて幸せでした。」

「そうか。俺も椿チャンが店におってくれて楽しかったで。」

「…ほんとはもうちょっと居たかった…です。」

折角の寄せ書きに染みがぽたぽたと零れ落ちる。我慢していたのに…。やっぱり無理だった。支配人に見られないように俯いたまま黙り込む。支配人はそれを察しているのかわからないが、黙ったまま。私の視界からは缶をぎゅっと握りしめているのが見える。

「椿チャン…。」

そんな切ない声で呼ばないで欲しい。止まりかけていた涙がまだ零れて落ちる。涙声のまま支配人とだけ呼ぶと身体が動いた。正確には支配人が私の身体を自分の方に寄せていた。支配人の鼓動が耳に聞こえる。ドクドクと早い鼓動が耳に聞こえて私の早い鼓動も聞こえるんじゃないかと思う。

夢みたい。
でも、これが最後。だからいいのかもしれない。恐る恐る私は自分の両手を支配人の身体に回した。支配人は黙ったまま私の頭をそっと撫でる。私はしばらくそのままで支配人の温もりを感じていた。これで最後だからと自分に言い聞かせて。

「落ち着いたか?」

「はい…。ありがとうございました。」

「離れてたって椿チャンは大事な仲間や。ほれ、空見てみ!」

そう言って空を見上げると支配人は言葉を続ける。

「この空はひとつや。ひとつに繋がっとる。だから頑張ってきぃ!」

「はい。」

支配人としての最後のありがたいお言葉。これ以上は欲張ってはいけない。困らせてはいけない。本当に言いたかった言葉はあったけれど、それはあえて言わなかった。私はそっと立ち上がる。

「じゃあ、行きましょうか?」

「そうやな。」

それから帰り道懐かしい思い出話に花を咲かせた。支配人が去っていく背中を見ながら決意を固める。向こうで頑張って成果を上げてから日本に戻ってこよう。そしてその時に支配人に想いを告げようと。
こうして私は日本を旅立った。

数年後…

行き交う人の多さに圧倒されながらも街をぶらりとする。ここは神室町。夜になるとネオンが綺麗な繁華街らしい。どことなく蒼天堀と似ているような雰囲気だ。

支配人、どこに行ってしまったのだろうか

海外に着いてすぐにユキさんから来たエアメールには支配人が突然いなくなってしまったと書いてあった。驚きと共に悲しい気持ちがこみ上げたが、辛い気持ちを跳ね除けて私は新しい土地でがむしゃらに日々を送った。でも、ふとした時に支配人のことを思い出しては胸を痛めた。新しい土地でも出逢いはあったが、支配人を越えるような人には遂に出会うことはできなかった。
そして、目的も果たせた今、日本に帰ってくる決意を固めた。向こうで培ったノウハウを活かしてこれからは日本で働くことにしたのだ。幸い就職先に困ることもなくすぐに採用されて新しい生活は東京がメインになりそうだ。

でも、どこか嬉しい気持ちになれない。
折角の日本なのにあの人はいない。帰ってきたらいの一番に会いに行こうと決めていたのに。ぽっかりと大きな穴が開いた状態はあの時から変わっていない。サンシャインの仲間も誰一人として支配人のその後を知らない。何か手がかりでもあればいいのだけれど…。

とりあえず、どこかで休憩でもしようかな。
目についたアルプスという喫茶店に入ることに。ガラガラと大きなスーツケースを引きながら店の前まで来たところで耳に入る声。どうやら外国人と日本人が揉めているようだ。耳に入る2つの言語が脳内で訳される。どうやら外国人の人は道を聞いているようだ。日本人の方は意味が分からず怒鳴っている。短気な人のようだ。

これも何かの縁かな

見知らぬ土地で私も助けてもらったことがしばしば。今度は私の番と思い、騒動の中に入り込んで会話をする。やはり道がわからなかったようで、駅の場所を聞いている。すぐに英語で話して相手は嬉しそうに去っていった。

「ネェちゃん、あんたすごいのぅ…。」

「いえ。大した事はないです…。」

そういえば、さっき怒っていた人ではないかと少しびくびくしながら足先から姿を見る。その人の顔まで来たところで私は思わず、あっ…と声を漏らてしまった。いや、見間違えだろう。だって、髪は長かったはずだし、こんな派手な格好を好む人ではなかった。でも…。

「…支配人。」

思わずその名前を呼んでしまった。間違えであったらそれでもいい。ただ今この瞬間口に出したかったのだ。その言葉に反応したのか男の人はなんやと声を出してから黙り込んでいる。

やはり人違いか。
会釈をして去ろうとした時だった。

「椿チャンか?」

あぁ、この声。すぐに振り返りたかったけれど、先に感情が溢れてしまった。動くことができず、そのまま頬を伝う涙。立っていられずそのまましゃがみ込んでしまう。こんな奇跡みたいな再会があるとは思わなかった。

「帰ってきたんやな。」

「…はい。」

まだ恥ずかしくて顔が見られずしゃがんだまま答える。支配人はそない泣かれたら脅してるみたいやろと困ったように言うのでようやくゆっくり立ち上がることにする。

「支配人…私、もう1度会えたら言いたいことがあったんです。」

好きでした

そう言うと支配人の目が大きく見開かれている。あぁ、やっぱりこのタイミングで言うもんじゃなかったと自分の見通しの甘さに嫌気が差してしまう。また俯いて地面をそっと見つめる。

アホ
そう一言言って私の腕が引かれる。突然のことで私の身体は前のめりに。ぶつかる先は支配人の胸の中。

「もっと早よ言わんかい。」

「えっ…。」

驚くのはまだ早い。私の顎をそっと持ち上げて落ちる口づけ。思わず持っていた鞄はどんと床に落ちる。口づけが終わると支配人はおかえりと笑顔を浮かべて言ってくれた。その顔は私の好きな支配人の顔だった。

「時間はあるんか?」

「はい。」

「ほな、あの日のデートの続きや!」

差し出された手を取る。そして並んで歩く。空をふと見上げると綺麗な青空に白い線。飛行機雲だった。それはこれからの2人の門出のようだった。





ワンモアタイム



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