結婚をすると片目を閉じよという格言があるらしい。恋愛をしている間は相手の良い所が見えているという。結婚後はそれを大目に見て片目を閉じてみてあげよということらしい。なるほどとなる格言だが、私の場合は恋愛をして結婚した訳ではない。絶賛、私の目ははっきりと開眼していて、閉じるということを知らない訳で。
「なんや、ワシの顔になんかついとるか?」
「いや…。」
私の目の前にいる男、いや夫である真島吾朗は新聞を片手にコーヒーを口に。この人の場合はすでに片目は閉ざされているので私のことは大目にみているということなのだろうか?触れてはいけないことだと思うので、今後もその目のことは聞くことはないだろうと静かに納得する。
入籍して1週間。普通の人だったら甘〜い新婚生活を送るだろうが、私達は違う。お互いのことを何一つ知らないまま籍を入れた訳で、まさにゼロ、いやマイナスの状態からのスタートになっている。当然甘さは皆無。誰かと一緒に暮らすなんて毛頭なかった私がこの1週間耐えられたのも奇跡に近い。…といっても、この1週間は忙しいといっていたのでほぼ家にいなかったことが幸いしている。そして、今日の朝は珍しく家にいたという訳だ。
「今日は休みなんか?」
「そう…。」
起きてすぐにお腹が空いていたので起こさないように静かに一人分の朝食を用意していると起きてきた真島さん。私が作るのをじっと見ていたので、食べるのかと聞くと食べると返ってきた。まぁついでだしねと思いながら2人分の簡単な朝食をテーブルに。そして今、あの日以来の対面をしながらの食事をしている。
「どっか出掛けるか?」
「いや…。」
本来ならば、休みは外に出てアクティブに過ごす派の私。しかし、今は自由の身ではない。今日は家で大人しくしておこうと思ったらこれだ。私は自分のペースを乱されるのが一番嫌いだ。だから一人で何でもやって楽しんでしまおうという精神が自然と身についている。
「買いもんでもいくか?」
「必要なものは揃ってるから大丈夫。」
今日は買い物という気分ではない。…というか買いもんってなんだよと一人心の中で突っ込んでしまう。関西ではそう言うのだろうかとふとそんなことを。
「バッセンなんてどうや?」
「やったことないからパス。」
「ゴロちゃんが手取り足取り教えたるで。」
怪しい手つきを私の前で見せながら笑う真島さん。私は以前肩を痛めたことがあるので無理ですと強めに断る。勿論、嘘だ。こんな感じで私と真島さんの会話は常に平行線のような感じだ。当たり前だ。私はこの人に興味が湧かないのだから。すると、新聞を見ていた真島さんはうぉっ!と大きな声を出していた。
「いきなりびっくりするんですけど!」
「あかん!今日からやったか!」
「だから何が?」
「これやこれ!」
そういって新聞のあるページを私の前に見せてくる。さっきまでの会話はまるで興味がなかったのに、そのページは食い入るように見てしまう。
「この監督って!」
「そうや!あの巨匠の最新作や。延期しとったらしいけど、ようやく今日から公開になったみたいやのぅ…。」
「まじか…。」
見たいと思っていた映画がまさか真島さんと被ってしまうとは…。しかし、見に行きたい気持ちがどんどん広がっていくのを感じる。PR記事に煽り文句は私の見たいという気持ちを最高潮にしてくれている。
「映画にしよか?」
「私、映画は一人で見るタイプなんで。」
「ほんま、椿は釣れへんのぅ…。」
隣に誰かがいると集中できないタイプがいるだろう。それは正しく私のことで、上映前には隣に誰かいない状態で映画に集中したいのだ。
「よし、ほんならわかった。行くで!」
「真島さん、私の話聞いてました?」
「映画に集中したいんやろ。特別な席用意したる。」
「いや、だから…。」
「ええで。別に行かんでも。先に見に行って全部内容ネタバレしたるで。」
「行く!」
この人ならやり兼ねない。それだけは避けたい。だからこその即答。そして後から気づくのだ。最初から真島さんの手の平で転がされていたのではないかということに。
「用意できたんか?」
「はい。」
まだ片付けが済んでいないので目についた服を適当にかき集めて完成した今日の恰好。真島さんは私の恰好を見ると、スーツの時とはだいぶ印象がちゃうのぅ…と嬉しそうにしている。
「ほな、行くで!」
私の前に差し出された手。私はしばらくその手をじっと眺める。家にいるときは取っているレザーグローブがつけられた手をまじまじと見つめていると、痺れを切らしたのか私の腕を掴む。
「ちょっと!!」
「ええやないか!夫婦なんやからこれくらいええやろ。」
「夫婦…。」
そう、法律上はそうなのだ。だからこそ、真島さんの行動は何一つおかしくはない。しかし、私は不本意なのだ。何一つ納得せずにこうなったことが。まぁ、全て自分が招いた結果。だからこそ、この不条理な現状を誰にも文句をいう事ができない。
「椿と初めてのお出かけ楽しみやのぅ…。」
「………。」
子供のようにはしゃぐ真島さんを見て私はただ溜息を吐くことしかできなかった。
01
△ | ▽