ここ最近の騒がしい日常から一転。急に穏やかになったここ数日。自分としては忙しいよりも暇な方が身体にも楽だしいいことだと思っていたが、葵ちゃんはそうではないようだ。

「椿さん、暇です。」

「まぁ、たまにはいいじゃん。なんなら今日はもう上がってくれてもいいよ。」

「お給料分は時間まできっちり働きます。」

「そっかぁ。」

本当に葵ちゃんはしっかりしてるなぁと感心しながら店の窓から外をぼんやり眺める。穏やかな春の木漏れ日が差してお昼寝にはぴったりの気候。しかし、私はそのお昼寝をのんびり楽しめる身体ではない。何とも皮肉な今日の気候。そんな事を思っていると、葵ちゃんは溜息を零している。

「なんか悩み事?」

「ここ最近イケメンが足りてないです!」

「えっ…。」

イケメンが足りてないとは?と考えていると、葵ちゃんは趙とこの前店に来ていた男性のことを話していた。

「せめて名前だけでも聞いておけば良かった…。」

「確かに名前は聞いておけばよかったかもね。」

今のところ、2人の中では名無しのイケメンさんということになっている。顔立ちからすると韓国系の顔なのかなぁと思っているが、最近の男性は美意識が高い人が多いので日本人の可能性も無きにしも非ず。

「なんか話してたらお腹空いてきたかも。」

「ほんと、椿さんは食い意地張ってますよね。」

「私の身体は食欲に重きを置いてるんだよ。」

「そういうもんなんですかね。」

「折角だし、今日は早めにお店閉めてどっかに食べに行く?」

「いいですね!何にしましょうか?」

「うーん。」

さっきから韓国のことを考えていたので久しぶりに韓国料理でも食べたいなぁと葵ちゃんに話すといいですねと快諾してもらえたので私の好きなお店に案内することに。

「椿さん、ここですか?」

「うん。ここ!美味しい参鶏湯が食べれるよ。」

オモニの誓いと書かれたこのお店は私の行きつけのお店だ。疲れた時に食べる参鶏湯は本当に美味しくて身体がぽかぽかするので風邪の引き始めの時にはよくお世話になっている。

「一人でわざわざここまで来て食べるんですか?」

「うん。なんか変?」

「いや、そういう訳じゃないですけど、コリアン街ってコミジュルとも近いから危なくないですか?」

声を潜めて私に話してくる葵ちゃん。そういえば、この辺りは韓国系のマフィアがいるとかいないとかそんな事を聞いたような。

「あんまり気にしてなかった…。」

「ほんと、椿さんは…。」

呆れたような溜息が葵ちゃんから漏れている。まぁ、確かに危ないのかもしれないけれど、店内のお客さんも普通だし、お店の人も普通だったら安全じゃないのかなぁと思ってしまう私は平和ボケしているのだろうか。

「さぁて、好きなもの何でも頼んで。今日は私の奢りだから!」

「やった!じゃあ、何にしようかなぁ。」

葵ちゃんはメニューを見ながら次々と頼んでいく。すぐに葵ちゃんの前にはマッコリ、私の前にはコーン茶が置かれている。

「やっぱり、薬を飲んでるとお酒は駄目なんですよね?」

「そうだね。前は飲みたいと思ったこともあったけど、今は慣れたかな。」

「私はいつか一緒にお酒を飲めるの楽しみにしてますからね。」

「その時は潰れるまで飲もう!」

乾杯と言いながらグラスを合わせる。葵ちゃんの良い所はこういう所なんだろう。物事を前向きに考えて常に前に進んでいる。その対照的な考え方のおかげで救われることが度々ある。

「結構食べたね。」

「ほんと、美味しかったです。良い店ですね。」

「でしょ!また来ようよ。」

「そうですね…。あっ!!」

そろそろお店を出ようと思っていると、葵ちゃんの目がハートになっている。その視線の先を追うとこの前の男性が店中に。

「椿さん、イケメンさんですよ!」

「そうだね。声掛けてきたら?」

「えっ…。いや…。」

この前は積極的に話しかけていたのに、今日は妙に控え目な葵ちゃん。折角の機会なのにと思っていると、男性がすっと立ち上がりこちらに歩いてくる。

「高城さん、先日はどうも。」

「どうも…。」

イケメンはいつ見てもイケメンなんだなぁと思っていると、葵ちゃんが意を決したように話しかけた。

「あの、この後、お時間ありますか?」

「私ですか?」

葵ちゃんの発言に私はただ驚くだけだった。私と違って行動力もあるのがすごい所だ。改めて感心しているとイケメンの人はふっと笑みを浮かべた。

「私でよければ。」

「じゃあ、行きましょう。」

嬉しそうに立ち上がる葵ちゃんを見てこちらまで嬉しくなった。さて、お邪魔虫の私はここで帰った方が良さそうかなと葵ちゃんに私は先に帰るねと耳打ちを。

「椿さんも来てください!」

「えっ…。」

こういう時、後は若いお二人でと見送った方が良いのではないかと思ったが、葵ちゃんの気迫に押されて一緒についていくことに。その間に葵ちゃんはイケメンさんのお名前も聞いて仲良く話している。

やっぱり、帰った方がよくないか…。

速度を落として2人が仲良く話している姿を後ろから眺めながら思ったこと。今だったら急にいなくなっても大丈夫なような。こういう時に決断力がないのが私の悪い所だ。葵ちゃんだったら白か黒、イエスかノー。そういう所の判断は実にはっきりしている。

「あれぇ?椿じゃん。」

「げっ…。」

私が悩んでいる内にまた新たな悩みの種がひとつ増えた。何時の間に現れたんだ、こいつは。変わらず足音を消すのが実にうまい男だ。

「あっ!趙さん、ちょうど良い所に!」

「あっ、葵ちゃん、ちょっと…。」

気づけば葵ちゃんのペースで事が運び、なぜかこの4人でダーツバーに行く流れになっている。

はぁ…。

自分の決断力の無さに嫌気を感じながらも葵ちゃんの為と自分に言い聞かせてついていくことに。

◆◇◆

「趙もやってくればいいじゃん。」

「じゃあ、椿も一緒にやろうよ。」

「いや、私は見る専だから。」

「ふぅん。じゃあ、俺も今日は見てるよ。」

葵ちゃんとイケメンさんことハンジュンギさんがダーツをしている姿が視界に入る。何かを一緒にやるってことが一番手っ取り早く相手と親しくなることなんだろうなぁとしみじみ思いながら2人の試合の行方を見守る。

「椿、これ飲んでみなよ。」

「えっ…。私はその…。」

目の前に置かれたグラス。これって絶対アルコール入ってるでしょと差し出されたグラスをそっと趙の方に押し返すと大丈夫だよ、飲んでみなよと押し返される。

「本当に入ってないんだよね?」

「入ってないよ。」

まだ信じられない気持ちがあるが、一口だけ舐めるようにグラスに口をつける。オレンジ、レモン、パイン。3つの味が混ざったフレッシュで甘い口当たり。それぞれの味を邪魔することなく良さを引き出している。

「美味しい…。」

「でしょ。バーにはお酒を飲めない人用のカクテルも結構あるんだよ。」

「へぇ…。」

…というか私がお酒を飲めないということを何時知ったのだろうかと考える。そういえば、最初にLapinを訪ねてきたときも私の名前も知っていたのだからある程度私の個人的な情報も掴んでいるかもしれない。

「急に黙り込んじゃってどうしたの?」

「いや…。」

別に知られても大したことではないが、自分の口から言うのが本来あるべき姿だ。勝手に知られて勝手に気を遣われるというのは気分が良くない。

「私の身体のこと知ってたんだ。」

「まぁ、調べるついでにね。でも、柊医院で詳しく聞くことはできなかったから実際はどんな症状なのかはわからないよ。」

「そう…。」

柊先生はどんな患者さんでも診てくれる。そして、その患者さんのプライバシーに関してもきっちり守ってくれるいい先生だ。あの先生の固い口を割らせるのは相当至難の業だと思う。

「別に話したくなければ話さなくてもいいけど、重い病気なの?」

そういう言い方をされると返答に困る。大した事ないと言ってしまえばそうだけど、本人にとっては深刻な悩みだ。薬無しで眠れるようになればどんなに楽なのだろうかと何度も思った。

「…時差ボケってなったことある?」

「俺はこの街から出たことないからなったことはないね。」

「そっかぁ。私ね、薬がないと眠れないんだ。」

「そうなんだ。」

さっきまでは笑みを浮かべていた趙は真剣な顔になっている。ちょっとだけ後悔する。言わなければ良かったと。

「なんかごめん。」

「なんで?別に椿が謝ることじゃないでしょ。」

「いや、なんか暗い話してるみたいで悪いかなぁって。」

すると、趙はふっと笑ってグラスに口を。今日も腕と指にアクセサリーがついていて指先には黒。変わらず渋滞しているなぁとそんな事をふと。残っていたロックグラスを一気に飲み干して一言。

「まだ時間ある?」

「えっ…。いや、もう帰ろうかな。」

「じゃあ、帰るついでにちょっと寄り道していこうよ。」

「いや、いいよ。」

ダーツに熱中している2人を見て、そろそろ頃合いなのかと思っていた。趙はこのまま残って遊んでいけばいいと思っていたが、まさかの誘いに困ってしまう。

「ちょっと付き合えよ。」

耳元でそっと囁かれる低い声と共に香るあの香り。私は一瞬固まった。その隙をついて私の手は趙に掴まれて自由を奪われる。

私の夜はまだ終わらない。


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