今日限りで横浜流氓の総帥を降りる。
まさかこんなにも早くこの言葉を言う事になるとは思わなかった。少なくともこの数日間の出来事によってそうせざるを得なくなってしまった訳で。

どういう事なんですか!
総帥!ほんとなんですか!
嘘って言ってください!

集まった部下達は困惑した表情、怒りの表情、悲しみの表情が混じった形で自分を見つめている。ただこうなってしまった以上こうするしか方法がなかった。

「さっきも説明したけど、文句があるならこの街を去るしかない。残りたい奴はそのままソンヒが仕切る横浜流氓に力を貸して欲しい。あと、馬淵の方についた奴でもこっちに戻りたいっていう奴がいれば戻ってくればいい。そう伝えといてくれる?」

さっきまで飛び交っていた言葉は一瞬にして鎮まる。理解してもらえたとは到底思っていない。何か言ってくる者がいればこれからも自分はその言葉を告げるだけ。そう、決断に変わりはないのだから。

さて、こっちは一旦大丈夫そうになったかな。

スマホが振動に気づいて取るとタイミングを見計らっていたかのように掛けてきたようだ。現状の話をしてこれからのことも少し。大変な役を押し付けてしまったけれど、恨み言ひとつ言わないのはやはり組織の長としての素質があるのだろう。

「趙、お前はこれからどうするんだ?」

「まぁ、とりあえずはウチの子達がまだ動揺してるみたいだし、落ち着くまでは話は聞いてあげようかなとは思ってるよ。」

「あぁ、そうしてもらえると助かる。」

今まで表面上はいがみ合っていた組織がひとつになるのだから小さい諍いが起きるのは明白。しかし、今はそうしている余裕はないのだ。一瞬の隙が近江の入り込む余地となる。

「高城椿の所には今から行くのか?」

「そうだね。こっちはとりあえず話をしておいたから明日以降様子を見にこようと思ってるからそれまでの間椿の傍にはいてやりたい。」

「幼馴染というのはそんなに縁が深いものなんだな。」

「早速聞いたみたいだね。ほんとに相変わらず情報が早いねぇ。」

「当たり前だ。それで飯を食ってきたようなもんだからな。」

「そうだったね。じゃあ…。」

そろそろ切り上げ時かと思って切ろうと思っていると、ソンヒから待てと声がした。

「私は高城椿の大事な客であると同時にファンだからな。」

「知ってるよ。」

「だから、頼んだぞ。」

「了解。」

普段は冷静なソンヒの熱量のある言葉を聞いて思わずふふっと笑ってしまった。彼女が作る香水は多くの人に愛されているものなんだということを改めて知った。

さぁ、じゃあ、眠っている姫を迎えに行くとしますかね。

柊医院に向けて歩みを進めた。

ここだったか。飯店小路から北に少しいった所にある雑居ビルの一角。看板をみると4Fと書いてある。古びたエレベーターに乗って4階に着くと扉には柊医院と書いてある。静かにドアを開けると机と椅子がある。机の上にはカルテが置いてある。辺りを見回すと人の気配は感じられない。隣にも部屋があるようだ。迷わず中に入って進んでいく。ベッドが何台か並んでいてどれも使われていない。一番奥の窓側の所だけカーテンが掛かっている。
シャーっと音を立てて開けるとそこに眠っているのは椿だった。規則正しく呼吸をしているのを見てほっとする。近くにあった丸椅子を取って座る。椿の眠る姿を見ながら自分は最後に椿と会った日のことを思い出していた。

◆◇◆

椿ちゃんが明日来る。
いつも不定期だった彼女の訪問はいつも前日に告げられることが多かった。その日も同じように前日に告げられ自分はワクワクしているのを感じていた。

明日何をして遊ぼうかな。
明日何を話そうかな。

前日はいつもそんな事を考えていた。彼女はいつもここに来ると楽しそうにしていた。自分の話、遊ぶこと、食べること。何にでも興味を持って驚いたり笑ったりしていた。自分はそんな彼女の姿を見るのが好きだった。何より、彼女は自分がボスの息子ということを知らないただの男の子として接してくれていた。そう、彼女といるととても居心地が良かったのだ。

その日は珍しく夜も眠れず興奮していた。ベッドから起きてもう1度寝ようと思っても眠れず悩んだ挙句台所に行くことに。牛乳でも飲んで寝ればいいかと思っていたが、ふと浮かんだ考え。すぐに材料をかき集めて作業をしていく。一度作ったことがあるから多分作れるハズ。子供ながらに一心不乱に作業を進めてオーブンに材料を入れて一段落。

椿ちゃん、喜ぶかな。

焼き上げているオーブンを覗きながらそんなことをふと。焼きあがったら冷ましてからラッピングしよう。その間にバレないようにこっそり片付けをしておこう。夜更かしをしていることがバレたら大変なことになる。慎重に洗い物を終えて気づけばオーブンが焼き上がりの時間を告げていた。

うまくできた!

焼きあがったクッキーが冷めるのをワクワクしながら待つ。手で触れて熱くないのがわかったらお皿に入れてラップをする。ラッピングは明日の朝にしよう。ここでようやく達成感による眠気が襲ってくる。

明日、楽しみだな。

そう、この時の自分はまだその日もいつものように楽しい1日を送ると思っていた。けれど、現実は違っていた。

椿ちゃん…。

自分が最後に見た姿は血だまりの中で放心していた彼女の姿だった。




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