あと少しでその靄は晴れるだろう。
その靄の原因は何なのか。それは私自身にしかわからない。
きっと、心の奥底でそれが明らかになるのを拒んでいたのだろう。

◆◇◆

「椿さん、戻りましょうか?」

「…そうだね。」

結局、このまま私達がコミジュルにいてすることはなかった。ソンヒさんからは趙はああ見えて図太い男だから大丈夫だろうと言っていたが、不安は消えなかった。けれど、私には何か出来る訳もなく、ただ歯痒く思うだけだった。

帰り道は黙ったままだった。葵ちゃんも気を遣っているのだろう。長い1日だったこともあるし、いつもと違う非日常に触れ過ぎたせいで興奮しているのもあるだろう。私といえば…。
ただ趙のことを考えていた。出逢ってからそこまで時間は経っていないが、断片的に趙と話しことなどが走馬灯のように脳内を駆け巡っているのを感じていた。最初に出会ったときはここまで付き合いが長くなるとは思っていなかった。そう、どうしてなんだろう。

どうして、私はこんなにもあいつのことが気になるのだろうか?

椿ちゃん

ふと脳内で声が聞こえた。思わず驚いた声を漏らすと葵ちゃんはどうかしましたかと聞いてくる。私は黙ったままその脳内に神経を寄せる。

椿

次に聞こえたのは違う声だ。あぁ、これは知ってる。よく呼ばれた声だから。でも、不思議。さっき聞こえた声と今の声。同じように聞こえるような気がしてならない。

「椿さん!」

「あっ…。」

考え込んで立ち止まっていると、葵ちゃんは心配そうに私の顔を覗き込んでいる。今のは一体…。そう思いながらも、私は少しずつ核心に近づいている気がしてきた。脳内で浮かんだひとつの仮説。それを確かめずには居られなかった。そう、聞かなければ…。

「葵ちゃん、私…。」

一呼吸置いて次の言葉を言う事にした。葵ちゃんは優しく笑いながらゆっくりでいいですよと言っている。ひょっとすると私の言うことがわかっているのかもしれない。

「趙の所に行ってくる。」

「…そうですか。」

驚くことはせず、納得したような葵ちゃんを見てやっぱり私にとってのビジネスパートナーであり友人だということを再認識させられた。

◆◇◆

「相手は中華マフィアです。そのままで行くつもりですか?」

「いや、ちょっとは準備はしていくつもり。」

「じゃあ、私も手伝います。」

店に戻って早々準備に取り掛かることに。中に趙がいるのは確実だ。しかし、そこに辿り着くまで自分が無事でいられる保証はどこにもない。ソンヒさんの話だとあとで春日さん達も見に行くと言っていたが、いつになるかはわからない。待っていたら私は永遠に答え合わせができなくなってしまう。きっと、靄は永遠に晴れないだろう。

そう、これは私の問題だ。

だからこそ、一緒についていくと言った葵ちゃんをここに留まるように説得した。私が1時間して連絡がなかった場合に警察に連絡を入れてもらうように話した。そう、私の私情に巻き込む訳にはいかなかった。

「これで大丈夫ですかね?」

「まぁ、ないよりはマシかな。あとは自分の運に頼るよ。」

「椿さん、どうかご無事で。」

「大丈夫。ちゃんと戻ってくるよ。まだやりたいことがここには山ほど残ってるから。」

「わかりました。帰ってきたらまたバリバリ働いてもらいますよ。」

「葵ちゃん…。」

今生の別れでもないのに泣きそうになる気持ちをそっと抑えて葵ちゃんにハグを。そして誓う。必ず無事に戻ってくることを。振り返ることはせずにまっすぐ飯店小路を目指す。何度かきたその場所は以前の雰囲気をそのまま残しつつ、やはり緊張した空気を放っていた。

やっぱり、怖い。

当たり前だ。私はただの一般人。銃やナイフが飛び交うような場所で生まれた訳ではない。でも、あえてそこに今飛び込むことを選んだ。

ただ私が知りたいことの為だけに。

手が微かに震えているのを感じる。その手をもう片方の手で抑えながらゆっくりと進む。途中足がすくんで何度か立ち止まってしまう。でも、諦めてはそこで終わり。永遠に確かめる術はなくなる。一歩一歩進んで階段を昇っていく。

あぁ、ここか。

そういえば、ここで初めて趙に話かけられたことを。あの時はただただ怖かった。その場から逃げ出すことしか考えていなかった。けれど、今は違う。この中に自ら進んで入ろうとしている。ゆっくりと扉を開ける。

「なんや、ワレ?」

まずい。恐怖で一瞬身体が固まるが、私は深呼吸を。そう、用意してきたものを使う時がきたようだ。覚悟を決めてバッグの中から取り出した。

もう逃げることはできない。ただ先に進むのみ。




01




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