「で、あの後趙さんとは何を?」
「いや、だからさぁ、普通に帰っただけなんだけど…。」
やましいことは一切していないのになぜか背中に嫌な汗が流れているのを感じる。葵ちゃんはそんな私を怪しむ目で見ている。
「別に椿さんが趙さんとお付き合いしているならそれでいいんです。でも…。」
「いや、だから違うって。」
「わかってますよ。でも、心配なんです。」
「うん。大丈夫。心配掛けてごめん。」
そう、葵ちゃんはただただ私のことを心配してくれたのだ。飄々としていてもあの男はマフィアのボス。関わりが強くなればなるほど、私の身に危険が及ぶと思っているのだろう。
「さて、今日も1日頑張りますか。」
気を取り直して私は店の開店準備を。葵ちゃんもいつも通りの顔に。そう、私から関われなければ何もない。そう思っていたけれど、どうやら事はすでに運んでいたようだった。
「椿はお前か?」
「はい?」
綺麗な黒髪の女性が私の前に。ちょうど葵ちゃんが外に出ていたタイミングで店番をしていると入ってきた人がいたのでお客さんかと思っていたが、何となく違うような。足先から頭の先まで舐めるような視線で私を見た後放った一言。明らかに敵対しているような物言いに見える。
「何かお探しでしたら案内致します。」
こういう時に葵ちゃんなら気の利いた言葉が出て丁寧な接客ができるのだろうが、私は生憎向いていないのだろう。心の中ではこのお客さん早く帰ってくれないかなという気持ちになっている。
「趙はどこにいる?」
「趙?」
何となく感じていた嫌な予感は見事的中。カタコトの言葉、見た目で中国の人なのかなぁと何となく思っていた。そして今、出た言葉。あいつの知り合いということなのだろう。
「ボディーガードから聞いた。ここの女と趙は最近ヨロシクやってると。」
「はぁ?」
あの男…。また適当なことを言って。こめかみが痛くなるのを感じながら溜息を零す。毎度毎度厄介毎をなぜ私に持ってくるのだろうと思う。
「私と趙はそういう関係じゃないです。ただの知り合いです。」
「ウソだ!趙から恋人がいるから結婚の話はなかったことにしてくれと言われた。」
「えっ!!」
「その恋人って?」
まさかね…。あいつの事だから方々に女がいそうだろうと。それは私ではない他の。自分に全く関係ない話なので安心しても良さそうな筈なのに、目の前の女性の視線は痛いくらい自分に向けられている。
「あんたが恋人だと言われた。本当なのか?」
「いや、だから…。」
すぐに否定しなければ殺されるのではないかというくらいの圧を感じていると店のドアがからんと音を立てて開く。
「趙!」
見つけるや否や抱き着いていく女性を見て驚くのと同時に私は趙を見て睨む。そんな私の様子を見ていつも通り飄々としながら笑う趙はやっぱり私と違う世界の男だった。
◆◇◆
「だから、あいつが帰るまで恋人のフリをしてって話。」
「断る。」
「こう見えても、俺、結構椿に貸しがあると思うけど。」
「ない。あったとしても微々たるもの。」
「いいじゃん。ちょっとくらい。あいつも俺にその気がないならすぐにあっちに帰るって。」
「そういうのは2人の問題でしょ。私には一切関係ない話だけど。」
こういうことはキッパリ言わなければいけないのはわかっていたので、いつもよりも厳しい口調で言うと趙は目尻を下げてシュンとした顔をしてくる。そんな顔をされた所で私には効果がないのにと思いながら私は首を無言で横に振る。これは私なりの精一杯の抵抗の意志だ。
「上手くやってくれたらお礼はたっぷりするからさぁ。」
「いい。」
「本当にいいの?」
「だからいいって。」
私は頑なに態度を変えずにいると、趙は溜息を零して諦めた様子で背中を向けた。よし、これで帰ってくれると安心していたのも束の間。
「パリパリに焼いたアヒルの皮にさぁ、甜面醤とキュウリとネギを巻いた北京ダックって最高に美味いんだよね。あれさぁ、俺の得意料理なんだけど。」
「北京ダック…。」
中華街で見た時にものすごく高くて諦めた料理。店先に並んでいたよく焼かれていたアヒルの丸焼きの姿を思い出した。思わずごくりと唾を飲んでしまった。そして、趙はその瞬間を逃さなかったようだ。
「うまくいったらお腹いっぱい食べさせてあげるよ。」
「うっ…。」
食べたいと思っていた料理が目の前に差し出されているような感覚が目の前に。あと少しでそれは食べられるはずなのに、目の前では意地悪く笑う趙がいて私が皿に手を伸ばそうとすると手の届かない所にその皿は遠くなっていくビジョンが目に浮かんだ。
「残念だなぁ。折角の機会だったけど、今日は帰る…」
「…やればいいんでしょ。やれば。」
「椿ってほんと食い意地張ってるよね。」
なんでいつも私はこの男に負けてしまうのだろうと思いながら、北京ダックの為と自分に言い聞かせて趙の助けに乗ることにした。
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