洗いたい女と汚す男
さて、今日も1日頑張りますかね。
井戸から桶に水を張って集まっている洗濯物をひとつひとつ丁寧に洗っていく。汚れのひどいものには灰汁汁や米汁を使って汚れを綺麗に。全て綺麗になったのを確認したらすすぎの作業。そして水を絞って干す。
大空に舞う綺麗になった衣類を見るのが好きだ。
適度な風と心地よい気温によって夕刻までには全て乾くだろう。ここでようやく仕事が一段落。私と同じ洗濯女達は外に食事に出掛けたり用事を済ませたり。散り散りに分かれてまた夕刻に集合する。
さて、今日の私は何をしようかな。そんな事を思いながら町を歩いて足が止まった茶屋で一休み。善哉を食べてお茶を飲んで一息ついていると目に入ったもの。浅黄色の羽織が通りすぎていくのが見えた。
「また新選組が人を斬ったんやな。」
「あの羽織は隊長やろ。ほんま近づいたら怖い目に遭うで。」
「いかにも人を斬るのが楽しい顔してるなぁ。」
私の傍にいたお客さんがそんな事を言っている。私はそんな事はどうでもよかった。私の視界に入ったそれ。綺麗な羽織に散っていた赤。血が滲んで汚れて所々茶色になっている部分もある染み。
あぁ、なんてこと。
気づけばお会計を済ませて私はその羽織に向かって歩き出していた。
「なんや、ワシに用か?」
「その羽織…。」
「これか?ええ羽織やろ?」
「違います。その羽織、いつから洗ってないですか?」
「洗う?そんなん面倒やからせんでもええ。」
「………。」
折角の良い生地が泣いている。私はそう思うと居ても立っても居られなくなった。男の人は何すんねんと言っていたが、私は腕を掴んで自分に家の前まで連れていくことに。
「そういう事なら早よ言わんかい!」
「いいからその場で脱いでください。」
「はぁ?なんや、外でやるんがええんか?」
「もうごちゃごちゃ言わずに脱いでください!」
何かを勘違いしている気がしたが、私は脱ごうとしない男の人に苛立ちを感じてその場で羽織りを剥がす。やはり…。羽織だけではなく着物も袴も汚れている。ついでだから洗ってしまおう。気づけば男の人は褌一丁に。
「見た目と違い、意外と大胆なんやなぁ。」
「えっ…。」
脱ぎ終えた着物を抱えていると急に私との距離を詰める男の人。私は身の危険を感じでさっと身を避けて家の中に。すると、男の人も同じように中に。
「洗い終わるまでそこに置いてある着物を着て下さい。」
「はぁ?」
今度は男の人が驚く番になっていた。
◆◇◆
「なんや?そないな事情があったんかいな。」
「すみません…。つい汚れていたので気になってしまったんです。」
あれから洗いを終えて庭先で干していると男の人が声を。どうやら私のことを夜鷹と勘違いしていたようで、私はその言葉に赤面する。
「しっかし、いきなり身包み剥がされるとはなぁ。」
「すっ、すみません…。」
「いや、こんだけ綺麗になるんやったらええわ。」
「ありがとうございます。」
男の人はにやりと笑い自分の名を告げる。そしてふと思い出したこと。新選組の沖田といえば、美少年という噂を町できいたような。
人違いだよね?
「ほな、これは借りてくで。」
「明日の朝、屯所の方に持って参ります。」
「おぅ!」
そういって沖田さんは家を後にした。私は最後の仕上げをする為の作業に取り掛かる。そこから私と沖田さんの不思議な関係が始まる。
「椿、今日も頼んだで。」
「はい。お預かり致します。」
不定期に沖田さんは私の家を訪れて汚れた羽織を渡していく。私はそれを綺麗に仕上げて屯所に持っていく。時間があるときには沖田さんが取りに来てくれることも。時にはお茶を飲みながら雑談をしたり、手土産に和菓子を持ってきてくれることも。
今日は沖田さん来ないのかな。
いつしか私の日常の一部に沖田さんが自然に入り込んでいた。そして会わない日に思うこと。それは隊務をしているということ。つまり、危険な仕事をしているということになる。羽織に滲む血を見る度に思うのだ。いつかこの羽織が沖田さんの血で紅く染まってしまうのではないかということに。
これは願掛けのような行為なのかもしれない。
綺麗に仕上がった羽織を沖田さんに手渡すときにそっと思う。今度も無事に私にこの羽織を持ってきてくれますようにと。そんな細やかな願いを込めていつも丁寧に仕上げの作業をしていく。
そんなやり取りは半年ほど続いた。いつの間にか縁側でお茶をする仲から時間が夕刻であれば夕餉を2人で囲うことも時々あった。
私達の関係は一体何なのだろう。
用が済めば沖田さんは屯所に帰る。私はまたいつも通りの洗濯女としての生活を送る。これだけ親しくなれば男女の仲も深くなりそうだが、今のところ進展はない。
他に良い女性でもいるのかもしれない。
苦しい気持ちをそっと抑えながら私はただ沖田さんが家に訪れるのを心待ちにしていた。
「なんかええ匂いするのぅ…。」
「今日は食べていかれますか?」
「ええんか?」
「はい。」
すぐに支度するので待っていて下さいと沖田さんに告げて私は夕餉の準備を。膳をもって沖田さんの前に置くと旨そうやなぁと嬉しそうな顔をしている。大したものではないですがと照れながら私も向かい合わせに座る。
夫婦みたい。
いつも向かい合うようにして沖田さんと食事を共にすると思うこと。しかし、この時間が終わればまた元の時間に。束の間の幸せな時間はあっという間だ。それもいつ無くなるかわからないくらい刹那的なもの。
「なんやこうやって椿と飯食ってると、夫婦みたいやのぅ…。」
「えっ…。」
沖田さんはさらりといつもの冗談を言う。じくりと私の胸は痛む。私は黙ったまままだ残っている膳を眺める。いつの間にか視界はぼやけてぽたりぽたりと雫が零れ落ちる。
「ワシ、変なことでも言ってしもたか?」
「…いえ、沖田さんは何も悪くないです。」
袂でそっと目元を拭うと沖田さんはそっと手を伸ばして胸元に引き寄せられる。沖田さんの香りが鼻を掠める。いつも洗濯しながら思うのだ。あんなに血に染まった羽織なのになんで良い香りがするのだろうかと。そう、それは沖田さんから醸し出す香りだったんだ。
「嫌やったか?」
「いえ…。あの、寧ろ…嬉しいです。」
「そうか…。」
沖田さんは暫く私を優しく抱きしめてくれていた。
晴れの日もあれば雨の日もある。私は晴れの日が好きだ。そう、洗濯物が綺麗に干せる日だから。
「椿、あんまり無理したらあかんで。」
「大丈夫ですよ。適度な運動も必要ですから。」
「ほんなら、洗い終わったら干すのはワシがやる。」
「わかりました。」
洗いとすすぎと絞りが済んだ洗濯物を桶に置くと沖田さんは丁寧に干していく。風で揺れる洗濯物は2人分。あと少しすればその物干しにはもう一人分増える。
「干し終えたらお茶にしましょう。」
「そうやな。」
私はそっとお腹を撫でて新たな命の誕生を待ち侘びる。不思議な縁が繋いだ関係は夫婦となって繋がれていく。
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