口は禍の元。まさにそれが体現化された私の現在の状況。どうして人は自分を良くみせようと嘘や見栄を張るのか。答えは分からない。わかっていれば、このような状況にはならなかっただろう。

「椿はどれがいい?」

「えっ…。」

自分の過ちを反省していたせいで、趙さんの話は全く頭に入っていなかった。現実に戻り、状況を飲み込む。趙さんは嬉しそうに目の前のパネルを見ている。あぁ、そうか。部屋を選んでいるということか。

「じゃあ…こことかは?」

指で指示した場所を見て趙さんは笑う。

「やっぱり、経験豊富な椿は一味違うねぇ。」

「えっ…。」

暗い落ち着いた雰囲気なので趙さんに合いそうだと思って選んだその部屋。趙さんは嬉しそうにSM好きなんだぁ、意外だねと言っている。

SM!!
言葉には聞いたことはあるが、何なのかは知らない。

「でもさぁ、折角だし、このいい部屋開いてるからここね。」

「あっ…はい。」

パネルを押して、エレベーターに乗り込む。最上階まではあと少し。途端に緊張が走る。鞄をぎゅっと持ちながら考える。
そろそろ腹を決めるとき。
私に選択が委ねられる。このまま素知らぬフリをしてやり過ごすか正直に全てを話すか。

結論から言おう。そう、私は処女だ。

◆◇◆

人と同じように人生を歩んできた筈だった。けれど、それは自分が思っていただけで、周りは違っていた。周りと同じように過ごしていたけれど、私はそれを捨てることがなぜかできなかった。きっかけはいくつかあったけれど、いざその場になると怖くなって駄目だった。すると、相手は当然不快感を示す。いい人と巡り会えたとしても、いつもその先が進めなかった。そんな事を繰り返しての今だ。

そんな私に久しぶりに好きな人ができた。常連になっていたバーで出会った趙さん。初めは見た目で圧倒されて話すのを躊躇していたが、話してみると気さくで楽しくていつしか趙さんを目当てにそのバーに足を運ぶようになっていた。
その日はたまたま話の流れで恋愛の話になった。過去に付き合った人の話が何かのきっかけでぽろりと出た。そのままその話はそこで終わっておけばよかったのに、会話が終わらず続いていた。

「へぇ、意外と椿も経験豊富なんだね。」

「そうですか?」

「うん。いいよね。大人の女って感じがしてさ。」

趙さんは私の話した話をどう解釈したのかはわからない。お付き合いした=経験人数と捉えたのだろう。すぐにそのことに気づいてヒヤヒヤしてくる。

「じゃあ、今度お手合わせしてよ。」

「…機会があれば。」

こんな風に冗談のようなことを言うことも度々あったので、いつもの調子で私も返した。お酒も入っていたことだし、少し気が大きくなっていたのだろう。趙さんはその言葉をそのまま受け取っていることなど知らずに…。

そして今日。
いつものようにバーで並んで話していた。趙さんのお友達がいるときもあるが、今日は二人っきりで近況を話していた。そろそろいい時間かな。お会計をして帰ろうと思っていると、趙さんが声を掛けてきた。

「ねぇ、今日、これから時間ある?」

「えっ…。」

まっすぐ私を見る趙さんの瞳。私は肯定も否定もしなかった。けれど、趙さんはそれを同意と取ったのだろう。スマートにお会計をして、私の肩をそっと抱いて外へエスコートしていく。
どこに行くつもりなのだろうか。不安な気持ちを抱えながら趙さんと街を歩く。そしてこの後、後悔することになる。自分の過去の発言に対して。

「趙さん、ここって…。」

「この前言ったじゃん。お手合わせしてくれるって。」

「えっ…。」

趙さんは私の動揺に気づくことなく、目の前のラブホテルを見つめる。新しくできた場所で一度来てみたかったんだよねと嬉しそうに話している。一方の私は動揺が最高潮に達している。

なんでこんなことに!!

そして冒頭の出来事に戻ることになる。

「やっぱり、新しいホテルっていいよねぇ。」

「そうですね…。」

新しいか古いかなんて知らない。だって、初めてきたのだから。強いて言うならイメージよりも良いということくらい。趙さんは少しはしゃぎながら部屋の中を見て回っている。私はどうするべきなのか脳内でぐるぐると思考を巡らせる。

このまま流れでしてしまえば結果オーライ。誰も傷つくことはなく、私も処女を捨てられる。好きな人なんだからいいじゃないか。そう楽観的な思考がひとつ。
いや、寧ろ好きな人だからこそ、正直に言うべきではないか。今までも、いざ事に及ぶときに怖くなっていた。今回も同じようになるんじゃないのか。そうなったら…。悲観的な思考がひとつ。
結論は一向に出ない。

「椿、お風呂はどうする?」

「ヒッ…。」

趙さんの言葉に思わず悲鳴のような声が出る。趙さんは驚かすつもりはなかったんだけど、ごめんねぇと言っている。耳元で急に声が聞こえて趙さんが後ろにいた。全く気付いていなかった。完全に私の不覚だ。

「俺は一緒に入ってもいいけど…。」

「趙さん、お先にどうぞ。」

そうかぁ、残念と言いながら趙さんは鼻歌交じりでバスルームに。猶予の時間ができた。ほっと溜息を尽きながら考える。本当のことを言うべきなのか否か。本当のことを言ったら、趙さんは私のことを軽蔑するだろうか。わからない。面倒臭い、重たい女だと思うだろうか。わからない。全て自分が蒔いた種だ。その種が今、悪い方向に花が咲いた。

「椿、次どうぞ。」

「はい…。」

振り返って思わず見えた姿にさっきの悲鳴のような声がでそうになるのをそっと抑える。髪はいつもと違って濡れてぺったりとしている。当然のことながらサングラスは外されて素の顔。そして肌を覆うバスローブ。

これが男の色気…なのか。

「見惚れてる?」

「いや…。あ、入ってきますね。」

趙さんの顔を見ないようにバスルームに急ぐ。あぁ、どうすればいいんだろう。シャワーを頭から浴びながら結論を急ぐ。もうここまできたら腹を括るしかない。そう決めて、私はバスルームを後に。

「じゃあ、楽しもっか。」

シャワーから上がった私の手を引いて、私はベッドに沈む。天井と趙さんの顔がまっすぐ見える。

いよいよ、私は女になるのか。
目をぎゅっと瞑り、覚悟を決めた。
…が、一向に何も起きない。ぎゅっと瞑っていた目をそっと開けると、趙さんは少し心配そうな顔で私を見ている。

「椿、顔色悪いけど、大丈夫?」

「あっ…。えっ…。」

手も震えてるよと言って、私の手をそっと握る。今がいうべきチャンスなのに、言葉が出ない。黙ったままの私に痺れを切らしたのか趙さんがポツリと零す。

「もしかして、椿はこういう経験ないとか?」

勘の良い趙さんは、やっぱり気づいたようだ。私の動揺した様子に。そして、身体が先に限界を迎えた。ポロポロと言葉に出ない複雑な感情が涙に変わる。それを肯定と信じた趙さんは何で早く言わなかったのと言って身体を起こして、私の目元の涙を拭う。私は何も言えず、ただ泣くだけ。
本当に面倒で最低な女だ。

◆◇◆

「これ飲んで落ち着きなよ。」

「ありがとうございます。」

泣いてばかりで何も言わない私を見て呆れられたのだろう。私の傍にいた趙さんはふいに立ち上がる。そしてガサガサしながら何か作業をしている。そして私に手渡されたのはコーヒー。カプセルコーヒー置いてあるのすごいよねといつものテンションのままで私に話しかけている。

気を遣われてる…。
そのことにまた胸がぎゅっとなる。趙さんの良い所である優しさ。それが今は私を苦しめている。罪悪感で胸がいっぱいになっているときにこんな優しさはなんの足しにもならない。ただ辛いだけ。全て自分が悪いのに。

「趙さん、ごめんなさい。」

言える言葉はそんなものだけだ。ただその言葉を言って自分が許されたいだけなのかもしれない。少しでも見栄や嘘をついたことをなかったことにしたいと思う自分への甘え。

「なんで、椿が謝るの?」

「だって…。」

あぁ、また面倒な私が出始めている。涙が零れそうになるのをぎゅっと唇を噛んで抑える。そんな様子を見て、趙さんは優しくこう言う。まだ全部吐き出してないでしょ、もうこの際吐いちゃいなよと。その言葉にするりと自分の口から零れていく本当の私。本当は処女であること、少しでも大人にみせたくて見栄を張っていたこと。話していくうちに不思議と心の中に占められていた重いものが軽くなっていっていた。

「すみません…。なんか、私、面倒な女で。」

「そんな事ないよ。女の子にとって“ハジメテ”って特別じゃん。」

椿はそれを大事にしてただけだよ。と私の頭をそっと撫でる。あぁ、また趙さんの優しさが舞い降りる。なんでこの人はこんなにも優しいのだろう。歯痒いくらいに。

やっぱり、私はこの人のことが好きだ。

改めてそう思う。けれど、今のこの妙な状況でそれを告げるのは憚られた。なんとなく雰囲気に流されてそう思われたと思って欲しくなかった。あぁ、また面倒な私が顔を出している。

きっと、一生このままなんだろう、私。

そんな事を思いあぐねていると趙さんはまた立ち上がっていた。私はその様子をただぼんやりと眺めていた。何も纏っていない状態からひとつ、ふたつと衣服が身に付けられて、指にはいつものようにリングがはめられていく。

「今日は色々あったと思うから、ゆっくり休んでいきなよ。」

「えっ…。」

俺は帰るからと一言。そして私の視界に映る趙さんの背。何か言わなければ…。そう思うのに身体が動かない、言葉が出てこない。趙さんは最後に一言言っていた。そこまで大事にしているなら本当に好きな人の為にハジメテは取っておいた方がいいよと。

本当に好きな人の為…。

それは反射的だった。趙さんがドアを開けるか否かの所で私は待ってと声を掛けた。そして、振り返る趙さん。思いの外、声が大きく室内に響く。そして呼び止めたのはいいのに、言葉が出ない。私が何か言いたそうな顔をしていたのを察した趙さんは静かに私の前に。
少し間ができた。ほんの少しの間だったけれど、私の脳内では色んなことがぐるぐると巡っていた。また選択が私に委ねられている。また私は腹を決める時がきていた。

「私、趙さんが好きです。…だから、私のハジメテもらってください。」

「えっ…。」

おそらく初めて見た趙さんの驚く顔だった。



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