今更ながらこの前の自分の行動は良くなかったと反省する。別に彼女がどこの誰と親しくなろうとも添い遂げようとも自分には関係のないこと。それなのにどうしてこうも自分の感情を掻き乱されてしまったのだろうと困惑した。自分でも気づかぬ内に彼女の存在は大きくなっていたようだ。そう、思っている以上に。

そして思う。大きくなった所で自分には彼女を幸せにする権利はないということに。彼女が幸せになってくれればいいと思う反面、自分ではない人との人生を選んでしまったら…。この前のようにまた怒りを抑えられなくなってしまう自分がいるだろう。

本当につくづく自分勝手な男だな、俺は。

そう自嘲しながらも、彼女が間髪入れずに横浜流氓に残りますと言ってくれたことが何より嬉しい。まだ自分の傍に彼女がいてくれる。自分は彼女にしてあげられることは多くはないのにただただ嬉しく感じている。
さぁ、その僅かなしてあげられることをする為にそろそろ外に出ることにしよう。今日は彼女にとっての新しい生活の始まりになるのだから。用意していた紙袋を手に彼女の許へと向かう。

結局、色々と物件を探しまわった結果、飯店小路にあるアパートの一室が空いていたのでそこに入居することになった。オートロックはついていないが、風呂、トイレが別、慶錦飯店も目と鼻の先だから朝もゆっくり眠れますねと嬉しそうに話していたのを思い出す。年季の入った部屋だが、手入れはされているし、自分の目の届く範囲だからいいかと了承したのはつい先日のことだ。

これからここを何度も訪れることになるのかねぇ。そんな事を思いながら階段を上がり彼女の部屋の前に。チャイムを鳴らすが、反応はない。まだ前の家に荷物が残っているのだろうか。すぐに前の彼女の家に向かう。見慣れた建物に近づいて見上げると彼女はベランダでぼんやりと外を眺めていた。声を掛けようか悩んでいつものように驚かそうと決めていそいそと彼女の部屋に。鍵は掛かっておらずドアを開けると彼女の背中が見えた。

「もう終わった?」

「はい。あと少ししたらいこうかなと思って。」

「そう…。」

いつもよりも心做しか元気がないような気がする。やっぱり一人この場所に残ることを後悔しているのかもしれない。黙ったまま彼女の横に並び同じように外をぼんやりと眺める。

「椿は後悔しているの?」

「えっ…。」

少し驚いた顔をしながら首を横に振って否定している。なら、良かったと自分は心の底から出た言葉をそのまま告げる。

「なんか色々あったなぁって少し思い出してただけです。」

「そっかぁ。椿の家ってさ、行くといつも弟や妹達が歓迎してくれるから居心地良かったねぇ。」

「みんなボスに懐いてましたからね。もうボスのご飯食べれないって寂しそうにしてましたよ。」

「じゃあ、今度一緒に出張料理人しにいこっか?」

「いいですね。きっと喜びますよ。」

さっきまでの少し沈んだ声とは違い、明るい声になった彼女。ようやくひと段落ついたのか残りの荷物を手にしている。

「荷物はあとこれだけ?」

「はい。時間がある時に運んでおいたので。ボスは手ぶらでいいですよ。」

「何のために来たかわからないでしょ。はい、その手に持ってるの持つよ。」

「あっ、でも…。」

「いいからいいから。」

交換ねと自分が持っているか紙袋を彼女に渡し、段ボールの箱を2つ手にアパートへ。内見の時は何もなかった部屋に家具が置かれていて生活感が出ている。

「あとで片付けるのでその辺に置いておいてもらって大丈夫です。」

「じゃあ、ここに置いておくね。」

彼女はすみません…すぐにお茶を淹れるんで座っててくださいと言われ、円卓の前に座って待つことに。手伝いにきたのにすることはほとんどなかった訳か。すぐに彼女はポットとカップを手に自分の許に寄ってくる。

「畳のある部屋って落ち着くねぇ。」

「そうですよね。だからこの部屋にしたんです。」

畳は張り替えてもらったようで新しい香りがする。お茶を一口飲んでごろんと寝転ぶと心地よい風が外から流れてくる。このまま目を瞑ればすぐにでも眠れそうだねぇと視界の端に見えた紙袋を見てようやく本来の目的を思い出した。

「椿、その紙袋開けていいよ。」

「これ、ボスのじゃないんですか?」

「違うよ。椿の引っ越し祝い。」

「えっ!わざわざ買ってきてくれたんですか!」

「大したものじゃないけど、椿に似合いそうだと思って買ったよ。」

すみませんと申し訳なさそうにしながら開けますねと彼女は中のラッピングを剥がしていく。そして嬉しそうな顔を見て自分も思わず頬が綻ぶのを感じる。

「どう?」

「こういう可愛いパジャマ?みたいなのは着た事ないので嬉しいです。」

「良かった。」

彼女にプレゼントしたのはパンダの刺繍が入ったチャイナボタンを使ったパジャマ。見つけた瞬間椿にあげたいと思った商品だった。

「ありがとうございます。大切に着ます!」

さて、そろそろ頃合いだろう。いつまでも自分が居座ってしまったら片付けも進まないだろう。ゆっくり立ち上がると少し驚いた顔をした椿。同じように立ち上がって少し黙ったまま自分の顔を見てくる。

「長居しちゃったからね。そろそろ俺は帰るよ。」

「あ、そうですね…。」

何か言いたげな様子。その顔を見てふと思い出すことがあった。そう、過去に椿の弟に言われたことを。

『天佑兄ちゃん!』

『何?』

『姉ちゃんのこと、どう思ってるの?』

『椿のこと?大事な部下だと思ってるよ。』

『そうなんだ。あのね、姉ちゃん、ああ見えても結構寂しがりやさんだから…。』

『うん。』

『本当は色々我慢してると思うけど、言えなくなっちゃったんだよね。俺達がいるせいで。』

『そんな事はないと思うけど。』

『だから姉ちゃんが何か言いたそうにしてたらちゃんと察してあげてね。』

『わかったよ。』

今の椿の顔。きっとその時の弟が言っていたことを示しているのだろう。さて、自分はそれを察してあげる番だ。

「椿の今、考えてること当ててやろうか?」

「えっ…。」

「もうちょっといてあげようか?」

「いや、そういう訳じゃ…。ボスも色々ありますしね。」

切り替えるように椿は苦し紛れの笑顔を浮かべる。つくづく甘えることが下手な子だなぁと。

「今日は1日空けておいたから大丈夫だよ。」

「ほんとですか!」

ほら、やっぱり。心からの笑顔を見て自分も嬉しさが込み上げる。その顔、反則だろ。思わず自分の中で抑えている感情が収まらなくなってしまう。思っているよりも行動の方が早かった。彼女の腕を掴み、抱き留める。彼女は黙ったまま。自分の中の悪い部分が顔を出す。ここには2人しかいないのだからなるようになってしまえばいいと悪魔の囁きが。人というのは本当に弱い。すぐに甘い誘惑に飲まれてしまう。自分もそんな一人。

「椿…。」

顔をそっと近づけてその距離はあと少し。彼女はじっと自分を見つめている。本当に嫌ならば拒否するだろう。それをしないということは同意ということでいいのだろう。さぁ、もうなるようになってしまえ。

グゥ…。

本当にあと僅かの所で室内に響く音。彼女は顔を真っ赤にしながら自分との距離を測る。さっきまでの甘い空気と違って急に訪れたコミカルな空気。思わず拍子抜けしてしまう。彼女は朝から食べる時間がなかったんでと恥ずかしそうにしている。

「じゃあ、俺が何か作るよ。一緒に外に買いに行く?」

「はっ、はい。」

思わず笑みが零れる。ちょっとだけ安心したような気持ちと共に。何も考えずにあのまま勢いで全てをしてしまっていたら…。きっと今までのような関係には戻れないだろう。これで良かったんだ。そう、今はこれで。








「はい、できたよ。」

「美味しそうですね!」

「美味しそうじゃなくて俺のは全部美味しいから。」

「そうでした!じゃあ、遠慮なく。」

自分の作った料理をパクパクと食べている彼女。今はその幸せな顔を一番傍で見ていられる関係ならそれでいいか。自分に言い聞かせるように箸を手にする。新たな門出に水を差さぬように下心はそっと自分の中に隠しておく。





新天地にて




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