ここ最近自分の周りは少しバタバタとしている。その忙しさは嬉しい報告と共に訪れた。
「うん。わかった。こっちは大丈夫だから。うんうん。で、どうするの?」
「えっ?式はした方がいいと思うけど。うん。わかった。じゃあ、写真にするのね。」
「うん。また詳しいことがわかったら連絡して。」
一通り確認の電話を終わり、一息つく。時計を見るとまだ少し時間はありそうだが、そろそろボスの所に戻っておいた方がいいかな。そんな事を思いながらボスの所へと向かう。電話に夢中で気づいていなかったが、まさかを電話の内容を誰かに聞かれていたとは知らずに…。そしてその些細な会話はちょっとした騒動に繋がることになるとは思ってもみなかった。
◆◇◆
最近は穏やかな日が続いてるなぁ。そんな事を思いながら世話をしている盆栽の手入れをする。何もないことは良いこと。マフィアのボスとしてそれが正しいことなのか。分からないけれど、平和なことは誰にとっても良いことだと思う。
「天佑様、ちょっとよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ。」
側近の1人が少し神妙な面持ちで立っている。平和な時間はそう長くは続かないもの。これも定石か。そんな事を思いながら側近の会話に耳を傾ける。
「それって、本当なの?」
「いや、まだ詳しくは…。」
「わかった。じゃあ、本人に聞いてみるよ。椿は今どこに?」
「買い出しに行っているみたいです。すぐに戻ると思いますが。」
「じゃあ、ちょっと外に出てくる。」
そういって足早に外に。電話を掛けようか悩んでいると見慣れた姿がそこにあった。いつもだったらすぐに声を掛ける所だったが、躊躇してしまった。彼女の視線の先を見て先ほどの会話が頭を過る。
「椿さん、誰かと結婚されるんですか?」
側近の会話を聞いたときは誰かの勘違いかと思ったが、確信に変わっていった気がする。不動産屋の前で物件を真剣に眺める彼女。結婚をするなら家も新しくなるだろう。声を掛けなければと思うが、いつものように気軽に声を掛けることができなかった。自分の中で沸々と黒い感情が湧きがってくるのを感じていたからだ。
「あっ!ボス、どうしたんですか?」
「椿…。」
ぼんやり立ったままの自分に気づいたのは彼女だった。いつもと同じように屈託ない笑顔を。今、このタイミングで聞いてしまえばいいのに、言葉は変わらず出てこない。
「ごめん。ちょっとぼんやりしてた。」
「変なボスですね。」
自分の前を先に歩く彼女。その様子をじっと眺める。ウキウキとしているのは気のせいだろうか?いや、違う。やっぱりこれは…。結局、その日は椿に真相を聞くことができなかった。
◆◇◆
最近自分の周りの視線が気になる。横浜流氓に来た頃もそういう視線を感じたが、今回はちょっと違うような。好奇の目といった方がいいのかもしれない。はっきり自分に聞きにくればいいのに…。自分がその視線に顔を向けると去っていく横浜流氓のメンバーの人達。
「おーい!」
「あっ!鄭さん!」
この人は変わらず顔を合わせると声を掛けてくれる。良い人だな。そんな事を思っていると、鄭さんは声を潜めて神妙な顔をしている。そして話を始める。
「えっ!」
「なんだ違うのかよ。」
「その噂、結構広まってる感じですか?」
「そうだな。メンバーの中では相手は誰なんだって賭けの対象になってる。」
「はぁ…。」
人の人生を賭けの対象にするとは…。鄭さんは嬉しそうに俺は勿論ボスに全部賭けたけどなと話している。勿論、その噂は事実無根なのできっぱり否定しておいた。
なんかマズイことにならないといいけど…。
その嫌な予感は見事に的中。その後すぐにボスが呼んでいると言われて急いで向かうと黙ったまま座っているボスが。その顔は言うまでもなく怒っているような顔で辺りの空気もピリピリとしている。
「………。」
あまりの威圧感で言葉が出ない。そう、例えるなら首筋にナイフを突きつけられているような感覚に似ている。いつもは飄々としているのに、やっぱりこの人はマフィアのボスなんだ。改めてそんな事を思って俯いているとボスは静かに立ち上がっていた。
「椿、何か隠してることない?」
「ないです。」
「そう…。」
「最近さぁ、椿に関する噂が流氓の中で話題になってるけど。」
「それは違います。」
「本当に?」
ボスは信じていない様子で自分を見る。なんだろう、この喪失感は。今まで少なからずボスの隣にいて信頼感みたいなものは得られてきたと思っていたが、それは自分だけだったようだ。私の言葉をまるで信じていない。
「椿、早く吐いちゃいなよ。相手は誰?」
「だから違うんです。」
「何が違う?」
「あの…。」
違うかもしれないけれど、勘違いする要素はひとつあった。その事実をゆっくりとボスに告げていく。するとボスの顔がみるみる変わっていく。さっきまでの険しい表情とは違い、驚いた顔に。全てを告げ終えるとボスは大きな溜息をついてその場に屈みこんだ。心配になった私は同じようにボスの視線に合わせて屈みこむと今はちょっと気持ちを落ち着けてるから待っててと言われる。私は静かに頷いてボスを見守った。しばらくすると落ち着いたのかいつものボスの顔に戻っていた。
「親父さんが結婚するっていうのをみんなが勘違いしたってこと?」
「そうみたいですね。」
自分の知らない所で話の尾ひれが広がりこんなことになっていたとは…。苦笑しながら、私はまだそんな予定はないですがと言っていると、ボスはそうみたいだねと笑っている。いや、私だっていつかはそういう日がくるかもしれないのに。ムスっとしながらボスを睨むとごめんごめんと言っている。
「じゃあ、家を探してたのは?」
「それも見てたんですね。実は父の相手の方が大阪で警備会社をしている社長さんなんです。だから、結婚を機に大阪にみんなで移ろうってことになったんです。」
「椿は?」
「私はこっちに残ることにしました。弟や妹達は行きますけどね。」
「そっか…。」
「なので、噂は事実無根ですということでボスの方で何とかしておいてくださいね。ここ数日流氓の人達にずっと変な目で見られて困ってたんですから。」
「わかったよ。」
「話はこれで終わりですか?」
「うん。今日はもう帰っていいよ。」
「ほんとですか?じゃあ、家探ししてきます。」
そろそろ本腰を入れて探して行かないといけない時期になっていた。いそいそとボスの部屋を後にしようと思ったが…。
「折角だし、俺も一緒に見てあげるよ。」
「いや…。」
「ほら、こう見えても俺の方が人生の先輩だし。」
「………。」
はい決まり!とボスは私の手を取り、嬉しそうに歩いている。こうなるといつもこうなんだよねと思いながらも、いつものボスに戻ってくれたことにほっとする私であった。
「ここは安くて良さそうかも。」
「はい、却下!」
「えっ…。」
「部屋がひとつしかないじゃん。」
「いや、一人暮らしなんで1Kで十分だと思うんですけど。」
「オートロック付きじゃないと女の子だし何かあったら駄目でしょ。」
「オートロック付きだと値段が上がっちゃうんですよね…。」
「ほら、こことかは?」
「ボス、ここはファミリー向けですよ。」
「いいじゃん。そろそろ俺も別宅欲しいと思ってた所なんだよね。」
「いや、だから…。」
いつものボスに戻ってくれたことは嬉しいことだが、早く家を決めなければ。理想の物件に出会うまではまだ少し時間は掛かりそうだ。
人の噂は倍になる
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