ふとした時にどうでもいい事を思い出すことがある。それは以前付き合っていた彼氏の家にいた時のことだ。一生懸命にコントローラーを握りながら私にそのゲームの魅力を話していた当時の彼。興味はなかったが、その彼が嬉しそうに話す姿を見るのが好きだったなぁと当時の私は思っていた。

そしてふと思うこと。まさに今のその状況がその当時彼がしていたゲームのようだと。そのゲームの主人公はただひたすら見つからないようにターゲットに向かっていった。時に段ボールに潜り、時に匍匐前進で。

まさに今の私がそのステルスのようだ。

◆◇◆

どう足掻いたとしても月曜日の朝は誰しも訪れる訳で逃げることはできない。今までも行きたくないと思う事もあったが、今日はまた別だ。

峯とどんな風に顔を合わせればいいのか!?

…といっても今までそんなに接点がなかったので杞憂に終わればいい。自分に暗示をかけるようにして会社に辿り着く。自分のデスクに座り、PCをつけて、モニターを睨めっこ。いつもの朝だ。

「峯さん!おはようございます!」
「これ、良かったらお昼に食べてください!」
「今度の週末空いてますか?」

これもいつもの光景なのに今日はその声がやけに自分の耳に入ってくる気がする。なぜだろう。理由はわからない。今まではそんな声はただの日常の一部だった。毎日懲りずに頑張っているなぁ。相変わらずモテてますねぇ。などと他人事だった。
それでも他人事だと思えなくなってしまったのは峯と肌を重ねてしまったからだろう。どういう意味で私の事を好きといったかは未だに真意は分からない。今、明らかにわかることは峯の周りに群がる女の人達の方が格段に綺麗だということだ。

どうして、私なんかに?

問いかけたい気持ちがあるが、もう関わることはやめておこう。そう自己完結してそっとモニターから目を離す。すると視線の先に交わる2つの眼。思わず、椅子から転げ落ちるかと思ってしまった。

峯!!

こちらをじっと見ている。その脇には女の人達が何かを言っている。でも、視線の先には私がいる。途端に居た堪れない気持ちになってくる。自分の事を本当に好いてくれる女性の手を取ればいいのに。私はただ欲に負けただけの女なのに…。

「課長、外回り行ってきます。」

PCを閉じて鞄を持って外に出る。峯の視線にはまるで気づいていなかったように。そこから一週間、私はひたすら峯との接触を断つことに徹していた。

◆◇◆

ギャッハッハッハ、イッヒッヒッ…。
これは昔懐かしの笑い袋。いえ、違います。

「そんなに人の不幸がおもしろいですか?」

「いや、そんな訳ちゃうんや…ヒヒッ…。」

まだ笑い足りないのかお腹を押さえて笑う真島さん。本当によく笑う人だ。私は目の前の鉄板を見ながら溜息をひとつ。
やっと一週間が終わり、通常よりも疲れを感じた私。頑張った私にご褒美という訳ではないが、何か美味しいものでも食べて帰ろうと考えて神室町の馴染みのお店に入ろうとしたら真島さんに声を掛けられた。そして私の顔を見て何かを察したのかじっと何も言わず見ていた。その視線に根負けした私はかいつまんでここ数日の話をした所、これだ。

「あんなに私、興味ありません!みたいに言うとったのにあっさり身体許してもうて…ほんまおもろいのぅ、夏チャンは。」

私の声真似をして茶化す真島さんに苛立つ気持ちになるが、正論過ぎてぐうの音もでない。私はただ黙ったまま鉄板の焦げができた部分を削ってコテを口に運ぶだけ。気分が乗らない日だともんじゃの仕上がりもよくない気がする。味はいつもと同じ筈なのに。やり切れない気持ちをコテでガリガリ削る事で落ち着かせている。

「まぁ、ええやないか!これで夏チャンにもついに春がきたってことで!」

「私、付き合うとか好きとか言ってませんよね。」

なんかもんじゃって美味しい食べもんに見えへんのぅと言いながらもコテをガリガリしながら同じように口に運ぶ真島さん。私はその様子を静かに見ながら同じようにガリガリして口に。

「ええやないか。とりあえず付き合うてみたら。」

「なんか、身体から始まるってすごく不純じゃないですか?」

なんだかそういうのはすごくフェアじゃない気がするんだ。それはやはり朝に毎日見ている峯に好意を持っている女性達を目の当たりにしているからだろう。もしも、峯があの中にいる女性の中から一人選んでお付き合いするなら分からないでもない。でも、私は外野にいて全然興味もなく、ただ欲に溺れただけ。全くもってフェアじゃない。

「男女の関係でそんなん取るに足りんことやろ。」

そういって真島さんは煙草に火を点けている。先ほどとは違って真面目なトーンで言われて鉄板に向けていた顔を上げる。何かを考え込むようなその顏。黙っていれば真島さんはかっこいい。きっと今までも色んな恋愛をしてきただろう。そしてその中で選んだ一人の人と生涯を共にすることを決めた。きっとその出会いはとてもドラマチックなんだろうと。

「何で、私なんかの事がいいって言ったんですかね?」

ジョッキを飲みながらそんな事を。こんな事を真島さんに言った所で無意味なのに。真島さんはその言葉にちょっと考え込むようにしてから吸い殻を乱雑に灰皿に押し付けている。

「夏チャンはもんじゃみたいやのぅ…。」

「えっ?」

突然全然違う方向から飛んできた言葉に思わず唖然としてしまう。でも、真島さんの顔は真剣だ。ちょっとだらけていた姿勢を正して座り直す。

「食べてみるまでわからんけど、食べたら美味しいっちゅうことやな。」

「はぁ…。」

褒められているのか貶されているのか分からない言葉にちょっとがっくりする。こういう言葉じゃなかったんだけどなぁと思いながら。

「夏チャンは自分の事をすごく低く見積もるけど、十分、魅力ある女やと思うで。」

「そうですか…。」

嬉しい言葉だけれど、多分お世辞だろうなぁと思う。どうしてこうも自分は卑屈なのかは分からないが、昔から素直に受け取れない。要は自分に自信がないからだ。

「まぁ、一番は奥さんやけどな。」

「まぁ、そうですよね。」

さっきとは違って砕けた雰囲気になり、ちょっとだけ誰かに話したお陰でモヤモヤが解消されたようなされていないような。でも、気分は真島さんに会うよりずいぶんましになった気がする。

「真島さん、ご馳走になっちゃって良かったんですか?」

「そんなんええわ。それより、ちゃんとするんやで。」

「…はい。」

真島さんの意図する言葉の意味はわかった。要はちゃんと現実と向き合えということなんだろう。

少しだけ、峯と向き合ってみようか。

空車のタクシーを探しながらウロウロとしている私。金曜の夜はなかなか捕まらないなぁと諦めて電車で帰ることにして歩いていると少し離れた先に見慣れたパイソンのジャケットが見える。真島さんとは店の前で別れたけれどまだこの辺りをぶらついていたようだ。いや、待ち合わせか?そんな様子を見ていると駆け寄る女性が。

真島さんの奥さん!!

後ろ姿だけで見えないけれど凛とした感じの奥さんが駆け寄って何やら楽しそうに見える。会話は聞こえないが雰囲気で感じ取れる。真島さんは慣れた手つきで腰に手を回してからお尻に手を伸ばそうと試みている。するとさっと出てきた手にピシャリと叩かれている。

尻に引かれてる、真島さん。

思わずくすりと笑いそうになるが、次の瞬間その笑みは止まる。奥さんがその叩いた手を大事そうに取ってぎゅっと繋ぎ直していた。なんか、いいなぁ。羨ましくなる光景を見て、すごく自分が惨めな気分になった。なぜだろう。理由はわからない。

言えるとすれば、峯が原因だろう。過去の恋愛のあれこれを含めて恋愛脳にさせたのだから。だからと言ってすぐに峯と恋愛するかどうかは分からない。
逃げてばっかりでよくないのは重々承知だが、やっぱり大人って狡い。面倒なことから逃げて楽をする術を知ってしまったからだ。

ゆっくり考えながら帰ると決めた電車の中でそんな事をふと思った。

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