恋、愛、友情…。
そんなもの全て自分には必要のないものだと思っていた。そう、あの頃は。

予定の時間はとうに過ぎて急ぎ足でいつものバーへ。来る前に連絡はしたが、中に入ると目当ての人物はまだいない。…ということはどうやら遅れたことにはなっていないようだ。顔見知りであるバーのマスターはまだ来ていませんよと丁寧に伝えてくれてようやくほっと一息。いつもの場所のいつものカウンター席に腰かけると分かっているかのようにいつも頼むものが。

グラスを傾けて一口飲んでいると胸ポケットが振動。タップして内容を確認すると案の定、遅れるから先に飲んでいてくれと書いてある。簡潔に返信を送り、ポケットに直そうか悩んで再び画面を開く。
坂本夏と表示された名前。何か用がある訳ではないが、取り留めのない内容を書いて送る。彼女とこんな風にやり取りをするようになってからまだ間もないが、些細な内容であったとしても彼女のことを知れるのは嬉しい。彼女の反応は薄いが、それでも構わない。

やっと、見つけたのだから。

彼女との過去のやり取りを見ながら感慨深い想いに浸る。以前は女とのこういうやり取りは面倒だと思っていた。自分に寄ってくる女は金か容姿で惹かれてきているのだというのは見え見えだったからだ。かく言う自分もそうで、女なんて欲を満たすだけのもの、自分の横に置いて見栄えをよくするアクセサリーの一種だと思っていた。

それは人に関してもそうだ。昔から関心がなかった。幼少期から貧しい生活を送ってきたせいか、人という生き物を信じられなかった。信じれば裏切られる。信じるものは己と金のみ。それでいいと割り切って生きてきた。
そんな時に出逢ったのが、堂島大吾だった。今までの価値観をいい意味でぶっ壊してくれた人だ。あんなにも器が大きくて肝が据わっている人に自分は未だかつて会った事はない。きっと、これからもそうだろう。

ブーブー。

物思いから現実に。そっとタップして表示を見て口角が上がるのを感じる。変わらずそっけない返事の彼女。それでもいい。すぐに返信を。もう遅い時間だから今日はもう返ってこないかもしれない。それならば、また明日に送ればいい。また明日の楽しみができた訳だ。明日は彼女のどんな新しいことを知れるだろうか?

「今日は随分、機嫌がいいんだな。」

「大吾さん…。」

気づけば横に静かに座っていた。今の姿を見られていたのかと思うと恥ずかしい気持ちに。紛らわせるように咳払いをひとつしていつもの自分に。そんな様子を見て笑う大吾さん。変わらずこの人は人が悪い。どうせ、分かっているのだろう。大吾さんの手元にグラスがきたことで乾杯の空気に。グラスを合わせて今日も静かな時間が始まる。

大吾さんとはいつも他愛無いことを話す。互いの近況や仕事の愚痴であったり。大吾さんのいる世界は自分のいる世界とは違う。それでも、悩みは人であれば大小ある。自分も時に大吾さんから相談を受けることもある。自分なんかで解決になるかは分からないが、自分の率直な考えを伝える。自分よりも歳が下の意見なんて普通は取り合わない筈だ。ましてやカタギである自分。本来であれば同業のヤクザの人の意見を聞いた方がいいに決まっている。

「あぁ、そういう方法もあったんだな。」

「まぁ、これはあくまで俺の意見ですが。」

いつもこんな風に素直に耳を傾けられる人だ。それまでヤクザと言えば、暴力でねじ伏せるイメージしかなかったけれど、大吾さんと出逢ってからその考えは180度かわった。こんな人もいるんだと。

「じゃあ、次は峯、例の件だが…。」

「例の件?」

3杯目のグラスに手をつけようとしていると大吾さんは少し笑みを浮かべて自分を見る。何の事だろうと色々と思案してみるが、何の事を指しているか分からず返答に困る。すると、悪戯っ子のような顔で告げた。

「見つけたんだろ。」

「…………。」

やはり、大吾さんはよく人を見ている。黙ったままの自分に対して大吾さんは良かったなと自分の事のように喜んでいる。こういう所なんだ、この人のすごい所は。

所詮、人は自分しか愛せない。

かつての自分はそう思っていた。けれど、大吾さんと会ってからはその考えは変わった。大吾さんに何か嬉しいことがあれば自分も嬉しい。それは大吾さんが自分にとって大切な人間だから。

「で、どうなんだ?」

「まぁ、そうですね。ちょっとだけ進展しました。」

少しだけ酔ってきているのか大吾さんは肘で小突きながら揶揄ってくる。自分はまだ素面なのに。でも、気分だけでも少し酔ってきそうな感じだ。以前、触れる程度にしか坂本のことは伝えていない。けれど、大吾さんはしっかりと記憶していて覚えていたのだろう。カタギのどこにでもいる男のありふれた話のひとつなのに。
それからも何杯かグラスを空にしてバーが閉店の時間に。この頃には少し酔いが回ってきて大吾さんはいい感じに酔っているのか迎えの車を待つ間、嬉しそうに鼻歌を歌っている。本当に面白い人だ。

「じゃあ、今度は俺に紹介してくれ。」

「まだ先になりそうですが…。」

「そうか。」

迎えの車が来て、大吾さんは車内に。窓が開いてまた行くぞと一言。大吾さんからは送っていくぞという申し出は断り、家までのんびりと歩く選択を。なんだか、今日はそんな気分だ。
そっと携帯を取り出して、返信がないのを確認する。それでもいい。もう寝ているかもしれないけれど、ちょっとだけ酔いが判断を鈍らせる。いや、違うか。酔っているからこその本心という所か。

彼女の声を聞いて今日は眠りたい。

何度か耳にコール音がしてふいにその音から彼女の声が。どうやら眠っていないようでコツコツと靴音と共に何?と少し怪訝な声が。

「夏の声が聞きたかったから掛けただけだ。」

「なっ!!」

動揺したのか何かが落ちた音が耳にする。その情景が目に浮かんで思わず笑ってしまう。彼女は怒っている様子で何もないからと言ってさっきよりも靴音が大きくなった気がする。
暫く、歩きながら彼女と会話を。彼女もどうやら帰りだったようで、あと少しで家に着くと言っている。

「峯、そろそろ着くから切るね。」

「あぁ…。」

「おやすみ。」

「おやすみ、夏。」

電話を切った後も暫くそのままでいた。何だろう、この幸せな感じは。まだ彼女は自分のものではないのに満たされていく感じ。今日はよく眠れそうだ。本当はシャワーを浴びてベッドに入るつもりだったが、そのままベッドに沈む。彼女の声の余韻に浸りながら眠りにつきたかった。

まだまだ関係性は変わりそうにない。
でも、諦めるつもりは毛頭ない。
やっと、見つけたのだから。

そこでようやく瞼が落ちて眠りに落ちた。


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