言葉とは不思議なものだ。その真意を読み解くには経験が必要なのだろう。私はまだその経験が足りなくて、要は真島さんのことをまだまだ知らなかったのだ。
2月初め。新年からひと月経った。すっかり新年の気分はなくなり、まだまだ寒い時期。真島建設の社内では体調を崩す人がちらほらと。人員が確保できなくなると、工期も遅れが生じる。予定を組んでいても、なかなか修正はできず、忙しい日々が続いていた。

「チョコ?」

「そうです!14日は月曜日なので、皆さんに配ろうかなって。」

「そうか。ええんちゃうか。」

珍しく乗ってこない真島さん。いつもの感じだったら、俺のチョコは特別やでと言ってきそうなのに、そんな感じではない。やはり、ここ数日の疲れが溜まっているのだろうか。家にいても疲れている様子を見ることが多い。
それとも…。
チョコが嫌いということもあるかもしれない。社員の人達の分は早々に用意をしていたが、真島さんの分はどうするべきなのか悩みながらとりあえずまだ時間はあるし、一旦、保留にすることに。
悩んでいることを後回しにしてしまうのが私の悪い癖だ。結局、後回しにしてしまうと良い結果になった試しはない。用意した方がいいのかしない方がいいのか。答えが出ないまま、当日を迎えてしまう。

「皆さんで食べてください。」

「高城さん、ありがとうございます。あの…。」

西田さんが少し困った様子で私の前に。嫌な予感がしながらも、西田さんの話を聞く。そして、後回しにしたツケがここで一気に返ってくることに。

「親父には後でチョコ渡すつもりなんですよね?」

「あっ…。」

私の気まずい顔を見て、西田さんの顔がさらに曇る。やはり、真島さんはチョコを期待していたようだ。あの態度だったらわからないと言いたくなるが、そこを読み取れなかったのは私のミスだ。
そう、好きな人のことならわかってあげなければいけない。

「親父、ああ見えて結構面倒な所があるんで、仕方ないですよ。」

「いえ…。私のミスです。ちゃんと始めから用意しておけば良かったんです。」

泣きそうになりそうな私を励ますように西田さんは優しい言葉を。西田さんの方が真島さんのことをよく知っている。そのことに気づいて、更に自分が嫌になってしまう。私は真島さんの何を見ていたのだろうと。

「親父の機嫌は何とかしておきますから、今日は、もう上がってもらって、チョコの準備してもらっていいですよ。」

「でも…。」

「親父が機嫌悪いとみんな困りますから。」

西田さんの困ったような笑顔を見て、申し訳なさが一杯になる。ここまでお膳立てしてもらって、採る方法は一つ。私は身支度を整えて、今日の仕事は終わりに。いや、まだ今日の仕事は終わっていない。

チョコをどうするべきなのか。

時間はあまりない。今、できることで精一杯の気持ちを伝えられるモノを探しに街の中へ。

◆◇◆

別に言葉にしなくても、自分がわかっていればそれでいい。自分が彼女のことを愛していれば、彼女も自分のことを愛しているだろうと。

「チョコ?」

「そうです!14日は月曜日なので、皆さんに配ろうかなって。」

「そうか。ええんちゃうか。」

何気ない会話の中のひとつ。勿論、彼女の中では自分用にも用意してくれていると当然思っていた。言わなくても、その気持ちは伝わっていると。あえて、口にするのは野暮だ。彼女は分かっているハズ。どんな形であれ、自分用にチョコを用意してくれているだろうという驕り。

しかし、どうやら目論見は外れていたのかもしれない。
いつものように朝を迎えるが、彼女はいつも通り。渡すタイミングとしては今が一番のハズだが、彼女はいつも通りに身支度を整えて、あっという間に事務所に到着。さて、じゃあ、ここで渡してくれるのだろうかとそわそわした気持ちで彼女に傍にいるが、ここでもいつもと同じ。

「社員さんの分のチョコはここに置いておこうかなぁ。」

「そうやのぅ…。」

一瞬、自分用のものかと気分が上がったが、すぐに下がる。まさか、彼女は本当に用意していないのかもしれない。急に嫌な予感がして、彼女から問いただすこともできず、作業に入る。

聞けば楽になるのに。

そう言われてしまえば、そうだ。けれど、自分のことを大切に思ってくれているハズ。だったら、チョコは特別なものだろう。そういう気持ちがあるせいで、素直に聞くことができない。自分の中で煮え切らない沸々とした気持ちが苛立ちに。いつもだったら、騒がしい現場なのに、一人黙ったまま。社員もその空気を感じ取ったのか妙に静かだ。気を遣われていると気づいて、更に苛立ちが増していく。

もうええ、聞いてしまったら解決するやろ。

用意していても、いなくても。全て、彼女に聞けば、今の気持ちが随分と楽になる。事務所のドアを開けて、中に入る。いつもだったら、すぐに彼女が声を掛けてきてくれるが、静かだ。誰もおらず、彼女の机は綺麗に片付けられている。

なんで、おらんねん。

社長の自分に何も言わず、おらんとはどういうことや。折角、苛立ちを抑えようと思っていたのに、怒りがピークに達してくる。暴れたくなる衝動が沸々と湧いてくるのを感じた時に、ドアが開く。

「お、親父…。」

「なんや、用事か?」

「高城さんは、今日は体調が悪いので早退しました。」

「ほぉ…。」

朝起きた感じではそんな様子は一切なかった。探るように西田の顔を見るとひぃと小さな悲鳴のようなものが聞こえる。

「俺は嘘が嫌いや。ほんまのことを言うたら、許したる。」

「うぅ…。」

珍しく頑なに口を閉ざしている西田。そこまで隠したいものなのだろうか。収まらない苛立ちは更なる黒い感情へと移行していく。

椿、ひょっとして他の男にチョコ渡しとるんか。

自分の悪い所だ。苛立ちがピークに達するとすぐに考えが飛躍してしまう。そして、その考えに一旦到達すると、冷静になれない。一旦、この考えが生まれてしまうともうそれしかないと結論づけてしまう。

「西田、俺も具合悪いから、早退させてもらうで。」

「えっ…。」

抑揚のない声でそう告げる。西田は、困った顔で、わかりましたとだけ言った。わかっているのだろう。俺が一旦こう決めたら止まらないということに。

とりあえず、家に行ってみよか。

収まらない怒りを鎮めるために。全て、自分の杞憂であってほしいと思いながら、家路へと急ぐ。

◆◇◆

いい感じに焼けた!

買い出しに出たときは、絶望的な状況だったけれど、今は違う。綺麗な焼けたホットケーキにフルーツ、クリーム、チョコシロップをかけるといい感じに。

真島さん、喜んでもらえるといいな。

とりあえず試作品で作ってみたが、これなら本番もうまくできそうだ。以前、朝食にホットケーキを作った時に真島さんが喜んでいたのを思い出して、ホットケーキを飾り付けしてみたらいいんじゃないかと思った。安易な考えかと思っていたが、出来栄えは上々。あとは夜になるのを待つだけ。トッピングのフルーツ、クリームを冷蔵庫に入れてようやくほっと一息となるはずだったのだが…。

「えっ…。」

焼くことに集中していたので、スマホが鳴っていることに気づかなかった。夥しい量の真島さんからの着信。そして気づく。早退することを社長である真島さんに言っていなかったことに。

心配してるのかも…。

急いで掛け直そうと思っているまさにその時だった。ガチャリと鍵の開く音がして、真島さんが部屋の中に。真島さんとすぐに声を掛けようと思ったが、思わず口を閉ざしてしまう。

「家におったんか。」

言わなくてもわかるくらい怒った顔の真島さんがそこにいて、思わず怖くて後ろに下がってしまう。すると、真島さんは距離を詰めてくる。私は下がる。しかし、すぐに壁に追いつめられる。

「勝手に早退してすみません…。」

きっと、真島さんは勝手に帰ったことを怒っているのだろうと思っていた。けれど、違っていたようだ。

「誰にあげるつもりなんや!」

「えっ…。」

怒っている真島さんからの言葉。意味が分からず、動揺していると、チョコやと一言。誰って…。今、目の前にいる人の為なんだけど…。
言葉とは不思議なものだ。わかっていることだけれど、言葉にしなければいけない場面がある。それが正に今だ。

「…真島さんのチョコを作ってたんです。」

「はぁ?」

本当はサプライズにして驚かそうと思っていたけれど、仕方ないと思って伝えたのに、真島さんからは意外な反応が返ってくる。私は真島さんの顔を見つめる。すると、さっきまで怒っていた様子だったのに、急に落ち着いたようで、私の掴んでいた手を離して、その場にへたり込んでいる。

「真島さん…?」

「他の男にあげる為に、早退したんとちゃうんか?」

「えぇ!!」

弱々しい真島さんの声。ここでようやく状況が少し飲み込めてきた。どうやら、真島さんは私が他の人にチョコをあげると勘違いしていたようだと。

「真島さん、チョコ欲しいのかわからなくて悩んでたんです。用意が当日になってしまったんですけど、それでももらってくれますか?」

「そんなん聞かんでもええ。もらうに決まっとるやろ。」

俯いていた真島さんの顔がいつもの笑顔に。ようやく、ここで私も笑顔になる。わかっていると思っていても、やはり言葉で伝えることはとても大切なことだと学んだバレンタイン。

「真島さん、出来ました!」

「おぉ!ええ感じやのぅ…。」

飾り付けしたホットケーキを真島さんの前に。嬉しそうに食べてくれているのを見て、嬉しくなる。そして学ぶ私。イベント毎はこれからも真島さんと楽しみたいと。そんな事を思っていると、真島さんが声を掛けてくる。

「お替りですか?」

「ちゃうちゃう。ここになんかついてへんか?」

唇の横にクリームがついているのが見える。真島さんにクリームついてますよと伝えるが、真島さんはそうかのぅ…と惚けた声が。

「椿、取ってくれへんか?」

「えっ…。」

また言葉の真意を探る時間に。すぐにその答えはわかることに。伝えられない言葉は態度に。真島さんにそっと近づき、クリームをそっと舐めとると、そうやと嬉しそうに。そしてすぐに落ちる口づけ。甘い香りが鼻を掠める今日だけの特別な口づけだった。













「あれ?高城さんは?」

「今日は、具合悪いから休みや。」

「えっ…。でも…。」

「昨日も具合悪かったんやから、しゃあないやろ。」

「そ、そうですね。」

ツヤツヤとした顔の親父を前に何も言えない西田。そう、理由はひとつ。きっと、高城さんは別の意味で疲れ果てているのだろうということに。親父の機嫌が直ったのは良いことだ。高城さんの身を案じながらも、親父と仲が良いのはいいことだ。そう、西田は自分に言い聞かせていた。




世間知らずと勘違い



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