その話を告げた時、喜んでもらえると思っていた。でも、反応は違っていて眉間に皺を寄せて黙っている。そう、気まずい空気。私はその真意が分からず、戸惑ってしまった。ただ、私は社長に迷惑を掛けないように早く自立できるように考えた術がそれだったからだ。
だからこそ、笑って送りだしてくれるものだと思っていた。
それはただの自惚れだったのだろう。

◆◇◆

「えっ!本当にこの部屋貸してくれるの?」

「ここに住んでる人が急に海外転勤になったらしくて暫く誰も住まない状態になるからその間だけになるけど。」

あれからこの前の友人に連絡を取ってみるとすぐに良い物件があると紹介を受けて今日はその部屋を見に来ていた。

「どのくらい?」

「とりあえず2年は赴任するみたい。」

「じゃあ、その間、住んでいいってこと?」

「すぐに入ってほしいみたいだから家賃も安くていいって。この金額だとどう?」

「本当にこの額でいいの?」

今までみてきた家賃よりも破格の金額が目の前に。これは断るという選択肢はもはや皆無。ふたつ返事で受けることにした。私はようやく長い悩みの種であった家のことが決まり、ほっと一安心。仕事も決まり、家も決まり、ようやく私も人様と同じようになれる。スキップをしながら帰り道を歩いていると目の前にみえる屋台。

「おばちゃん、あんことクリームひとつずつ。」

「あいよ。」

ホカホカと湯気が立ち込めて甘い香りが鼻を掠める。社長、たい焼き食べるかな。まぁ、冷めても温めたらいいし、買って帰ろう。嬉しい報告をたい焼きを肴にして話そうとそんな事を考えていた。

それなのに…。

「ふぅん。そうか…。」

家が決まったことを告げると鈍い反応が返ってきた。気まずい空気が立ち込める室内。帰ってきた時はいつも通りの明るい感じだったのに…。気分を変えようとたい焼きを食べるかどうか聞くが今は腹が減ってへんとそれだけ。

「今日はなんや調子悪いから先に休ませてもらうで。」

「…わかりました。」

その日はそれから社長の部屋のドアが開くことはなかった。私は冷めたたい焼きを一人ダイニングで齧った。

「全然美味しくない。」

社長のドアを睨みながらそんな独り言を。その日から社長と私の関係はぎくしゃくしたものに変わる。

「高城さん、親父と何かありましたか?」

「いや…特に。」

休憩の合間に西田さんがこっそりと私に。この前の機嫌が悪かったのはたまたま虫の居所が悪かったのかと思っていたが、そうではなくあの日を境に社長は妙によそよそしい感じに。要は避けられているような。いつもと違うその社長の雰囲気に西田さんも何かを感じ取ったのだろう。堪りかねた様子で西田さんは私を見ている。

「心当たりはないんですけど、家が見つかったってことを告げてから様子がおかしくなったんです。」

「そうですか…。」

西田さんはそれだけ聞くと少し考え込んでいる様子。私もどうしていいか分からず困惑する。

「ひょっとして…。」

西田さんはピンと何かきたようだ。親父には内緒ですよと言われて私が頷くのを見てから思い当たる節を告げていく。

「西田さん、話してくれてありがとうございました。」

「いえいえ。親父のこと頼みました。」

「わかりました。」

西田さんに言われたことを考えながら今日は残業せずに早めに帰ろうと考える。社長としっかり話をしようと心に決めて。

しかし、待てど暮らせど帰ってくる気配はない。

「親父は高城さんがいなくなるのが寂しいんですよ、きっと。」

西田さんに言われたことを思い出す。本当にそうなのだろうか?確かにこの部屋に初めてきたときは部屋全体が寂しい感じがした。でも、それは私ではなく他の人と暮らしても同じように感じるのではないのだろうか?

もういいや。

社長には感謝しきれないくらいお世話になった。けれど、今の状態のままではどうしようもない。溜息を尽きながら段ボールに必要なものを詰めていく。引っ越しの日まではあと少し。
心残りはあるが、まだ私は真島建設の社員。引っ越しをしたとしても毎日顔を合わせるのだからその都度話しておけばいい。そう、都合の良いように考える。そうしなければ前には進めないからだ。

そしてようやくその日がくる。

予め運べるものなどは運んでおいたので残りはボストンバッグだけ。社長の部屋のドアは開いていて昨日は帰宅しなかったようだ。変わらず仕事では事務的な会話のみで、以前のような関係ではなくなっていた。

それでも…。

お世話になった社長であることには変わらない。これが正解なのかどうかは分からない。けれど、これは私なりのケジメ。

よし、これでいいか。

何が喜ぶのか分からなかったけれど、ダイニングテーブルにおにぎりとおかずを作って置いておく。そしてその横には手紙を。話せなかった分の気持ちを文字にしたためて。

これで大丈夫かな。

手紙の横にそっと鍵を置いて部屋を後に。

ようやくまた新たな始まり。それなのに天気は曇り模様。それも仕方ないのこと。物事の全てが思うままに進むとは限らない。
新しい部屋で一人過ごしながら思う。寂しいとはこんな気持ちなのだろうかと。でも、その気持ちも徐々に慣れてくる筈。そう、自分に言い聞かせてその日は早くに眠りについた。

私の知らない所で何か大きなコトが動き出しているとはこの時の私は知る由もなかった。



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