タイミングが合わないというのは世の常。一方がうまくいっていれば片方はいかない。常に世の中はそんなもの。
そして不幸というものは突然降りかかる。何で自分だけ?何であの人なの?突きつけられた現実を受け止められず、そんな時に人は現実逃避。
「長くて1年ですね。」
「そんな…。」
目の前の医者は淡々と話を続ける。まだ私の頭の中はパニックなのに。これからの治療について話をしているが私はどうしていいか分からずただ頭が真っ白に。
何でこんな事に…。
そんな事を思いながらも事実をどう告げるか悩んでまだ家には帰れない。きっと嘘が下手な私のことだから夫はすぐに異変に気づくだろう。真実を告げるか否か。やっと掴んだ幸せはあっけなく目の前からまさに消えてなくなる寸前。
本当に人生とは儘ならない。
「最低!」
家に帰ろうと思っていたのに帰れず来たのはミレニアムタワー。ここは夫と初めてデートした思い出の場所だ。
受け止めきれない現実をただひしひしと感じていると目の前では男女が喧嘩をしている。…と言っても女の人が一方的に男の人に文句を言っているだけなのだが。頬を叩かれた男の人はさして気にも留めず淡々と女性の話を聞いている。要するに男の人は本気ではないのかもしれない。
「もういい!これっきりだから!」
最後は痺れを切らした女の人が持っているバッグで男の人を叩き、去って行く。何か言い返せばいいのにと思いながらも男の人は去って行く女の人を追いかけることもせずそのまま煙草に火を。
そして視線が合う。
「何や、ネェちゃん、おもろかったか?」
「いえ…。」
気づけば私の隣に腰かけて女ってようわからんのぅ…なんて言っている。私もその女だけれどと言いたくなったが言葉にしない。さっきは遠目で見ていたから分からなかったけれど近くにきてわかったこと。この人、ヤクザだ。胸元に散った派手な和彫。ファッションではない本職の証をまざまざと見せつけている男。
「何も取って食わんで。」
私が黙ったままでいると笑いながら語りかける男。私は苦笑いを浮かべながら淡々と男が話しているのをただ聞いているだけ。不思議な男だ。ただ、そんな第一印象。
「そろそろ、私、行きますね。」
時計を見てお店を開ける時間が近づいていた。男は少し不思議そうな顔で私を見る。何か変な事でも言ったのだろうか?そんな事を思っていると意外な一言が。
「ネェちゃん、名前は?」
「高城椿です。」
「そうか。俺は真島吾朗や。」
この時の会話はこんな感じだったと思う。そこで会話が終わり、私は店へと急ぐ。さっきまで沈んでいた気持ちがマシになったのは非日常的な体験をしたからかもしれない。それでも夫の顔を見ると気分が沈む。そっと気づかれないようにいつもと同じように準備を始める。見たくない現実に蓋をして。
それが私と真島吾朗との長い付き合いの始まりだった。
◆◇◆
人の人生とは呆気ない。そんな風に思いながらすでに灰になってしまった夫の亡骸を抱きかかえながら思う。結局、私の選択は正解だったのかは分からないが、夫に余命宣告をすることはしなかった。一分一秒でも夫の傍にいたいという私のエゴだ。決断をしてからの日々は本当にあっという間でそれでも私の人生の中で一番濃い時間だった。
私はこれからどうすればいいのか?
いつの間にか悩んだり苦しくなったり悲しくなったりするとくるのかこの場所だった。
夜遅い時間帯のミレニアムタワーは人がまばらで物思いに耽るのにぴったりの場所だった。
ネオンの光に邪魔されて見える星もまばらだけれどそっと空に手を伸ばせば何となくそこには夫がいるようなそんな感覚に浸れる。
「なんや、あの時のネェちゃんか?」
「あっ…えっと…。」
突然のことで動揺していると真島やと言われてあの時の出来事を思い出す。私の顔をじっと見てからまたあの時のようにそっと横に腰かける真島さん。不思議な人だ。今は誰とも話したくないし、一人でいたい筈なのにこの人の独特の空気がそれを嫌と感じさせない。
「何や、葬式帰りか?」
「…まぁ…そんな所です。」
私が言い淀んでいるとまぁ、色々あるもんなぁ、人生はと言っている。軽そうな感じなのに肝心な所には踏み込んでこないこの優しさになぜだか胸を打たれた。
「どないしたんや?」
「いえ…何でもないんです。」
持っていたハンカチで目頭を押さえる。止まらない涙はあっという間にハンカチに染みを作っていく。本当は辛くて悲しくて叫びたいんだ。
何で、私だけを置いていってしまったの?
言葉にならない痛みは嗚咽になっていていつの間にか真島さんは私の背中をとんとんと優しく叩く。そう、久し振りに触れる人の優しさ。やっぱり不思議な人だ。
「ありがとうございました…。だいぶ落ち着きました。」
「ほんまに一人で帰れるんか?」
「はい、近くなんで。」
そういって私と真島さんは別れた。きっともう会う事はないだろう。そんな風に思いながら私は歩いていく。ようやく少しだけ前を向こうと思っていた。
それでも、何か不思議な縁があったのだろう。それからまたすぐに出逢うことになった。
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