気づいてしまったその感情。伝えてしまえば簡単なのにそれができれば苦労はしない。恋に落ちるのは一瞬なのにそれを伝えるということはひどく時間を要する。
ランチの時間には遅いがティータイムの時間にはまだ早い。そんな合間の時間のカフェで夏の終わりを感じながらストローを揺らすと中の氷がカランと音を立てる。

「でね、その後の彼氏の行動がほんと、最低なんだけど。」
「海でナンパされた人、カッコ良かったなぁ。」
「最悪、彼氏に浮気されたんだけど。」

人の数だけ人生があって人の数だけ恋がある。
今は仲の良い大学のメンバーで夏の終わりの反省会といった所が丁度いいこの場の名称だ。

「椿はどうだったの?」

「私?バイトばっかりだったけど。」

「何それ!折角大学最後の休みなのにそれでいい訳?」

苦笑いを含みながらの相槌。そう、大学最後の夏休み。結局、私の夏の思い出と言えば失恋ともやもやとした答えの出ない感情がひとつ。

あのBBQの後、冷静になって考えてみたこと。

-私は本当に桐生さんの事が好きだったのかということ-

まだまだ人生をそこまで長く生きてきた訳ではないがそれなりに恋をしてきたつもりだった。全てがうまくいくわけではないが、その恋の中でも実ったもの実らなかったものがある。今回の場合はというと実らなかった訳で当然ショックな訳で。それなのに失恋の痛みをあまり感じていない自分がいる。不思議なくらい。

そして更に考えてみる。

突き詰めていくと結局、私は桐生さんに対しての好きは憧れみたいなものだったんじゃないかということに。桐生さんの傍にいるとその魅力に引き寄せられる。私はそれを好きと勘違いしていたのではないかということに。そんなはっきりとしない感情のまま、衝動的に桐生さんに想いを告げて見事に撃沈。

そんな事を思い出していると必ず最後に浮かぶ。
あの真島さんとのキスを。
ほんの一瞬の出来事だった筈なのに、どんどん後からリアルにその時の映像が蘇っている。勿論今までもキスもしたこともそれ以上のこともしてきた。でも、全然違う。あの時のキスは。
一瞬で全てを持っていかれる何かがそこにはあった。思い出せば思い出すほど、意外と柔らかい唇だったとか真島さんの触れた髭の感触やら吸っていた煙草の香りやら生々しく自分の脳内を支配していく。

どういうつもりであんな事をしたのか?

聞きたいけれど聞けない。あの後の真島さんは何もなかったように普通の態度だった。考えられるとすればただの戯れという結論。私の中ではこんなに大きく占められる出来事になっているのに当の本人は今日も気にせず神室町で生活しているのだろう。

だからこそ、会いたくなかった。

なるべく韓来に来そうな時間帯にはシフトを入れなかったし、何気なく来る連絡もでなかった。涼しい顔をしている真島さんに対しての精一杯の抵抗だ。こんな事をして何の意味があるのか分からないのに。

「来年は社会人だからこんな風にのんびり夏を楽しめないよね。」

「ほんと、それ!」

そう、来年からは社会人。友人達の言葉を噛み締めながらこのまま働いて出逢った人と結婚して子供を産んでと当たり前のような将来像が浮かぶ。

「椿、鳴ってるよ!」

物思いから現実に引き戻されてディスプレイをみるとまさにそれは今の私の悩みの種で不思議そうに見ている友人には最近しつこい人がいるんだよねと言ってそのまま鞄の中に。
結局このまま逃げている方が楽なんだ。今度はたぶん、わかる。傷ついたら立ち直れない気がすることに。

◆◇◆

まだまだ暑いなぁ。夜から各々予定のある友人達と別れ、早めにシャワーを浴びて部屋でゴロゴロと。携帯を見つめながら溜息をひとつ。夏に残したものは夏の内に消化した方がいいんじゃないか。そんな風に思いながらも結局自分からは掛けることはできない。現実問題いつまでも逃げ続けることなんてできないのに。

ピンポーン。

こんな時間に誰だろう。ドアスコープを覗くと思わず呼吸が止まる。

なんでいるの?

確かに今までも何度か私の家でお酒を飲んだり、そのまま酔いつぶれて寝てしまったりということはあった。それはあくまでお互い何もないという前提だったからだ。…でも今は違う。

「椿チャン、おるんやろ。ちょっとでええから出てくれへんか?」

黙ったままの私に対して痺れを切らしたのか真島さんはドア越しにそう告げる。出る、出ないの2つの選択肢の天秤が目の前で揺れている。

「何それ!折角大学最後の休みなのにそれでいい訳?」

ふと友人の言葉が響く。
このままでいいの?
このままテンプレ通りの将来像で幸せになれる?
もしそうなったとしても今、ここで出なかったことを後で後悔しない?
色々な感情が渦巻く中で私の手はドアのノブに掛かる。

「少しだけですよ…。」

ドアを開けると笑う真島さんがそこにいてなぜだかほっとしている自分がいた。



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