先人達の教えというのはやはり正しいのだろう。夜道には気を付けよう、知らない人についていってはいけないなどと昔から教えというものはある。
そして今の自分に言いたいことはひとつだけ。

寄り道せずにまっすぐ家に帰ること。

仕事が終わり、少しだけ息を弾ませながら目的の場所へ。仕事をしている時は疲れていた身体はたちまち元気になる。仕事をしている時は早く帰って寝たいと思っていたのにどうして人は終わった瞬間に元気になってやる気が満ちてくるのだろう。
付き合っている彼から今日この後行ってもいい?と書かれたメールの文面。疲れはたちまち消えて嬉しさに変わる。どんな話をしよう、どんな事をしようかと湧き上がる楽しい時間。そう、浮かれていたのかもしれない。

そのまま、まっすぐ帰れば良かったのに。

「椿チャンやないか!」

「…真島さん。」

私の彼の上司である目の前の人。初めて彼に紹介された時はその風貌に思わず怖くて震えあがりそうになったのだが、話をしてみると怖い感じはなく、寧ろ気さくで私の彼が尊敬しているといっていたのを思い出して納得した。

「今日も可愛い顔しとるのぅ…。」

「いえいえ…。お世辞はいいですよ。」

「本気でそう言っとるのに信じてもらえんとは残念やのぅ…。」

私は苦笑しながらもウキウキしとったなぁと言われてこれから家に彼が来ることを告げる。変わらず仲がええのぅ…と言って真島さんは私をじっと見る。

「椿チャン、今の姿もええけど、もっと綺麗にならへんか?」

そう、女の子なら誰しもそうだ。好きな人には綺麗に見られたい、可愛いと言われたい。それが女の子という生き物だ。

「勿論、なりたいです。」

そして真島さんは私との距離を詰める。突然のことで驚きつつも低い声で囁かれる。その言葉は呪文のように自分の中にじんわりと入り込む。

「じゃあ、頑張るんやで。」

「ありがとうございます!」

私は真島さんと別れて買い物をする為に寄り道を。真島さんはそんな私の姿を見て笑っているなんてことに気づかずに。そう、まっすぐ家に帰れば良かったのだ。ただ、それだけを守れない私は愚かな人間だ。

◆◇◆

「椿チャンは、色気がちと足りんのぅ…。」

「色気?」

そうやと言って私に似合う化粧品と色を教えてもらい、綺麗になってから家に帰るといいと言われる。そして真島さんに言われた通りの化粧品を買って施すとうん、綺麗。今までつけたことのなかった唇の赤は特に綺麗に映えている。
綺麗になったって言われるかなぁ、可愛いって言われるかなぁ。あぁ、早く会いたい。そう思いながら家路を急ぐ。家の前まで来るとすでに自分の部屋には灯りがついていて彼が来ているのだと思い、嬉しさがこみ上げる。

「ただいま。」

勢いよくドアを開けて声を掛けるが室内はしんとしている。以前もこんな事があった。先に彼が来ていて私を驚かそうとしていたことを。今日もそれに違いない。私は室内を見回りベッドに膨らみがあるのを感じて微笑む。変わらず分かりやすい彼。

「見つけた!」

一気に布団を剥がす。
そして一瞬の間。
人は予想もしない出来事が起きると思考が止まる。
まさにそれが今だった。

「…どうして…あなたが…?」

「遅かったなぁ、椿チャン。」

微笑む真島さん。自分の中ではまだ処理が追い付かない。なんで真島さんがここにいるのか?どうやってここに入ったのか?そもそも彼が来ていたのではないのか?だって玄関に靴はあった。
彼は何処に?と聞くと真島さんはさっきと同じように距離を詰めて耳元で囁く。また思考が止まる。そんな事に構わず真島さんはイヒヒと笑いながら私の服に手を掛けている。

「よう似合っとるのぅ…。その赤。」

やめてくださいと言う間も与えず唇は塞がれる。私の思考はようやく動き始めて現実に。

-あいつは今頃、海の中に沈んどるで-

まだ受け入れられない現実が押し寄せて涙に。そしてどうしてそんな事になったのかわからない。ただ、その全てを知っているのは目の前のこの人だけ。

「寄り道せんと帰っとったら間に合ったかもしれへんのになぁ。」

まぁ、それやったら困ったんやけどな。と言いながら私は静かに押し倒される。逃げないと、声を出さないと。それなのに恐怖が勝って動けずにそのまま受け入れるだけ。

お母さんの言いつけを守らなかった赤ずきんちゃんはどうなったのか?
そう、狼に食べられてしまったのだ。
そう、今の私のように。

私の視界は黒に染まる。




と黒



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