どうして幸せなのに、不安な気持ちになるのだろうか?
どうして幸せな時ほど、恐れてしまうのだろうか。
答えは明白。
もう、そこには幸せはなかったのだろう。
ただ私は愛されたかったのだけ、あの人に。

◆◇◆

「おじさん、椿お姉ちゃん、いってくるね!」

「あぁ、気を付けるんだぞ。」

「いってらっしゃい、遥ちゃん。」

朝の騒がしい時間は終わりを告げて、ようやく2人の時間に。2人分のコーヒーが入ったマグカップをお盆に載せて縁側にいるあの人の所に。

「今日もいい天気ですね。」

「あぁ、そうだな。」

桐生さんはそっと煙草に火を点けてコーヒーを口に。いつも私の淹れるコーヒーは美味しいといってくれる。今日も同じように美味しいと私に優しく微笑みながら言ってくれる。静かな時間だ。穏やかな波の流れを見ながら、横を見ると愛しい人がいる。2人だけになったからいいかなとちょっとだけ甘えるように桐生さんの肩に凭れ掛かる。

「どうした、椿?」

「なんか幸せ過ぎて夢みたいだなって思って。」

「そんな事ないさ。」

「じゃあ、夢じゃないって証明して。」

桐生さんはちょっとだけ困った顔をしてから、私の求めている答えを用意してくれた。そっと触れるだけの口づけをひとつ。それだけじゃ足りない私は更に多くを求めるように深い口づけを落とす。静かな波の音が遠くからする。すぐにそれは聞こえなくなってお互いの吐息だけが聞こえる甘い時間に変わる。

ペチペチ…。

これは波の音ではない。じゃあ、吐息?違う。私の頬に何かが触れている音。いや、正確には頬を軽く叩かれているといった方が良いのだろう。鈍い痛みを感じる。

「あかんで、椿!まだ気ぃ失うにはちと早いで。」

「…………。」

私は暫く状況がうまく飲み込めていなかった。いや、違うな。本当はわかっているけれど、受け入れていなかっただけ。さっきの出来事は自分の願望であり夢。今、目の前に見えているものが現実。まだ、私はこの現実を受け入れたつもりではなかった。

そう、これが今の現実。
私はもうあの日が差し込める暖かい縁側には戻れない。
今はこの虚無な空間で過ごすだけの日々だ。

◆◇◆

「これ、椿お姉ちゃん宛だったよ。」

「ありがとう!遥ちゃん。」

あれから沖縄に戻り、桐生さんの所で穏やかに生活していた。あの1件のことなど、すっかり忘れて。でも、忘れてはいけなかったのだ。私は遥ちゃんから渡された封筒を手にしたことで、あの1件を思い出す。
送り主が書いていない…。ちょっと、不審に思いながらも中身を開封すると、そこにはUSBメモリーだけ入っていた。嫌な予感を感じつつも、中身を見ない訳にはいかない。ここにはパソコンがないので、ちょっと出かけてくるとだけ告げて、ネットカフェで中身を確認することに。

恐る恐るUSBを指して、中のファイルを見る。動画ファイルが入っていた。震える手でそのファイルを押して再生を開始する。

見なければ良かった。

それが正直な感想。しかし、映っていたのは紛れもなくあの日の自分のあられもない姿だ。これで誰が送ってきたのかはわかった。真島さんだ。あの日の出来事をどこからか撮影していたのだろう。

どうして、こんな事…。

ネットカフェを出ると、綺麗な夕日が出ていた。そろそろ夕飯の時間。戻らなければいけないのに、戻ることができない。私の手に握られたUSBが原因。いや、これは自分のせいだろう。自分が蒔いた種。あの時、私が真島さんのお願いを聞かなければこんな事にはならなかった。

結局、一番憎いのは自分だ。

あの映像の中の自分はとても気持ちよさそうにしていた。客観的に自分の情事を垣間見て、思ってしまった。好きな人でもないのに、抱かれて嬉しそうにしている私の姿。憎むべき対象は私。全て桐生さんを裏切ったのも私のせい。

もう、あそこには戻れない。

あの綺麗な場所に戻ることができないとはっきり気づいた。でも、どうすることもできない。あてもなく歩き続けて、日が沈んでいくのを静かに眺めているだけ。すると、1本の黒い影が近づいてくる。

「贈りもんは見てくれたか?」

「どうして、こんな事…。」

「椿チャンの事が好きやからに決まっとるやろ。」

「嘘…。」

「俺は嘘は嫌いや。」

「………。」

今のこのぐちゃぐちゃな気持ちの中でこんなことを言われても、ちっとも響いてこない。寧ろ、何ともない気持ちであってくれた方がありがたかった。好意を持たれても、私はそれに応えることはできない。

「行くで、椿チャン。」

「えっ…。」

「このまま桐生チャンのとこに戻れへんやろ。それとも何ともない顔で戻るつもりなんか?」

「ほっといてください!」

真島さんの掴まれた腕を振り払って歩き出そうとすると、低い声で待ちやと言われて、反射的に歩みが止まる。静かに真島さんが近づく音がする。逃げないといけないのに、なぜか恐怖で足がすくんでしまっている。それくらい威圧的な声だった。

「あのデーター、桐生チャンが見たらどう思うやろなぁ。桐生チャンはアマアマやからのぅ。椿チャンのことは許しくれると思うで。でも、心の底では、怒るやろなぁ。」

「そんな事…。」

わかってる。だって、好きな人のことなんだから。悔しいけれど、もう言葉は出なかった。放心状態の私はそのまま真島さんに再び腕を掴まれて、完全に戦意喪失。

そして、今。
ここがどこなのかわからない。大きなベッドが置かれている部屋に私はいる。鍵は真島さんが持っていて、外には出られないようになっている。逃げだすことは皆無。

「椿、今日もええ声で啼けや!」

「…………。」

人形のように私は真島さんの好きなように抱かれるだけ。
そう、それでいい。
疲れ果てて眠る先に私の見たい現実があるから。
失われた暖かい日々を。

今日も私は死んだ現実と夢の中とを行き来する。




白昼夢



|

top

×
- ナノ -