仕事が手につかなかった。集中すればしようとするほどに余計な感情が邪魔をして、文字が頭に入ってこないのだ。とは言え、せき止めていい案件などはないため最低限の仕事には区切りをつけた。

あーあ、家帰ってさっさと寝よう。大きく伸びをしてから立ち上がる。
夕飯はどうしよう。冷蔵庫に何が残っていたかを考えながら鞄に荷物を放り込む。やっぱり今日は何もしたくないなぁ、どこかで弁当でも買って帰ろうかな。

「お疲れ様」

誰に、ではなく職場という空間にそう投げかける。一瞬、既に空となっている入間の席を睨みつけて、その場を後にした。

自分という存在に辟易とする。ここまで自分の力で上り詰めた。だから私が、部下一人に振り回されているなんて認めたくもなかったし、自分の感情も簡単には認められなかった。
階段を一段降りる度に、何かが重くのしかかってくる。足元を見つめたまま署を出たが、よく知った匂いに顔を上げる。目の前には煙が漂っていた。

「随分と仕事熱心なんですね」

壁に寄りかかって待っていたその姿を見て、私は顔をしかめた。向こうは手際よく吸っていたタバコを消してから、こちらに歩み寄ってくる。

「入間銃兎……」

さっさと帰ったのかと思えば、外で私のことを待っているなんて。いったいどういうつもりなのかわからずに警戒する。

「なに?」
「お時間よろしいですか」

疑問文のはずなのに断るとこができないのは、有無を言わせなさそうな態度か、はたまた私の心の問題か。貼りついた様な笑顔のその目はまっすぐに私を見据えている。どちらにせよ断ることなんてできない私は、あくまで渋々という態度でついていくことにした。こういったところが、自分の悪いところでもあるんだろうけど、下手に出ればこれまでの私というものが瓦解するような気がして怖かった。しかし、そこまですべて見透かされているのだろう。
車中も徒歩も、最低限の会話で過ごす。ハンドルは入間が握っているため、どこに向かっているのかは見当もつかなかった。もしかしてまたあの森なのでは、とも思ったが、ついたのは海辺の公園だった。

「ここに何かあるの?」

昼間と違い黒く、暗い海に吸い込まれそうになる。海風に吹かれる髪を押さえながら問いかけた。新たなタバコに火をつける様子を見つめるが、質問の答えは返ってこない。

「本当に、不器用な人ですね」
「……は?」

こちらも見ずに投げかけられたその言葉は、じわじわと心に刺さってくる。認めたくないが、認めざるを得ないその言葉。
自分の中で名前のわからない感情がうごめく。不器用で何が悪いのよ、私のことなんて貴方に関係ないでしょ。真っ先に口をつきそうになったその台詞はいままでの私を体現しているようなもので、不器用という言葉がふさわしい。
言い返す言葉も見つからず、悔し気に睨み返す。
こちらを向いたかと思えば、スタスタと近づいてくる。どういうつもりかもわからず見ていると、急に視線の高さが合う。

「なによ」と言おうと口を開くが、音を発する前に煙を吹きかけられて顔をしかめる。吸い込んでしまった煙に咳き込み、手で顔の前を払う。

「な、なにすんのよ」
「左馬刻に何を言われたのか知りませんが、私だって興味のない人間を近くに置いたりしませんよ」

少し屈んで視線を合わせたまま言われたその言葉に何も言えずに固まる。
上司と部下だから近くに置くも何もないし、そもそも私が上司でしょ。いつもの私ならこれくらいの反論すぐにできるだろうけど、今は頭すら回らなかった。
入間はきょとん、とした私を少し面白がるように笑ってから続ける。

「いまはお伝えするのはここまでにさせていただきます」

その長い人差し指がを口元に寄せるしぐさを、私は見つめることしかできなかった。
スッと姿勢を戻すとまたタバコを加えなおす入間銃兎。紫煙が揺らめいて消えていく。

「続きのお話は、いつしていただけるかしら?」

ふり絞ってなんとか作り上げた不敵笑みに、やっとのことで出てきた言葉。
浮かれて笑ってしまいそうだが、勘違いだったら恥ずかしい。なにより、なにか企んでいるだけなのかもしれない。
こんなに簡単に期待してしまう自分が情けなくも思えたが、もはやそんなことはどうでもいい気もした。どんな言葉が返ってくるのか、その一点に集中する。

「この、我々ヨコハマが全ディビジョンを制した際に」

そう宣った表情には自信が満ち溢れていた。

「それまで、ご協力いただけますね?」

断られるとは一ミリも思っていないその疑問文。この自信は一体、どこから湧いてくるのだろう。全ての物事がこいつを中心に回っていると言わんばかりだ。しかし、そんなことを考えている私もそれを回す歯車の一つなんだろうと思うと、もうどうしようもないんだろう。
はあ、とため息をついて腕を組む。

「はい、としか言わせないくせに」
「流石、城阪警部補。そう言ってくださると思いました」

先ほどまでの鋭い視線はどこにやらといった笑顔で会釈をされる。

「そのかわり、私をこき使ったら後で高くつくんだから」
「心しておきます」

改めて見つめた海の先に、横浜の夜景が美しく輝いていることに気づいた。


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