人魚鉢(十四)


「あなたが青年を愛した想いは、偽りのないもの…完全に失っていないと思う」

服の袖で涙を拭き、ヒナタは泡姫に優しく語りかけた。

「これ以上、人の魂を食べ続けたら、あなたは本当の怨霊になってしまう。どうかここで思い留まって…。そして、ナルト君やほかの皆を解放して…っ」

強く、優しく、暖かく―――。
ヒナタは泡姫のもう片方の手も取り、両手で包み込んだ。

「あなたは、本当は魂を食べたくないのじゃないの?人を生かす方が心を満たされるのじゃないの?」

泡姫はまだ難しい顔をしている。
先程まで勝ち誇ったような顔が嘘のように、悩み戸惑っているようだった。

「……誕生日…」

泡姫が小さくつぶやいた。

「たしか、あの者の誕生日が、もうすぐと言ったな?」

「え?どうしてそれを知っているの?」

「湖の周りは妾の聖域、そこであることは何でもお見通しよ。……そう、そなたが長年想い続けた相手の気持ちを知って戸惑っていることも…」

かあっと顔が熱くなった。
その様子を見て泡姫は、また面白そうにヒナタを見つめた。

「いいだろう、今捕えている魂は全員解放しよう」

「祟りだなんだの騒がれた本人が、こうも簡単に折れるのは疑わしいな」

九喇嘛が泡姫を睨んだ。
壁からここまで距離があったが、いつの間にか元の位置へ戻って来ていた。
怪我はしたものの、動けないことは無いらしい。

泡姫はふふふと妖艶に微笑んだ。

「もちろん、“タダで”とは言わない、六道の小間使いよ」

「その小間使いと呼ぶのはやめろっ。別に、ジジィの世話係はしていない…んん!」

チャックを閉めるような動作をしたかと見ると、九喇嘛の口が閉じて開かない。

「…!!…っ!」

「はぁ、どうして尾獣とやらはうるさい生き物ばかりなのかねぇ。ゆっくり話もできんではないかぇ」

その青い瞳を光らせて、泡姫はヒナタの顔に自分の顔を近づけた。
鼻の先が触れそうになるほど近く二―――。
ヒナタは顔を赤くして一歩下がろうとするが、金縛りを掛けられて動くことができない。

「代わりに、私の魂を差し出せと言うの?」

「それもいいが、そなたの魂は熟し過ぎている。私は実ったばかりの甘酸っぱさのある魂が好みなのでな。まぁ、とろけるような甘美の魂を食すのも、たまにはいいが」

ヒナタの手を完全に振りほどき、動けぬことをいいことに、泡姫はヒナタの顔を両手で包み込み、そっと撫でた。
触れる場所から痺れるような甘い香りがしたかと思うと、ふっと体から力が抜け、へたりと座り込んでしまった。

「何を…した…の!?」

泡姫はしゃがみ込み、ヒナタの足の傷口にそっと手を添えた。
ぽうっと淡い青色の光を発し、ゆっくり撫でる。

「のぉ、そなた、ヒナタと申したか」

泡姫の手がヒナタの足から離れた。
そっと巻き付けられていた布をはぎ取ると、ヒナタの足の傷は跡形もなく消えていた。
戸惑って泡姫を見つめた。

「ヒナタ、妾と賭けをせぬか?」




浮遊感を感じていた身体が、急に何かに吸い込まれるような感覚を感じ始めた。
眠りに陥っていた意識が、再び浮上してきた。

―――ナルトくん。

ああ、ヒナタの声だ。
彼女の声はいつ聞いても綺麗だと思う。

声だけではない。
彼女の黒髪も、肌の白さも、白い瞳も…意志の強さも、勇気も、何もかもが好きだ。

頬に柔らかい手が宛がわれる。
暖かくて優しいその手は、一度だけ、この手でしっかり握ったことがある。

あの時と同じ手―――。

敵の言葉に翻弄されて、闇に陥りそうになっていた自分の目を覚まさせてくれた手。

―――信じているから。

どうして悲しそうな声を発するのだろうか。
彼女の手をそっと握った。
ビクっと彼女の手が震えた。

―――少し早いけれど、誕生日、おめでとう。

言えなくなるかもしれないから。

祝いの言葉の後に付け加えられた言葉の意味は、何なのか、理解できなかった。
ただ、彼女が遠くへ行ってしまう気がして、急に不安になってきた。

そっと彼女の手が離れた。

まってくれ、行かないでくれ。

手を伸ばすと、すぐ傍に居た気配は何処にもなく、空を切るだけだった。

どこへ、どこへ行った!?

瞼はまだ重い。
この目でヒナタを観ることができない。

気配を探る。
彼女の気配は遥か彼方の方角にいる。

声を出した。
彼女に聞こえるように。
離れてほしくなくて、必死に。

「ヒナターーーーーぁっ!!」





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