人魚鉢(二)
翌日、ヒナタは眠たい目を擦って寝袋から起き上がった。
まだ太陽が上がる前で、朝靄が立ち込めている。
東の空が微かに明るくなってきて、ほんのり茜色に染まり始めている。
村の井戸に行き、水を汲み、顔を洗った。
ひんやりしていて気持ち良かった。
一口含むと、口の中に冷たい爽やかな味が広がった。
無味なはずなのに、味があるというのも可笑しな話だが、とても心が安らぐ雰囲気を醸し出している水だった。
この井戸の水は山から来るもので、その前に例の湖を経由しているという。
どこか神聖な感覚を受けるその水を感じ、改めてこの村が『泡姫物語』所縁の土地と認識した。
(もしかして、今でも人魚はいるのかな?)
幼い頃読んだお伽噺の村に来ていることが嬉しくて、それと同時に残念に思った。
(任務とは別に訪ねて見たかったなぁ)
桶を井戸の淵に戻そうとしたとき、ふいに村への道中、キバが言った言葉を思い出した。
――――アワヒメの湖なんだけどさ、そこで好きな相手に告白すると、恋が成就するっていう伝説があるらしいぜ。
ここにはいない太陽のような彼を思い出し、ヒナタは頬を染めた。
(事件が解決したら、ナルトくんと一緒に来たいな…でも嫌がるかもしれないなぁ)
「ヒ〜ナっタさん♪」
「キャッ!」
突然後ろから飛びかかられて、ヒナタは短い悲鳴を上げた。
ひょっこり背後からサンゴがにっこり笑って、ヒナタの顔を覗きみた。
「ふふふーん♪今、恋する乙女の顔をしていたよぉ?誰のことを考えていたのかなぁ?」
目を細めて顔をまじまじ見てくるサンゴから目を逸らし、ヒナタは指先を突きながら何でもないと誤魔化した。
「じゃあ、当ててみせようか!……事件が解決したら、好きな人を連れてきたいって思っているんでしょう?!」
「!?」
はっと息を飲んだ。
ヒナタの様子からこれは正解だなと確信して、サンゴは頑張ってねとヒナタの肩を叩いた。
「大丈夫。かなりの確率でカップルができているから、伝説は本当っぽいし。『泡姫物語』所縁の地って言われているけれど、あまり実感ないんだ……けど……ね……」
サンゴが何かに驚いて、そして顔を真っ赤にさせてヒナタの後ろに隠れた。
何事かと思って、彼女の目線の先を追うと、朝靄の中から数人の人間が現れた。
どうやらこの村の住人ではないらしい。
その中の一人の青年がヒナタ達に気が付いて、手を上げた。
「サンゴじゃないか!無事だったか!」
名前を呼ばれてビクッと跳ね上がるサンゴ。
おずおずとヒナタの背後から出てきて、恥ずかしそうに微笑んだ。
「お、おはよう!カジさん。朝っぱらからどうして村へ?」
「お前んとこの村長から要請があったんだよ。人手が足りないから、手伝いに来てくれって。でも、目立たせたくないから、まだ人が少ない早朝に来てくれって言われてさ。まぁ、理由は薄々理解できるが…」
村長ちに行ってくる、と言って彼らは離れて行った。
控えめに手を振るサンゴの様子を窺って、ヒナタはあることが閃いた。
「…サンゴさん、もしかして、カジさんっていう人が好きなの?」
ヒナタが問いかけると、サンゴは顔を真っ赤にして首を横に勢いよく振った。
「ち、ちがうっ!カジさんは、隣町の人で、よく港から届く魚介類を運んできてくれてっ!優しくてっ!格好良くてっ!……嗚呼、分かんないっ!」
顔を真っ赤にしてしゃがみ込んだ彼女は、両手を頬に当てて首を傾げた。
「わ、私、カジさんのこと、好きなのかなぁ」
他人が恋をしている様子は敏感に感じてしまうのに、自分が恋をしていることには疎いようだった。
「……うん、私からは、そう見えるよ?」
ヒナタが笑って答えると、サンゴはまだ混乱している様子だったが、立ち上がり、ヒナタをキッと見つめた。
「もう、こんな忙しい時に、何を考えさせるのよぉ、ヒナタさん!」
仕返しとばかりに、こしょこしょとヒナタを擽り出すサンゴ。
こそばくて体をくねらせて、ヒナタはクスクスと笑った。
仕事をしているときのサンゴは、無理矢理明るく振舞っている様子だったので、こうして素の笑顔を見ることができて、ほっとした。
じゃれ合っていると、東の空から一筋の光が差した。
夜明けだ。
「さてと、仕事に戻らないと」
頑張ってね、とヒナタに声を掛け、去ろうとした。
何かを思い出したように振り向いて、大きな声でヒナタに向かって話しかけた。
「今度は、ヒナタさんが好きな人の事教えてよーぉ?!」
朝の静かな村に、サンゴの高い声が響き渡った。
彼女の声に驚いて、犬がワンワンと吠え、鶏が声高らかに鳴声を上げる。
その鳴声で目を覚ました住民が、何事かとごそごそと起き上がった音が家々から聞こえてきた。
してやられたり。
ヒナタは慌てふためいて、言葉も出ない様子だ。
そんな彼女の慌てる姿見て、サンゴは大笑いして集会所へ戻って行った。
彼女の元気な姿を見て、ヒナタは彼女の為にも何としてでも事件を解決させようと改めて決意した。
その日一日、再び湖の周辺を捜査する八班だったが、これといった新しい情報を得ることができず、落胆した。
その様子を村人たちは白い目で見ていた。
陰からこのように囁かれた。
(木の葉の忍は頼れないな)
(お金を払っているんだから、ちゃんと仕事してくれなきゃ)
(役に立たない奴ら…)
村人たちが自分たちに苛立ちを覚えるのも仕方がないと、カカシ達は思った。
しかし、彼らに村で起こった異変で何か気づいたことはあるかと尋ねると、口を揃えたかのように「分からない」との一点張りだ。
彼らが協力的でないために、異変の捜査が上手くいかないところもある。
キバが無意識に歯軋りする。
シノが彼の肩に手を置き、宥めようとするが、その彼の手にも力が籠っている。
ヒナタはギュッとパーカーの裾を握って、陰口に耐えた。
カカシもほとほと困っていて、先が見えない状況に4人は再び溜息を吐いた。
そして、その夜、またもや新しい犠牲者が出た。
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