(9)
「じゃあ、俺いったん戻るな? たぶん、顧問が来てくれると思うから……」
「……っ、あ」
うちの部活には、監督のほかに顧問がいる。野球経験のない先生なんだけど、受け持ちが体育と言うだけあって、応急救護やストレッチの面ではすげえ頼りになる先生だ。だからまあ、役割としてはトレーナーというところ。 顧問は、うちのキャッチャーのひじの状態を見てから、由紀の看病にくることになっている。それまでほんの少しの間だし、チームメイトの方も気になる……ということで立ち上がろうとした瞬間、由紀が小さな声を上げた。
「ん? どした?」
「う、・・・な、なんでもない」
「なくないだろ? なんでも言え?」
「……あ、の・・・」
「ん?」
俺を引き留めた由紀は、なんだか歯切れが悪い。 なんだろうと思って首を傾げると、由紀は意を決したように口を開く。
「ごめ・・・キャプテン。わがまま、なんだけど……」
「うん?」
「あの……もうちょっと、いてもらうのって……だめ? だ、だめならいいの。ひとりでも、大丈夫だから……」
言いながら、由紀は申し訳なさそうに眉を寄せる。 ……あー、もう! なんで、もっとわがまま言わねーんだ!
「……言って?」
「……え?」
「わがまま、もっと言えって。由紀は、どうしてほしいの?」
「こ、ここにいてほしい!」
「ん」
由紀の言葉に大きくうなずくと、由紀は照れたように笑った。 俺は、もう一度いすに座りなおして、由紀に言葉をかける。
「由紀、だいぶしゃべれる?」
「ん、うん。しゃべってたほうが、いい」
「そっか。……じゃあ、聞いても良い?」
「なに、を?」
「由紀って、なんでマネやってんの?」
前から疑問だったんだ。由紀って、運動神経も結構良いようだし、ほかのスポーツだってできそうなのに、なんで野球部のマネージャーなんかやってんのかって。 問いかけると、由紀は目元までふとんで覆ってしまった。
「え? な、なんか聞いちゃまずかった?」
「う、ううん・・・」
「いや、由紀って、運動神経も良いだろ? なんでふつうに部活はいらないで、マネージャーやってんのかなって……」
「……わ、笑わない?」
ふとんから目だけ出して、由紀が訴えてくる。 笑うような理由……? って、なんだよ。
「笑わない・・・と思う」
「ほんとう・・・?」
「うん」
「あのね……
『タッチ』の、南ちゃんに憧れたの」
つばさ! 星屑ロンリネスだったぞ!!
「ぶはっ」
「あ、あー! 笑った!!」
「ご、ごめ・・・はは、はははっ」
由紀には、本当に申し訳ないと思った。 でも、つばさがしつこく言ってくる「星屑ロンリネス」に通じる理由に、俺は思わず吹き出してしまったんだ。
「わ、悪い・・・マジ、ごめんな?」
「もう・・・!」
「いやー、ほんと悪い。ちょっと……ぶはっ」
「キャ、キャプテンー!?」
あー、だめだ。つぼに入るって、こういうことか。 つばさの顔がちらつきやがる。 「星屑ロンリネス」はいいから、とっとと葵とくっつきやがれ!
「ごめんごめん。でも、そっか」
「キャプテンのばかっ・・・」
「悪かったってば」
でも……そっか。 由紀も、あのアニメ見てたんだな。 じゃあやっぱり、告白のセリフは、あれを拝借するかなー。
「なあ、由紀」
「え?」
「今度の橘高校との試合さ、8月の末だろ?」
「うん」
んでもって、早めに……。 早めに、試合の後の予約しなきゃな。 なんたって、由紀は野球部ほぼ全員の片思い相手っていっても過言じゃないんだし。
「その試合、もし勝ったら、聞いてほしいことがあるんだ」
「聞いてほしいこと?」
「そ。大事なこと」
そういうと、由紀は目をパチクリさせて、首を傾げた。
「えと・・・。今じゃだめなの?」
「うん。気持ち的に、勝ったあとに言いたいんだ」
「いいこと?」
「んー・・・。わかんねえ。いいことかもしれないし……困ることかもしれないし」
由紀にとって前者であるようにって、願ってはいるけどな。
「……うん、わかった。あのね、あたしも言いたいことあるんだ」
「由紀も?」
「うん。……2学期が始まる前に、言っておきたいの」
「わかった。……じゃあ、試合の後、話そうな」
笑いかけて小指を出すと、由紀もゆっくり右手の小指を俺のに絡めた。 それを上下に振って、約束を立てる。
試合まで、あと10日。
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