実は怖い柴犬くん
ショップを出て、ゆずと並んで歩き始める。 買ったばかりのワンピースは、ゆずが持っていた。 いいっていったのに、持ってくれるって。
隣のゆずに目をやると、ゆずはチラリと時計を見た。
「……もう、1時過ぎてんだな。・・・美姫さん、ご飯、食べねえ?」
……「食べねえ」って、どういう日本語よ。 「食わねえ」なら分かるけど……。 前から思っていたけど、ゆずは丁寧な言葉といつもの言葉遣いがごっちゃになるときがある。
「み、美姫さん?」
「え?・・・ああ、そうね。そろそろ、食べようかしら?」
「あ、……じゃあ、何食べたい?」
「うーん…おまかせするわ」
この辺、そんなに詳しくないしね。 そう言うと、ゆずはちょっと難しい顔をした。 どうしよう、といった様子で、あたりを見始める。
「どこでもいいわよ?別に、あとで恨み言言ったりしないわ」
そう言って笑いかけると、ゆずはチラッとあたしを見て、決心したように歩き始めた。
どこでも恨み言を言わないって、言ったけどさ。 でも、はじめてのお散歩(通称、デートよ)で、これはないと思わない?
がやがやとうるさい店内。 中学生とか高校生で溢れかえるお店。
ええ。 聞いてビックリよ。 ゆずと一緒に入ったのは、ファーストフード店だったんだからっ!
店に入った瞬間、周りの人が一斉にあたしたちを見た。 そして、軽いどよめきと共に視線を投げてくる。
この視線、あたしは慣れっこなんだけどさ。いつもとはちょっと違う視線も混じってるもんだから、あんまり居心地がよくない。
どんな視線かって? あたしの隣を歩いてる、ゆずへの視線よ!
あん、もう。 見てんじゃないわよ、あたしの犬なんだからね!
ゆずは、目立つ。 髪の色もそうだけど、大きいしね。 しかも、あたしが見初めた犬……おっと、ごめんなさい。……人間なのよ?可愛いに決まってんじゃない。
そんなことを考えて、イライラしていたら、ゆずが不安そうにあたしを覗き込んだ。
「ご、ごめん・・・美姫さん。やっぱり、マッ○なんて嫌だったよな……?」
でも、こんなところしか分かんなくて……って続ける、ゆず。 見るからにショボーンとしちゃって、頭の上の耳なんか垂れ下がってしまっていた(……え?頭の上に耳なんかついてないだろって?あたしにしか見えない耳があんのよ。文句あんの?) ……まあ、仕方ないか。はじめてのお散歩だしね。
「……いいわよ、別に。ただあたし、こういうところ入ったことないの」
「ごめん、なさい。…あの、オレ、一緒に取って来るから」
そう言ったゆずは、あたしを席に座らせてから、急いでレジに向かった。 好みを聞かれて、「脂っこいものは好きじゃない」と言うと、「サラダのセットにする」って言って、走っていった。
「はあ。……可愛い、か」
今日、ゆずにワンピースを可愛いって褒められたのは、ビックリしたけど。 ……だって、『綺麗』とか『美しい』とかはよく言われてたけど、『可愛い』なんて親以外に言われたことなかったもの。
「可愛いのは、ゆずよ」
素直で、まっすぐで、耳ついてて(……だから、ついてんのよ)。 あたしは、自分自身のことはよく分かってるつもり。自分のこと美人だと思うけど、性格が悪いのは分かっている。……人に、好かれる性格じゃないのも。
綺麗とか美しい、って言うのは、単純に褒め言葉。容姿が綺麗な人になら、誰にでも使う言葉。 でもね、可愛いって言うのは、容姿だけじゃない部分も、ある。 可愛い系の女の子になら、言うこともあるかもしれないけど、基本的には性格的に可愛いような子に使う言葉。
そんなことを考えていると、横から声がした。
「綺麗な人だねえ?俺たちと遊びに行かない?」
……水を、ささないでもらえるかしら。今、考え事をしているのに。
そう思って無視していると、あたしの席の真正面……つまり、ゆずが座る席に、金髪の男が腰をかけた。
「ねね、何で無視するんだよ?……つか、うわぁ。マジで美人じゃん」
正面に座った男は、あたしの顔を見てそう言った。 当たり前でしょ。誰だと思ってんのよ。
男は、近くにいたらしい仲間に手を振る。 すると、2人の男が後方から近づいてきた。
「おい!すっげー美人発見!」
「え?マジ?……うわ、本当だ!」
「つか、この子アレじゃない?『氷の女王』」
「え?……あっ!南高のか!?」
「そうそう。俺、写真見たことあんだわ。……うわー、マジ美人じゃん」
ツッコミどころは満載だけど……。 っていうか、写真って何よ。
「アンタ、女王様っしょ?」
後から来た男が、あたしの肩に手を乗せながら言う。 あたしは、その手をパシンと振り払った。
「触らないで。それに、あなたに『アンタ』なんて言われる覚えはないわ」
そう言って睨みつけると、男はニヤニヤと下卑た笑いを見せた。
「やっべ。俺、Mに目覚めそうだわ……」
「すげえ。つか、調教のしがいがありそう」
ゆずの席に座っていた男が、とんでもなく気持ち悪いことを言い始める。 ……調教?ふざけんじゃないわよ。
「……うーわ。睨まれちゃったあ」
冷たい視線をぶつけると、男は震えるようなポーズを取る。 そして、身を乗り出して、あたしのおとがいに手をかけ、自分の方を向かせた。
「……何するの?」
腹が立つけど、激昂したら負け。 そう思って睨みつけると、男はニヤニヤと笑った。
「そういうすました女ほど、崩れるともろいんだよな」
「離せって言ってるの」
「おもしれえ」
……は? 男の顔が、どんどん近づいてくる。 ちょ、ちょっと待って。何するつもり?
……キス?
や、やだ。そんなのしたくない。 慌てて立ち上がろうと思ったのに、横にいる男に肩を押さえられているせいで動けない。
やだ。ちょっと、嫌だ。 なんであたしがこんなやつに……。
「い、や・・・」
大声を出そうにも声が出なくて、小さな声でそんな言葉を呟くしか出来なかった。 そんなあたしを見て、男がクスリと笑う。
「じゅんじょー」
笑った男が、そう呟いた。 やだ、やだ……。
「ゆ、ず・・・」
思わず、頭に浮かんだゆずの名前を呟いた瞬間だった。 バキッていう音と共に、あたしの目の前の男が吹き飛んだのだ。
「う、わあっ!」
男は、椅子に座ったまま、大きな音を立てて吹っ飛んだ。 何事かと思って、視線を上げると……
「ゆ、ず?」
「……美姫さん、ごめん。一人にして……」
そう呟いたゆずは、あたしの肩を押さえたまま呆然としている男に、長い足で蹴りを入れた。 ガシャーンっていう大きな音と共に、右にいた男がひっくり返る。
「ゆ、ず……!?」
いつもと違うゆずに、思わず声をかける。 いつものゆずは、図体は大きいけど、可愛くて、すぐ真っ赤になって、可愛い子なのに……。 今のゆずの目は、怒りに満ちていて、怖い。
最初に吹き飛ばされた男が、口元の血をぬぐいながら、ゆずを見る。 そして、顔面蒼白になった。
「しば・・・さき……?」
柴崎?柴崎って……ゆずのこと?
ただ一人殴られていない3人目の男が、その名前を聞いて後ずさった。
「柴崎?・・・柴崎って……あの?」
どうやら、ゆずと男たちは知り合いみたいだった。 最初に殴られた男が、血を拭き取りながら、よろよろと立ち上がる。
「なん、で・・・柴崎が、ここに……」
立ち上がった男を、ゆずが睨んだ。 ……ゆずが、怖い。 こんなゆずは、見たことない。
「てめぇら……美姫さんに触って、ただで済むと思ってんのか?」
ゆらりと揺れたゆず。 殴られていない男が、机にぶつかりながら、懸命に逃げようとする。 でも、一瞬早くゆずはその男を掴んで、自分の方に近づけた。
「ひっ・・・!」
恐怖で声も出ないだろう男に冷たい視線を投げつけて、ゆずがこぶしを振り上げた。
ど、どうしよう……。 いつものゆずと違う。……ちょっと、怖い。 でも、ゆずがこんな風に怒ってるのは、あたしのせいだ。 だったら……あたしが、止めなくちゃ。
「ゆず、ゆずっ!」
ゆずの腰に、手を回す。 そして、必死に引っ張った。
「ゆず!大丈夫だから!」
殴っちゃダメってそう言うと、ゆずはくるりとあたしの方を振り返った。 その目は、怒りに満ちていたけど……泣きそうだった。
「ゆず、」
「ごめん、美姫さん……」
唇をぎゅって噛んで、ゆずがあたしを見やる。
……ああ。ゆずにこんな顔をさせているのは、あたしだわ。 あたしは、ゆずの頭にそっと手を乗せて、自分の方に引き寄せた。
そのまま、ぎゅっと力をこめて抱きしめる。
「ゆず・・・怒らないで?」
「美姫さん……」
ゆずの震える手が、あたしの背中に回された。
びっくりしたけど……ちょっと怖かったけど。 あたしの胸で不安そうにしているのは、間違いなくゆずで。
ゆずに殴られそうになっていた男が、ずるずるとその場に座り込んだ。
周囲は、水を打ったようにシーンとしている。 あたしは顔を上げて、周りを見渡した。
目の端に、どこかに電話をしている店員さんの姿が見える。 ……警察、かしら?
「ゆず、ゆず?走れる?」
「え、あ・・・はい」
「じゃあ、逃げるわよ」
ゆずの手を取って、慌てて走り出した。 手付かずのトレイを机に残して。 ……ちょっともったいないけど、ゆずが捕まったら嫌だもの。
「急いで・・・」
「はい……」
店員さんが慌てたように止める声が耳に入ったけど、聞いてなんかいられない。 ちょっと申し訳なく思ったけど、あたしとゆずはファーストフード店を後にした。
「……は、ぁ・・はあ……」
街を抜けて、住宅街へ。 住宅街を疾走して、公園へ。
「ここ、まで・・・来れば、大丈夫、よね……」
はあはあと息をつくと、ゆずがこくんと頷いた。 ……すごい、体力。 息ひとつ切れていないもの。
「ごめん、美姫さん……俺・・・」
さっきまでの獰猛な視線はどこへやら、ゆずは泣きそうな顔であたしを見ていた。 そんなゆずを見て、怒るどころか、変な気持ちが湧き上がってくる。
「あたしのために怒ってくれたんでしょう?」
「……え?」
ゆずの頭にそっと手を乗せて、撫でてみる。
「美姫さん……俺、」
ゆずの手が、あたしのほうに伸びてきた。 あれ?と思ったときには、あたしの体は、ゆずの腕に閉じ込められていた。
「ゆ・・・」
「美姫さん……ごめん。オレ、美姫さんに誰かが触ったって思ったら、頭真っ白になっちゃって……」
そう言いながら、すがりつくようにあたしを抱きしめるゆず。 ……あ、あれ? 普通、ペットと飼い主は……って、分かってるんだけど。
ゆずは犬じゃないし、 喧嘩が強いみたいだし、 ゆずが『最強の不良』って言われているのも、なんとなく気がついていた。
でも、ゆずはゆずだったから。 犬みたいで、ちょっとわたわたしているゆずが、可愛かったから。
「ゆず?……お礼、言わなきゃならないわね」
びくりと震えるゆず。
「ごめん、オレ。美姫さんに、迷惑かけた……」
あたしを見下ろしながら、ゆずが泣きそうな顔をしている。
「暴力は、嫌。ゆずが怖い顔しているのは、もっと嫌」
嘘はつけないから、そうびしっと言うと、ゆずは傷ついたような顔をした。 あたしの体をぐるっと一周している腕に、力がこもる。
「ごめ、ん……。でも、オレ……美姫さんと離れたくない」
目が潤んで……今にも涙がこぼれてしまいそうなゆず。 さっきまであんなに恐れられていた男の代わりように、思わず吹き出してしまった。
「美姫さん……?」
「でもね、あいつらに触られたことのほうが、もっと嫌だったのよ。……助けてくれて、ありがとう」
そう言って笑うと、ゆずは泣きそうな顔で、くしゃりと笑った。 その顔が可愛くて、ゆずの頬に唇を寄せると、ゆずがぎゅうっとあたしを抱きしめた。
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