Side Ayumi
ここに来て、たかだか数時間…も経ってない。 1時間弱。 なのに、なんでわたしは2回もキスをされているんだろう。
わたしは、職員室のドアを開けた。 そこは分岐点のような小部屋で、いくつかの入り口がある。 『職員寮―一般生徒立ち入り禁止―』 『職員室―ノックして入ること―』 『上階段―理事長室、生徒会寮―』 などという看板。わたしが入るのは職員室だけど、入る前に、ずるずると小部屋に座り込む。
「……、ありえないっ」
口元を押さえる。
キスって、好きな人とするもんじゃないの? 男の人なら……好きな女の人と。
「ばれ、てるの……?」
さっき、瀬奈はわたしを猫だと言い切った。 それで、唇を合わせてきた。……そのあと、咥内に舌が入れられたのは、思い出したくもない。
「……なん、で?どうしようっ……」
瀬奈と接触しちゃったから、どうせなら生徒会メンバー……とくに、生徒会長韮崎 嵐の話を聞いてしまおうと思った。それが、まずかったの……?
「……ふ、っ」
涙出てきた。 なんでわたしは、与えられた任務もまっとうできないんだろう。 このまま、任務を続けられる? 理緒は、あの様子じゃ大丈夫そうだったけど……。瀬奈の言動は、わたしの正体を知っているような口ぶりだった。
「ふ、えっ。……っ」
でも。 どうしようなんて考えている場合じゃない。 泣いている場合じゃ、もっとない。
瀬奈のことは、あとで考えよう。 今は、とりあえず前に進まなきゃ。
ぎゅっと目を瞑る。 目の前に浮かんだのは、お母さん、お父さん、お兄ちゃん、おじいちゃん、ヒデ……。みんなの、顔。 絶対やり遂げるって決めた。やるしかないんだ。
「がんばろ。……瀬奈は、なんとかしよう」
立ち上がって、前を見る。 やるしかない。
わたしは、職員室へ続くドアを開けた。
「君……ここまで、大丈夫だった?」
「……え?」
開口一番、担任だという松尾直人(まつお なおひと)先生が、わたしの顔を見ながら心配そうに言った。
「君、前は共学に通ってたんだっけ?」
「あ、はい」
こくんと頷く。 本当は学校に行ったことはないけど、確か三宅 歩の設定は、そうだったはず。
「彼女は?」
「え、あ……。いませんでした、けど」
彼女がいるわけは無いのだけれど……。 否定しておく。だって、ぼろが出たら困るし。
「ふうん。……彼氏は?」
「……男なので、彼氏はいません」
やっぱり、男の子に見えないのかもしれない。 ……こんなこと、聞かれるなんて。
「あ、ああ。違う違う。君が女の子にしか見えないとか、そういうことじゃないんだ」
「……はい?」
気持ちを掬い取られたような言葉に、警戒心が強まる。 ……どういうこと?
「うーんとね……。この学園は、ほかとちょっと性質が違うというか……。単刀直入に言うと、君、すぐ襲われそうなんだよね」
「……襲、われる?」
お兄ちゃんに何回かいわれていた言葉。 松尾先生は、こくんと頷いた。
「三宅くん、ゲイとかバイってわかる?」
「……ビ●・ゲイツの愛称かなんかでしょうか……?」
聞きなじみのない言葉。 なんとなく近い言葉を探して言うと、松尾先生はクスリと笑った。
「なんだい、それは」
「……先生が言ったんじゃないですか」
そう言うと、先生が少しまじめな顔をして、わたしの顔に手を伸ばした。 そして、どうやら膨れていたらしいわたしの頬を指で潰す。
「そういう顔も、あまりしないほうがいい」
「だから、どういうことなんですか?」
本当に、意味が分からない。 先生は、いたずらっぽくわたしを見た。
「三宅くん、ここに来るまでに誰かと接触した?」
「……え?……あ、まあ」
「……相原くんだったね、案内してくれたのは」
「……はい」
瀬奈の名前を聞くと、体がこわばる。 ……わたしの正体を、知っている可能性がある人。
「なにか言われなかった?されなかった?」
「……、うっ」
された。そういえば。 思わず身じろぐと、松尾先生がクスリと笑う。
「何か言われたんだね。……食べたいとか…ネコ、とか?」
猫。 そう言われて、わたしの体は自分でも驚くくらい反応してしまう。 な、なんで……?
驚いていると、松尾先生はやっぱりね、と頷いた。
「あ、あの……猫って……」
「ネコは、受けるほうの人のことだよ。……って言っても、分からないか」
そう言って、先生はもう一度笑う。 受ける、ほう? ……六獣星の猫とは、また別なのかな?それなら……すごく、安心する。
「まあ、ここにいると嫌でも実感すると思うよ。……取り返しのつかないところまで、いかないことを祈ってる」
もう一度笑って、松尾先生がわたしにカードを差し出した。 ……白い、カードキー。 部屋の鍵であり、クレジットカードでもある、この学園の必需品。
「部屋は、407だよ。ちなみに……」
先生が、わたしに図を書いてくれる。 寮の構造は分かっているけど、とりあえず手書きの地図を見ておく。
…8階 理事長室(開かずの間) …7階 生徒会寮室 …6階 職員寮、寮職員室 …5階 寮部屋(3年生) …4階 寮部屋(2年生) …3階 寮部屋(1年生) …2階 食堂、渡り廊下==学園へ …1階 ホール、図書室
「ありがとうございます」
「同室の男の子は、飯田颯斗(いいだ はやと)くん。気のいい子だから、いろいろ聞いてみるといい」
「はい!」
先生の言葉を聞いていると、心がほぐれていくのが分かる。 瀬奈をそんなに気にしなくてもいいことも判明したし……。 あとで、“ゲイ”と“ネコ”を調べておこう。
「新学期の朝、8時にここにおいで。説明するから」
「はい」
「じゃ、がんばってね」
ばちんとウインクをした先生に、眩暈がした。 意味が分からん……。
ちょっとほっとしながら、わたしは職員室を出た。
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