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2005年8月14日


音も色も、全てが消えたと思った瞬間に浮上した意識。小さく耳に届くノイズは決して不快ではないのに、どこか現実離れしていて受け入れ難い。なんだろう、この曲…どこかで聞いたことある気がするんだけどな。

「っえ?」

起き上がった途端、音もなく床に滑り落ちていったタオルケット。何故か冷えきってしまっている身体を温めるように抱きしめて、身震いした。うわ、さっむ。

ああ…温度下げたまま寝ちゃってた。冷房つけっぱなしで寝たことバレたら怒られちゃう。

寝起き特有のぼんやりとした頭でそんな事を考えて、ベッドの上に放ったリモコンを手繰る。手に取って数秒、あれ…家のこんなんだったっけ?首を捻るも特にそれ以上気になることはなく、停止ボタンを押した。

再びシーツの上に勢いよく沈んだリモコンを見届けた後で未だ鳴り続けている音の正体を探りにかかる。案外すぐに見つかったそれはじわじわとあの頃の記憶を呼び起こして。

「…うわ、ガラケー?懐かしい。私も使ってたなぁ、これ」

薄いピンク色のガラケー。丸みを帯びたそのフォルムも含めて当時とても気に入っていた。チカチカと通知を知らせる光、なかなか止まらないメールの着信音は好きな歌のサビ部分を設定したもので、画面を開くまで延々と鳴り続けるそのワンフレーズを毎回聴くのが好きだったっけ。

「懐かしいなぁ、この曲好きだったんだよね…え?」

無意識に開いていたメール画面。差出人は夜勤中の母親で、夏休みだからってダラダラしないこと!明日の朝は自分で起きるように!という喝を入れる内容だった。女手一つで私を育ててくれた看護師の母からは学生時代、夜勤の度にこのようなメールが確かに届いていたけど。

「…っな、どういうこと?」

今度こそ飛び起きるようにしてベッドから這い出た私は今届いたばかりらしいそのメッセージを食い入るように見つめた。差出人は勿論母親で間違いない。ただし日付は2005年8月14日の20時を少し越えていた。

ちょっと一回落ち着こう。携帯電話を置いて数回、深呼吸をする。周りをゆっくりと見渡して気付く。よく見ればここは私の部屋で、今座っているこのベッドも、床に落ちたままのタオルケットも間違いなく私のだ。そしてこれも、形と色が気に入って、高校受験を頑張る変わりに三年に進級してすぐ母親に強請って買ってもらった…私のガラケーだ。

待って、私、さっきまで外を走ってたしなんならトラックがぶつかってきたと思うんだけど…え?なにこれ夢?まさか死んだ?これ死後の世界?

テーブルの上の置き鏡からこちらを見ている見慣れたその顔も、年代とこの部屋に合わせるかのように中学三年生の私だ。ていうか肌綺麗だなー、さすが中学生だわ。夢かどうか確認する為によくやる、試しに頬を抓ってみたを実行すれば普通に痛くて泣いた。容赦すればよかったと後悔して、痛覚があることに一気に不安が襲ってくる。これ、夢じゃないなら、なんなんだろう。

2005年8月といえば…そうだ、中学最後の夏休みだ。そういえばこの頃からようやく重い腰を上げて受験勉強を始めたっけ。進学先には悩んだけど、運良く行きたいところの推薦をもらえて、後は試験に向けてひたすら勉強をする毎日で。…そうだ、私は知っている。努力の結果、無事に志望校へ進学し、数年後に卒業。特に大きな障害もなく希望した職種に就けて、普遍的な毎日を送っていた。そう、ついさっきまで、そうだった筈だ。

私にとっての今日は、2018年1月14日だった。

いてもたったもいられなくて遠い昔に見た記憶のある箪笥の中から適当に引っ張り出した服に着替え、必要最低限の物をバックに詰めて家を出た。分からないことばかりだけど、ちゃんと確認しなきゃ。同居している祖母を起こさないよう静かにドアを閉めて、通学に使っていた自転車に跨る。十数年ぶりに見たそれに懐かしさを覚えつつ、一気にペダルを踏み込んだ。

真ちゃんが死んですぐの頃はいないってことが信じられなくて、信じたくなくて。ガラスの向こう側で沢山のバイクに囲まれて笑う姿を何度も何度も探しに行った。けれどそこには当たり前のように主はいなくて、照明もキラキラ輝く鉄の塊もまるで輝きを失ったように真っ暗で、いつからか、近寄ることすらなくなってしまっていた。

車のテールランプに照らされる道路の脇をひたすら走りながら、息を切らせて辿り着いた場所。

「…分かってたはず、なのになぁ」

下されたままのシャッターに描き殴られたような落書きと色褪せた看板。あの頃の面影なんて微塵も残ってないその姿にまざまざと現実を突きつけられる。

真ちゃんはあの夏に死んだんだ。分かっている。それが揺るぎない真実で、決して覆ることのないことだということも。けれどもし、ここが夢や死後の世界なら都合良く会わせてくれたっていいじゃないか。

何だかぼんやりする頭のまま来た道をだらだらと走る。人口の多いこの街を往く人々はいつもどこか急ぎ足で止まることを知らない。今すれ違った自転車に乗る学生も、手を繋ぎ歩くあの男女も、後ろを振り返ることなく進んでいく。どこか遠くから聞こえた、何十ものバイクの駆動音につい耳を澄ませてしまったのはきっと、未だに彼を探す癖が抜けないせいだ。

どこに行けばいいのか分からず、何も考えずに走っていたつもりだったのにそれでも気が付いたらここに来ていた。申し訳程度の街灯に照らされた墓地のその奥。眠るその人の名前が刻まれた石を見て、ふっと身体の力が抜け落ちる。

ここにきて、もしかするとこれは夢でも死後の世界でもないんじゃないかと思えてきた。体を動かせば疲れるし、強く握り締めすぎて白くなった手には気温も相まってじとりと汗をかいている。さっきから脈打つように痛み出した頭を抱えて、偏頭痛きたわ…なんて。痛みに乗じて考えることを放棄したいくらいには混乱している。

「…わけ、分かんない」
「…おい、どうした?」

地面を見つめていた私の視界に誰かの足が映りこむ。どうやらこんな夜に私以外にも墓参りをする風変わりな人がいたらしい。…待って、ちゃんと生きてる人間だよね?今自分に起きていることを考えると何が起こったっておかしくない。じっとその足を見つめ、透けていないことを確認しているともう一度窺うように声を掛けられる。

15年経ち、私はその存在を忘れ去っていた。そうだ、私にはもう一人、幼馴染みがいたんだ。

「っなまえ?」
「圭介…」

最後に見た時よりも随分と大人びた顔付きで私を見下ろすその人、もう一人の幼馴染みの場地圭介は何か言いたげに開口した後、気まずそうな表情で目を逸らす。あの日を境に圭介とは関わりを絶った。その存在を自分の中から消してしまいと思うほどには恨んで、もう二度と会いたくないと、顔も見たくないと思った相手の一人だった。けれど、

「…ごめ、」
「は?お、おいなまえ…なまえっ!」

今はそれよりも、この頭痛を消してほしい。


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