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2005年8月14日


仕事をし始めてから時々、襲われるこの偏頭痛には悩まされてきた。病院に行ったところで治るわけでもないし、出来るのは気休めにしかならない痛み止めの服用だけ。それ以外にも身体の不調だったり疲労の溜まりやすさだったり。年々老いを感じる度に、あーあの頃は若かったのになー肌なんか何もつけなくても潤ってたしなーなんて。

「…あ、」

掠れた自分の声がして、ああ朝かと納得したものの、アラームは鳴っていないし止めた覚えもない。なるほど起きるにはまだ早い時間かと薄手の掛け布団を手繰り寄せて寝返りを打つ。ああ、まだ眠いなぁ…今日は仕事休んで一日中寝てらんないかなぁ。ついそんな堕落したことを考えてしまうがこれでも毎日ちゃんと生活の為に働いている。どうも昔から朝だけは苦手なんだよなぁ。

頬を寄せたそれから香る柔軟剤の匂いを吸い込んで不思議に思う。あれ、私、この匂い知らない。

「…やっと起きたか。相変わらず寝起きワリーのな」
「…へ?」

ぐっと力を入れて重たい瞼をこじ開けると、目の前には胡座をかいて座る圭介がいた。これはどういう状況だと視線を彷徨わせてから、彼の後ろに見える勉強机や動物で埋め尽くされた棚にふっとあの頃の記憶が蘇る。ここ、圭介の部屋だ。

「あれ?でも私…圭介?なんで、」
「…お前、覚えてねーの?会ったろ、真一郎くんの墓の前で」

いやそれは覚えてる。そこまでは記憶にある。頭がぼーっとして痛みが強くなって、そこからの記憶がないのだ。のそり、瞼同様重たい身体を起こすと目に入った壁掛け時計。長針が指す数字と外の薄暗さに、なるほど朝の四時かと納得するが一体これはどういう状況なのだろう。

回らない頭で目の前に座る幼馴染みを見やれば、彼はその長い髪の毛を怠そうに掻き上げ息を吐く。

「…急に倒れるし、さすがにビビったわ」
「あー…ごめん、なんかすっごい頭痛くて。…ていうか、ここ圭介の家だよね?もしかしてここまで運んでくれたの?」
「まぁ、あそこに置いとくわけにもな。つってもさすがに距離あるし、オフクロ呼んだけど」
「うわ、申し訳ない…」

どうやらあの場で意識を失ったらしい私は圭介とおばさんによってここまで運ばれたらしかった。いい歳して中学生とその親御さんに助けられるなんて情けない…あ、でも今は私も同じ中学生なんだった。

「えっと、なんか久しぶり…だよね?元気してた?」
「…ああ」
「万次郎も、その、元気にしてる?」
「ん」
「そっか」

途切れた会話。しん、と静まり返った部屋の中は時計が刻む秒針音と互いの息遣いに支配される。他人の家だからか、それとも一緒にいるのが圭介だからか。居心地の悪い沈黙が続く中、先に声を発したのはいよいよこの雰囲気に耐えられなくなった私で。

「相変わらず動物好きなんだね」

占領してしまっていたベッドからそそくさと降り、目だけで部屋の中を見回した。動物に関係した物が多いこの部屋には小さな頃、習い事の後によくお邪魔していた。誕生日に買ってもらったんだと自慢げに広げる生き物図鑑。二人して飽きもせずに読んでたっけ。その内、男女が目立つ年頃になるにつれ互いの家に行き来することはなくなってしまったけれど。

「うわ、このガチャガチャのやつ懐かしい。圭介まだ持ってんだね…ふふ、一時期私も集めてたなぁ」
「なまえ」
「ん?」

被せ気味に呼ばれた名前。ほんの少し強張った顔で私を見つめる圭介を同じように見つめ返せば一瞬怯んだ表情をして、それから唇を噛んで、静かに目を逸らされて。

「いや…いつもあんな時間に墓参り行ってんの?」
「え、あー…今日はたまたま。なんかいろいろ考えすぎて頭パンクしちゃって、気付いたら行ってた、みたいな」
「…へえ」

最後の相槌は消え入りそうな声で小さく紡がれ、再び重い沈黙が訪れる。彼は一体どこを、何を見ているのか。ぼんやりと虚空を彷徨う圭介の視線を辿って、決してこちらを見ないその横顔を見つめる。あの墓地で再会してからずっと感じていた。彼は私を見て何か言いたげな顔をするくせに、寸でのところで口を噤む。まるで核心に触れることを恐れるかのように。

「…圭介は?」
「え?」
「圭介は、いつもあの時間に行くの?」
「…まぁな」

お墓参りをするタイミングなんて人それぞれかもしれない。けどきっと誰にも会わないあの時間に、ああして一人で来るのは今日が初めてじゃないんだろう。

「そう。あの墓地、街灯少ないから暗いでしょ?あ、そうか…昨日真ちゃんの命日だったね…やだ私、お線香あげるの忘れちゃってた」

文句言われるかな。何しに来たんだって。

冗談めかしてそう言えば、彼もきっと同じように記憶の中の真ちゃんを呼び起こし笑ってくれるだろう。そう思っていた。あの頃のことは未だに思い出すと辛くて苦しいし、ここに至るまで楽な道のりではなかったけれど、こうして真ちゃんの話をしても笑える程度には時間が経ってしまった。だから、私は失念していた。

「…え?圭介、どうしたの?」
「…ごめん」
「え、いや、ちょっ…ねえ」
「ごめん、なまえ…っごめん」

私にとっては数十年でも2005年の、今の彼らにしてみれば、まだたったの数年だということを。

嗚咽を漏らしながらただひたすらそう続ける圭介は私のことなんて見ていなかった。俯き目を閉じ、まるで祈るように、そこにいる筈のない真ちゃんの姿を投影しているようだった。小刻みに震える肩と強く握り締められた両手を見て思う。…ああ、この子は、あの時の私と同じだ。

そう思った時には枝垂れるその柔らかな黒髪に触れていた。脱色のなされていないそれは傷みもなく、簡単に指先に馴染む。突然髪の毛に触れられたことで酷く怯えたように身体の動きを止めた圭介はどこかで見たような真っ暗な瞳の中に溢れんばかりの懺悔を縫いとめて私を見上げる。まるで赦しを乞うように。

許すって一体なんだろうか。誰が、どの目線で、何をもってそういうのだろうか。誰を、何を、どう許せばいいのか。そればかりは15年経った今でも分からない。ただ真ちゃんがこの世からいなくなったこと、尊い命が消えてしまったことを私は一生忘れずに生きていくと思う。

「…ごめ、なまえ、ごめん…ごめ」
「うん、分かった。もう分かったよ圭介」

その小さな身体が持つには、きっとすごく重いものだろう。苦しいだろう。だけど背負っていてほしい。その苦しみを忘れないでいてほしい。もう二度と、あんなことは起きちゃいけない。

圭介の頬を両手で包んで目線を合わせる。どんな顔をすればいのか分からず、下手くそな笑顔を作った私を見て彼はぎゅっと目を閉じると何かを決意したかのように小さく頷いた。…ああ、やっぱりさっきのは一つ訂正が必要なようだ。

「ほら、泣くのはもう終わり。顔あげて」
「…ああ、分かってる」
「ふ、鼻水垂れてる…まだまだ子供だなぁ圭介は」
「ウッセェ…お前もだろ」
「え?あーうん、そうだね…今は」
「今は…?」
「あーいや、なんでもないよ」

誤魔化すように笑えば、ハァ?と訝しげに顔を歪めた圭介は先程までの大号泣が嘘かのようにふてぶてしく溜息を吐くと、わざと私を押し退け自身の寝床を陣取った。そしてこちらに背を向けたまま「ちょっと寝る」そう言うと、数分もしない内に寝息を立て始める。よっぽど眠かったらしい。

思えば私がその場所を占領していたせいだったと少しの申し訳なさを感じつつ、拳一つ分ほど開けられた窓から白み始めた空を見上げた。彼は立ち向かう勇気を持っている。だからきっと何度躓いても、間違えても、自分が正しいと思う道を進むのだろう。そう、私と違って。


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