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2005年11月某日 邂逅


名前しか知らないその人と初めて会うことが出来たのは11月も半ば。景色も随分と冬に近くなった寒い日だった。少年鑑別所。重々しく掲げられた正門を通り過ぎ、案内されるがまま通されたのはドラマなんかでよく見るガラス越しの面会室。ここに来るまで付き添ってくれた三ツ谷は震えた携帯を見るなり困った顔で「ごめん、ちょっと呼び出し」そう言ってついさっき出て行ってしまった。

…つまり、私は今、初対面の相手とこうして向き合っているわけだ。

「…はじめまして」
「え、あ、はじめまして……ごめん、誰?」

律儀に挨拶を返して、けれど困惑に染まる顔で私を見た彼の気持ちは分からないでもない。面会だと呼ばれ来てみれば自分と大して歳も変わらない見知らぬ女が一人、座っているんだから。

一虎。名字は知らない。けれど、なるほど。名前とよく似た刺青を首元に施す様はまさしく、名は体を表していると思わされた。その歳にしてはやや幼く見える風貌を持つ彼は、困ったように眉を下げて私を見返した。表情と醸し出す雰囲気からはとても人殺しを犯すような狂気は感じ取れない。けれど、一虎が目の前にいるのだと思うと腹の底でふつふつと何かが湧き上がってくるのは確かだった。

「多分知っても困るだろうし、自己紹介はしないでおくね」
「…え?」
「勝手で一方的なのは申し訳ないんだけど…今日はあなたに言いたいことがあって来たんだ」

しん、と静まり返った室内で私から放たれる次の言葉を彼はただ待っていた。何を言うでもなく、ほんの少し覚悟したような、そんな面持ちで。

「多分、これから先何年経っても…私、あなたがしたこと忘れないと思う」
「!」
「本当はね、ずっと恨んでたんだ…心のどこかであなたのこと、同じように殴られて死ねばいいのにって思ってた」
「…うん」
「でも、私の幼馴染みが…何も考えてないような顔で人一倍周りのこと見てて、一人で全部抱え込んじゃう不器用な場地圭介って男がさ…あなたのこと、守りたいって。仲間だって言うから」
「っ!」
「だから…もう、許してもいいかなぁ」

どこで言われたのか、それとも何かで読んだのか。もう思い出せないけれど確かに誰かが言ってたんだ。許す。それは他人に向けられた言葉じゃない。自分自身に向けた言葉なんだって。誰かを許すんじゃない、自分を許すんだって。

「……場地が、」
「え?」
「女だけは泣かすな、面倒くせーからってよく言ってた。苦い顔で、まるで誰かを想像してるような顔で笑ってさ。でも一丁前に女語る場地に、なに言ってんだこいつ彼女できたこともねーくせに、って…ずっと思ってた」

あれ、あんたのことだったんだな。薄らと瞳に膜を張りながら真っ直ぐ向き合ったその人の顔を、私は今になってちゃんと見た。どこかほっとしたように口元を緩め、よかったと呟いた一虎の本心は計り知れないけれど、その言葉が取り繕われたものではないということだけは分かったから。

「…泣かすなって、そんなこと一番泣かせる張本人がよく言えるよね。しかもさ、あいつ、自分の後輩に私のこと泣き顔ブスとか言ってさ」
「…なにそれ、ひでぇなぁ」
「ひどいよ。ほんと、何一丁前に語ってんだか」

私も一虎も、最後まで下手くそな笑顔を貼り付けていた。面会時間が終了し、促されるまま部屋を出て行く私に向かって深く頭を下げた一虎の姿が見えたけれど、振り返ることはしなかった。罪を犯してしまった彼の行く先はきっと過酷なものだろう。けれど圭介が必死になって守った仲間だからこそ、後悔も絶望もこれから乗り越えていく筈だ。

…ああ、私もいい加減、乗り越えないといけない時がきたのかな。


「みょうじ、終わったん?」
「あれ、三ツ谷…ごめん待った?」
「いや大丈夫。さっき用終わって戻ってきたんだ。…一虎とは話せたか?」
「ん、ありがとう。三ツ谷のお陰でちゃんと話せた」
「そか」
「はぁー…終わった」

面会室から出ると三ツ谷はすぐそこの壁に凭れて待っていた。糸が切れたように長く息を吐き出した私に、お疲れさんと労りの言葉をくれた彼は一瞬何かを逡巡した後、帰るかと出口に向かって歩き出す。

私が一虎に会いたいと言った時、三ツ谷は特に何も言わなかった。何も言わず、今日この日、彼に会えるように取り計らってくれた。そんな三ツ谷にこんなことを言うのは烏滸がましいかもとは思いつつ、気付いたら言葉にしていた。三ツ谷は、一虎に会わなくてもいいの?するとややあってから、ドラケンとタケミッチがもう会ったみてぇだからいいんだと静かな声で言った。

「…そっか。そのドラケンとタケミッチって、チームの人?」
「ああ、副総長と最近入った新入り。あーでも、新入りの方はつい最近隊長になった」
「へぇ」
「あいつ喧嘩は弱ぇんだけど、なんでかな…あの必死な顔見てるとみんな背中押されんだ」

タケミッチを語る三ツ谷は何故か少し誇らしそうで、その姿がいつかの、孫を天才とベタ褒めする万次郎の祖父ーー…当時、圭介と私が師事していたその人と重なって見えてつい笑ってしまった。


「じゃあなみょうじ、また学校で」
「うん、また」

家まで送ると言ってくれた三ツ谷の申し出を有り難くも断り、私の最寄り駅とは別のところで別れたのには理由がある。2005年にやってきて何度目になるか分からない墓参りの為だ。ただし、今日赴いた場所は行き慣れたそことは違う。目的地へ向かう途中で大事な物を忘れた事に気付いてコンビニに寄ったこともあり、到着した時には既に陽は落ちていた。


「…圭介、来るの遅くなってごめん」

墓石に刻まれたその名を呼んでも返事なんてないのは分かっている。けれどつい最近まで言葉を交わしていた相手だからこそ話し掛けないわけにはいかなかった。香炉に火をつけたお線香を置けば、独特なにおいと共に細いその煙が空気に溶けていく。

墓前に供えるもの…と考えて一番に浮かんだのは、あいつが好んで食べていた某カップ焼きそばだった。けれど数日前に同じことを考え実行したという千冬くんの話を聞いてその案はすぐに却下した。圭介と千冬くん。最期、二人が交わした約束に水を指すわけにはいかないと思ったからだ。

代わりにもならないけどと腕に下げていた袋の中を漁り、取り出した小袋から中身を半分抜き取って墓前に供えた。彼と最後に会ったあの日、無理矢理連れて行ってもらった海で一緒に食べた、あの駄菓子だ。

「…私、今日一虎に会ってきたよ」

少しだけど話もしたよ。それから…もう、許すことにしたんだ。ねぇ、圭介。私、最後まであなたをちゃんと許せなくてごめんね。言葉にするのが怖くてずっと逃げてた。でも、逃げるのはもう終わりにしようと思うんだ。

「圭介、ありがとう」

ああ、ここまでくるのに随分と時間を掛けてしまったなぁ。

供えたお菓子はしばらくして私が食べた。置いておくとカラスが荒らしにくるのだといつか住職さんが困ったように言っていたのを思い出したからだ。墓石に背を向ける瞬間、そこに彼はいないのだろうけど、また来るね。呟くように声を掛ければ柔らかい風が私の髪の毛を悪戯に攫った。姿は見えない。けれど何故か、あの長髪を靡かせて笑う圭介が、今度こそラーメンマンにしてやるよ、なんて言った気がして胸が熱くなった。


圭介のお墓参りを終えて、ちょうど出入り口を抜けようとした時だった。どこからか、とても懐かしい音が聞こえた。独特なその音がバイクのものだということは分かるのに、まるで靄がかかったみたいに肝心の何かは出てこない。…なんだっけ。あともうちょっとで思い出しそうなのに。そうして考え込む内に気付いたら私は立ち止まっていた。

どんどん近付いてくる音と光は一瞬で目の前までやって来て、止まった。至近距離で届くヘッドライトが眩しくて直接見ないようにやり過ごしていれば、エンジンが切れると同時に光も消えた。街灯に照らし出された場所で降り立ったその人と、どこかで見た記憶のあるバイク。ああ、そうだ…ようやく思い出した。

嬉しそうに、でもどこか名残惜しむように笑った真ちゃんが磨いていた、あの時のバイクだった。

「万次郎…」
「…なまえ?」

それは予期せぬ邂逅だった。名前を呼べば弾かれたように顔を上げたもう一人の幼馴染みは、その瞳いっぱいに驚きを滲ませ私を見た。十数年ぶりの彼に対し、万次郎ってこんな顔もするんだなぁなんて呑気なことを頭の片隅でぼんやりと考えていた。

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