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2005年11月某日 邂逅


「ごめんエマ服借りちゃって…洗って返すね。あとお風呂もありがとう」
「全然いいよぉ。それよりウチ、なまえに聞いてほしいこといっぱいあるんだ!恋バナしようよ恋バナ」
「エマ、後にしなさい。なまえ、ほら熱い茶でも飲め。シャワーだけじゃ温まらんだろ」
「あ、ありがとうございます先生」
「ねえねえなまえ!お腹空いてない?これから晩御飯だからよかったら食べていきなよ!今日おじいちゃんが近所の人からお肉いっぱい貰ったからしゃぶしゃぶかすき焼きにしようかって話してたの」
「え?えーと…」
「おう、食ってけ食ってけ。エマ、ワシはすき焼きがいい」
「おっけーじゃあ多数決で決めよ!なまえはどっちがいい?エマ、しゃぶしゃぶ!」
「ん…ありがと。私、どっちも好き」

二人の好意にほっと息を吐いた私を見て、エマと先生はよく似た笑顔を浮かべ満足そうに頷いた。マイキーがお風呂上がったら多数決取ろ!そう言ってキッチンの方へ消えていったエマを見送って、家に一報入れてきますと席を立つ。連絡する先を実家にするか携帯にするかで悩んだ結果、きっと今頃ハマっているドラマを観ているだろう祖母の邪魔はよそうと、今日も夜勤だと言っていた母親の方にメールを入れた。



十数年…まぁ2005年ではたった数年だが、挨拶もなく顔も出さなくなったというのに、二人はあの頃と何ら変わりなく私のことを受け入れてくれた。

墓地で万次郎の姿を捉えてすぐ、急な土砂降りに見舞われた。天気予報なんて見てなかったし、雨が降るだなんて思ってもいなかったからもちろん傘なんて持っていない。近くに遮るものもなかった為、二人して全身濡れ鼠だった。

急すぎる出来事に呆気に取られながらも、張り付く衣類の冷たさに震えた私の手を取った万次郎が「とりあえず乗って」そう言って自身のバイクの後ろを指した。複雑な思いを抱きながらも乗車すればしばらくして到着した場所がここ佐野家であった。

玄関先で妹の名を呼んだ万次郎。それに呼応して扉の向こうから顔を覗かせたエマは、私たちを見るなり驚愕の声を上げた。風邪引くよとりあえずお風呂!そう言って万次郎より先に脱衣室に押し込まれた私は、久しぶりなまえ!はいこれ着替え!とテキパキ指示するエマの指示に従って、今に至る。


「エマ、私も手伝うよ」
「ありがと!じゃあ野菜切って」
「おっけー」
「あーあ、しゃぶしゃぶがよかったのに。さっき聞いたらマイキーもおじいちゃんと一緒ですき焼きがいいんだってさ」
「そっか。じゃあ、しゃぶしゃぶはまたの機会だね」
「んー今度はしゃぶしゃぶにしよ!なまえも呼ぶね!」
「はは、ありがと」

キッチンに立つエマの隣に並んで出された野菜を切っていれば、肉を食べやすい大きさに切っていた彼女が小さな声でもう一度「…ほんと、久しぶりだね」と言った。視線を肉に向けたまま、真兄が死んで以来かなと続けたエマから自身の手元に目を向けて、そうだねと返す。

「…エマ、私ね」
「ん?」
「万次郎に、謝りたいんだ」

今更遅いし、ただの自己満足だけど。それは言い訳みたいに聞こえる気がして口には出せなかった。けれど幼い頃から一緒にいて、私のことも分かってくれている彼女だからこそ、年上らしくもない頼りない声で問いかけてしまう。許してくれるかなぁ…なんて、自分勝手なことを。

「…なあに?またマイキーと喧嘩したの」

呆れた声がした。昔から仲が良いのか悪いのか…喧嘩ばっかだったもんね二人は。そう言って、仕方なさげに笑う声がした。

「なまえが家に来なくなって、マイキーがなまえの話をしなくなって…まぁなんとなく、何かあったんだろうなとは思ってた。ね、玄関に飾ってる写真ね、真兄とマイキーとなまえと、それから私と。みんなで花火した時のやつなの。あれね、最近になって飾りだしたんだ」
「そう」
「選んだのはマイキー。なんでだと思う?」
「え?…なんでかな」
「それは……ううん、やっぱやめとく」
「えー言いかけてやめないでよ、気になるじゃん」
「だって、言ってもいいってマイキーから言われてないし…勝手にバラしたら後で怒られるのエマだし」

だから早く仲直りして、なまえが聞いてみたらいいよ。なんて悪戯に笑ったエマに、まったくハードルが高いことを…と心の中で呟いた。



すき焼きの準備が整った頃、エマの声に万次郎は少し濡れた髪のまま現れた。腹減ったーと溢されるその声を合図にそれぞれが席に着き、四人で食卓を囲む。きっと普段からそうなのだろう。エマが場を取り持つように色んな話をしてくれて、先生も私が話しやすいようにと母親や祖母はどうしているかと話題を提供してくれた。

万次郎はほとんど喋らなかったが時折「もうこれ出来てる」「卵いる?」と短い言葉を私にも向けてくれた。会話という会話はしていないが、食事中気まずい雰囲気になることもなく、すき焼きを食す会はあっという間にお開きとなった。一飯の恩義を晴らす為、片付けを申し出た私がのんびりとそれを終わらせた頃、エマが名案を思いついたとばかりに声を上げる。

「なまえ、今日泊まれば?そんでウチと恋バナしよ!」

時刻は21時を過ぎていて、外はあの土砂降りではないにしろまだ雨が降っていた。佐野家から実家までは割と距離があるし、確かにエマとはまだ話し足りないけれど。

「さすがに急だし迷惑じゃん、帰るよ」

あ、ごめんけど傘貸してくれる?そう続けた私に見た目も中身も妙に大人びている一つ下の幼馴染みが、いつかの子供みたく膨れっ面を披露する。…いや、その顔も可愛いけども。

「ウチは迷惑じゃないもん!おじいちゃんもマイキーも迷惑じゃないと思うよ!ねぇ!いいよねおじいちゃん!」
「ん?何が?よく分からんけど好きにしなさい」
「ほら!!」

風呂上がり、たまたまリビングにやって来て水を飲んでいた先生は多分あんまり話を聞いていない。というか、全く聞いてない。昔、よく泊まっていた場所ではあるがそれも中学に上がる前までの話だ。しかも私の中身はもうアラサー。さすがに遠慮する。

「そんなに気になるならマイキーにも迷惑かどうか聞きに行こ!ほら、部屋にいるから!」
「ちょちょちょ、分かった分かった!泊まる!泊まるから!」
「へへへ〜勝った」
「…もう、ほんとエマには勝てないわ」

そんなわけで急遽泊まることになり「エマと一緒に寝よ!」と彼女の部屋に案内された私。部屋の主が眠りに落ちるその時まで二人で色んな話をした。エマは真ちゃんがいなくなってから万次郎が部屋をあのプレハブに移したこと。それ以外の出来事も話して聞かせてくれた。ただ彼女の好きな人についての話が多くを占めていた。

エマの好きな人は万次郎たちと同じチームで副総長をしているらしい。まったく相手にされないのだと落ち込んでいた。その姿がかつての自分と重なり、話を聞くにも熱が入った。ドラケン、万次郎と同じく誰もがそのあだ名で呼ぶという相手のことをエマは時折、ケンちゃんと特別な呼び方をした。その時の表情があまりにも恋する女の子で、私まで自身の淡い恋心を思い出して追体験しているような心地になった。

そういえばドラケン、どこかで聞いたことがあると思ったら三ツ谷も同じような名前を呼んでいた。副総長がどうとか言っていたから多分、この二人は同一人物で間違いないだろう。

恋の話題から友達の話、その友達の恋人の話まで本当に幅広くエマは語った。彼女が小さな身一つでここにやって来た時から、エマは私にとって妹のような存在で、友人であり、姉でもあった。

あの頃、自身で途絶えさせてしまったこの関係をもう一度修復させることが出来るとは思わず、エマに気付かれないようにこっそり浮かんだ涙を拭った。


すやすやと規則的な寝息を立てるエマを起こさないよう、こっそりと部屋から抜け出したのは日付も変わった頃だった。他人の家で眠れない、なんてことはないと思うのだが、今日はどうにも目が冴えていた。庭に続く掃き出し窓から空を見上げる。雨はいつの間にか止んでいた。雲が切れ、僅かに顔を覗かせる月とうっすらぼやけた星が見えた。

「…寝れねーの?」

小さな足音と流れる水の音が聞こえたからきっとそこにいるのだろうと思っていた。振り向くと寝巻き姿の万次郎がぼんやりした表情で立っていた。トイレ?そう聞くと頷いた彼が私の傍まで歩いてくる。

「髪ボサボサだね」
「…さっきまで寝てたから」

大きな欠伸をして半分目を閉じかけた万次郎に、おやすみ。そう声を掛けて背中を向ければ、名前を呼ばれた。振り返ると彼はその重そうな瞼をようやく押し広げて私を見た。あの墓地で会って以降、初めて視線が絡み合う。

「…なまえ」
「ん?」
「場地…死んじまった」
「…うん」
「一虎もパーも、捕まっていなくなった。残ったのは、ケンチンと俺と、三ツ谷だけ。創設メンバーはもう、半分しかいねぇ」
「そう」
「…俺、間違ってたのかな。どこを、何を、間違ったんだろう」

そう呟くように言った万次郎の深い闇が見え隠れする瞳に捉われる。あの時と同じだ。けれど、まったく同じではないことに気が付いた。真ちゃんが死んで、私が彼を責めてしまった時の何倍も禍々しい、濃い黒が万次郎の目の中に渦巻いていた。

「万次郎」
「…ん?」
「私、万次郎が間違ってたかどうか…ごめん、分かんないや」
「…うん」
「でもさ、分からないけど…圭介が言ってた。万次郎も一虎も仲間だから守りたいんだって」
「…あいつ、そんなことお前に言ったの」
「うん。だから、今日、一虎に会ってきたの」
「!」

その名を出した途端、一気に引き締まった表情はさっきまで眠いと目を擦っていた人とは別人のようだった。驚いているのか、戸惑っているのか。正確な感情の機微は読み取れないが、そのどちらも当て嵌まるような複雑な表情で私を見ていた。

「ずっと、一虎が憎かったよ」
「…俺もだよ」
「…そうだよね。万次郎も、そうだったよね」
「うん…そうだったよ」

ああ、言うなら今だと思った。少し泣き出してしまいそうな顔で、無理に笑おうとする万次郎に勢いよく頭を下げる。あの時も、今も。彼にこんな顔をさせているのは私だ。

「あの時、酷いこと言って傷付けて…ごめんなさい」

理不尽なことを言って、何もかも万次郎のせいにして逃げて。辛いのは自分だけだと殻にこもって。不安と恐怖の中にいた私の手を何度も引いてくれたあなたに何も返さないどころか一番酷な言葉を吐いた。

万次郎はしばらく何も言わなかった。何も言わず、掃き出し窓を開けると縁側にゆったりと腰掛け空を見上げた。そしてまるで深呼吸をするかのように、大きく息を吸って吐き出しながら、なまえは間違ったこと言ってねぇよ。そう言った。

「…間違ってるよ、あんなの、最低なただの八つ当たりだよ」
「…俺さ、あいつらが捕まって連れてかれるところ見てたんだ。でも、現実味なくてさ。最初は信じらんなかった。一虎がシンイチローを殺したことも、シンイチローが死んじまったことも」

正直、未だにこれが現実なのか、夢なのか分からなくなる時がある。ぽつりと漏らされたその言葉は真ちゃんがいなくなってから時折覗かせる、あの暗い瞳を彷彿とさせた。万次郎、名前を呼べば彼は小さく返事をした。けれどこちらを振り返ることも、あの頃私に見せていた鷹揚さもそこにはなかった。

「…俺のせいだよ。俺だけ、メンバーん中で原付だったから。あいつら驚かせてやろって、誕生日にアニキからバイク譲ってもらえること秘密にしないで言ってたら…場地も、一虎だってあんなことしなかったんじゃないかって」
「万次郎、違うよ…それは違う」
「…でも、じゃあなんで…?なまえ…俺のせいじゃなかったら、なんで、シンイチローは殴られて死ななきゃいけなかったの」
「っ万次郎」
「なんで…シンイチロー、もういねぇの?」

震えた声でそう言った万次郎の言葉は、感情は、きっとあの時私が奪ってしまったものだった。憤りや悲しみや、全てがない混ぜになったような、どこにもやり場のない酷く苦しい想いだった。彼はあの時、辛い、悲しいと泣く私を見て必死に自分の感情を殺したんだ。一体どれだけの苦しみを抱えていたんだろう。どんな気持ちで万次郎は私の手を引いてくれたんだろう。

ああ、そうだ。私が、彼にそうさせてしまった。

「万次郎、ごめん…ごめんねっ」
「…っう、」

震える背中を、頭ごと抱え込むように抱き締めた。今なら分かる。万次郎は強く見えて、本当は強くなんかないってこと。だって彼はまだ15歳の子供で、大人じゃない。大人でも一人では辛いことや苦しいことを背負い続けるには限界がある。心が悲鳴を上げて壊れてしまう。だから人はいつも救いを求めて生きている。

「っ真ちゃ、真ちゃんは…もう目には見えなくなっちゃったけど、今も絶対万次郎の側にいる。大丈夫、一人じゃないよ。エマも先生も万次郎の仲間も、みんな万次郎のこと大好きだよ。ね、今度は私も万次郎のこと守る。だから、だから…」
「…見えねぇけど、いんのかな。シンイチロー、見ててくれてるかな」
「いるよ、絶対見てくれてる。…マンジロー、頑張ってんじゃん。って笑ってるよ」
「はは、似てねぇ」

なまえモノマネ下手だなぁ。小さく笑って、抱き締めている私の腕に手を伸ばした万次郎はもう涙を流してはいなかった。

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