きゅーともんすたあ

「くぅっ」

 それは例えるならば、子犬のような声だった。

 その日、ヒムロはヴァイツの大きな腹に凭れて眠りについていた。ドラゴンの時と、人型の時、どちらの姿であっても、ヴァイツとヒムロが共に寝るのは変わらない。
 人型のヴァイツの逞しい腕に抱かれて眠るのは好きだが、ドラゴンのヴァイツの腹に凭れて眠るのも、ヒムロは好きだ。ようするに、ヴァイツと一緒に寝れればどちらでも良いというわけである。
 さてその日、ヒムロの記憶が正しければ、ドラゴンの腹に凭れて眠っていたはずなのだ。にも関わらず、今、ヒムロは毛皮と羽毛に埋もれて眠っていた。もしや、寝ている間にヴァイツがドラゴンから人型になったのかと思ったが、そんな面倒なことをヴァイツがするとは思えなかったし、そもそも、もし人型であればその腕に抱かれて目を覚ましたはずなので、その可能性は低かった。

「きゅうっ」

 声が聞こえる。その声は、ヒムロの眠りを妨げた声に他ならない。
 この洞窟にいるのは、基本的にヴァイツとヒムロのみである。それにも関わらず、聞き覚えのない声がするのは妙だ。
 ヴァイツが危険なものをここに入れるはずもないので危機感はないが、しかし、ヴァイツとの生活空間に他の生き物が入ってくるのは些か、否、かなり不愉快である。
 そもそも、ヴァイツの許可なしにここに入れる者は限られている。つまりは、この声の持ち主もヴァイツに容認されているのではなかろうか。そんな仮説が立ち、ヒムロは心臓を捕まれた心地がした。

 愛らしい鳴き声からするに、ヒムロの生きていた世界でもきっと可愛がられるだろう生き物に違いない。もしや、ペットにするつもりなのかもしれない。

 震えそうになる両手を握りしめ、ヒムロはおそるおそる、顔を上げた。

「くぅぅ」
「え……?」

 顔を上げたヒムロは、金色の目に自分の顔が映っているのを見た。細長い瞳孔がきょろりと動き、ヒムロを見ている。呆気にとられるヒムロを前に、その小さな生き物は不思議そうに首を傾げた。

「きゅう?」

 可愛らしい生き物だった。煌めく白銀の鱗を生やした、子犬ほどの大きさの生き物。背中に生えた小さな羽がぱたりと一度動いた。長い尾は、ゆらゆらと揺れ、偶に地面に擦れている。それに、ヒムロは見覚えがあった。

「ヴァ、イツ……?」
「くるるっ」

 ヒムロの目に、ぶわりと涙が浮かぶ。

「ヴァイツの、子供っ……?!」
「きゅるるっ?」

 突然涙を流し始めたヒムロに、その小さなドラゴンは金色の目を瞬かせた。呆然と涙を流すヒムロの前を、小さなドラゴンはうろうろと彷徨き出す。

「きゅう」
「は、はは……そうだよな、ヴァイツ格好良いし、……番がいても可笑しく、ない……」

 ぐす、と鼻を鳴らすヒムロの目からは、相変わらず涙が流れ落ちていく。小さなドラゴンが、ヒムロの顔をのぞき込む。ヴァイツによく似た金色に映るのが嫌で、ヒムロは俯いた。それがどうやら気に入らなかったのか、どこか不服そうな鳴き声を上げた小さなドラゴンは、ヒムロの懐にその顔をつっこんだ。
 そしてその顔を、ぐい、とヒムロの首筋に押し当てた。その反動で、ヒムロは俯いていた顔を上げることになる。

 何をするんだ、と嗚咽を抑えて文句を言おうとしたヒムロだったが、顔を上げ視界に入ったものを見て固まった。

 ヒムロの視線の先には、一人の男がいる。艶やかな黒髪に、禍々しくも妖しい赤色の瞳の、この世のものとは思えないほど美しい男。ヒムロにとっては鬼門たる男が、そこに立っていた。ぽかんとした、その男にしてはちぐはぐな間の抜けた顔で、呆然と立っていた。

「ヴァイツ……?」
「きゅっ?」

 その声に反応してか、小さなドラゴンは後ろを振り返る。男……魔王リオラリュードは、ふらふらとした足取りでヒムロの方へと歩み寄ってきた。
 こてん、と小さなドラゴンが首を傾げたのと、「ヴァイツ!」とリオラリュードが喜色の声を上げたのは同時だった。

 ヒムロが瞬きをした瞬間には、それまでヒムロの側にいた小さなドラゴンはリオラリュードの腕の中に浚われていた。呆気にとられるヒムロを余所に、リオラリュードは小さなドラゴンを抱きしめて頬ずりをしている。

「ヴァイツ、随分と懐かしい姿をしているな?可愛いぞ、実に可愛い!」

 そう言いながら、リオラリュードは小さなドラゴンにキスを繰り返し送り始めた。それに対してどこか億劫そうにさり気なく顔を背ける小さなドラゴン。
 そんな一人と一頭を唖然と見つめていたヒムロの隣で足音がした。

「リオ兄様が突然いなくなったと思ったらこういうことだったのね!やーん、ヴァイツお兄さまったらか、わ、い、い〜!」

 ヒムロが隣を見上げれば、筋骨隆々とした男が頬に手を当て体をくねらせていた。

「え、あ、え……?ヴァイツ……?」
「あらん?ペットちゃんったら泣き顔晒してどうしたの?」

 座り込むヒムロを見下ろし、ヴェルドラは首を傾げた。ヒムロはリオラリュードを指差し、ヴェルドラを見上げながら、ぽつりとつぶやいた。

「あ、あれって」
「え?ああ!ヴァイツお兄様めちゃくちゃ可愛くない??アタシもハジメテお兄様のちっちゃい頃の姿見たけど可愛すぎよ、もぉ〜!」
「ヴァイツの子供じゃ、ない……?」
「ぷっ、あははは!違うわよォ!もしかして、だからショック受けて泣いてたわけ?ペットちゃんも可愛いわねぇ。あの子ドラゴンは、正真正銘ヴァイツお兄様!アタシやリオ兄様が、見間違えるわけないじゃない」

 けらけらと笑い、ヴェルドラは「リオ兄様ぁ!アタシもお兄様抱っこさせて〜!」とリオラリュードたちの方へと小走りで寄っていく。
 理解が追い付かないヒムロだったが、こちらを向いた金色の眼に誘われるようにして、よろよろと立ち上がった。

「はあ……可愛い奴め」
「ねぇ、ちょっと、リオ兄様!アタシにも抱っこさせて!」
「待て。もう少し……うっ」

 ヴァイツの尾が軽くしなり、ぺしりとリオラリュードの頬に当たる。それから、じたばたとリオラリュードの腕から逃れるべく暴れはじめたヴァイツの目は、ヒムロを見ていた。
 そのヴァイツの目線にリオラリュードも気付いたのだろう、先程までヴァイツに向けていた目が、ヒムロを向く。
 その視線の強さに、ヒムロはぎくりとその場に硬直した。元々リオラリュードに苦手意識があるヒムロは、リオラリュードの鋭い眼光に震えるしかない。
 そんな二人をヴェルドラがどこか呆れたように交互に見やっていたが、ふっと溜め息をついた。

「ああ、もう、リオ兄様ったらちょっと……あら?」
「ッ!」

 ぺしん、とヴァイツの尾が再びリオラリュードを打った。それはヴァイツを抱いていた腕に下から当たったせいで、ぽん、と腕が上へと跳ねた。同時に、ヴァイツもその腕を蹴り上げて宙へと飛び上がる。

「危なっ」

 ぴょん、と身軽にリオラリュードの腕から跳んだヴァイツは、そのままヒムロの方へと落ちてくる。ヒムロは、慌てて腕を広げてヴァイツの小さな身体を受け止めた。
 ずしり、と腕の中に収まったその身体は、見た目の大きさに反して少し重たい。それはおそらく、鱗の重さなのだろう。
 ごそごそ、とヒムロの腕の中で収まりの良い位置を探すかのように動いていたヴァイツは、しばらくして満足したように大人しくなった。
 それから、ヒムロを見上げて、その首を伸ばす。じっと金色の眼がヒムロをしげしげと見たかと思えば、小さな舌がヒムロの濡れていた頬を撫でた。

「ヴァイツ!」
「きゃあ!なんて眼福!」

 リオラリュードの怒りと遣る瀬無さを含んだ声と、ヴェルドラの野太い喜色の声が上がるもヴァイツは全く気にした様子もなく、ヒムロの頬を舐めている。

「……ヴァイツ」
「きゅる?」

 呼べば、ヴァイツが顔を離して首を傾げた。なんだ、と言いたげなその顔に、ヒムロは自分の頬が緩むのを感じた。

「か、可愛い……」
「くうっ」

 思わずぎゅっと抱き締めてしまう。

「この、人間如きが俺の可愛いヴァイツに何をしている!ヴァイツ、そんなものの腕の中より、俺の腕の方が良いだろう?おまえが小さい頃、いつも抱き上げてやっていたのを覚えてないか?」

 一瞬で間を詰めたリオラリュードが必死になってそう言うも、ヴァイツは小さな口を大きく開けて欠伸を漏らすだけだ。全く反応してくれないヴァイツに、リオラリュードはぐっと息を呑む。
 それから恨めし気にヒムロを睨むが、しかし、その腕を何とか動かさないよう必死にとどめているのを、傍で見ていたヴェルドラはしっかりと分かっていた。
 ヒムロに敵意を向けはするものの、リオラリュードは手出しはしない。それは、リオラリュードがヒムロを気に入っているから、では勿論無く、単に異母弟に嫌われるのが嫌だからだ。
 過去にヒムロに間接的にちょっかいを出した挙句、異母弟に大怪我をさせてしまったことを、リオラリュードは地味に引き摺っているのである。

「きゅる、る、」
「うん?どうしたんだ?」

 何かを訴えるように鳴き声を上げたヴァイツに、ヒムロは微笑み問いかける。ヴァイツはそんなヒムロをじっと見上げた後、再び欠伸を漏らした。

「眠いのか」

 その問いに、ヴァイツは答えない。もぞもぞと動くと、ヒムロの腕に顎を乗せてその金色の瞳を瞼の奥に閉じ込めてしまった。


「なんだこの可愛い生き物……」
「ヴァイツ……俺の弟が尊い……」
「可愛すぎて鼻血でそう」


 時折喉の奥で唸りながらも眠る子ドラゴンを、暫くの内立ち竦んだまま三人は見守るのだった。


END.


突然書きたくなったヴァイツが小さくなる話。
ヴァイツに記憶があっても無くてもどっちでも良い。
中途半端ですが、これにて終了。

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[3]
ドラゴンのペット

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2017.05.08〜