ドラゴンの契約者
おい、と低い声に起こされるのが好きだった。どこか呆れたような、しかし苛立ちは然程含まれていないその声を向けられるのが自分くらいだと知っているから、尚更、愛おしかった。
「……おい、いつまで寝てる」
ぎしり、とベッドが軋む音と共に、横たえた身体が深く沈んだ。彼が、ヒムロのベッドに腰掛けたのだ。
ぺち、と彼にしては大層加減がされた力で頬を叩かれる。ぺち、ぺち、と二度三度叩く彼の行動は、彼の外見からは考えられないほど幼くて、好きだった。彼は時折、こういった子供じみたというか、邪気の無い仕草をする。
「んん……」
「起きろ」
ぺち、ともう一度頬を叩いたその手は、次にヒムロの髪に優しく差し込まれた。するすると撫でる手が気持ち良くて擦り寄れば、チ、と短い舌打ちが一つ。
ああ、しまった、と思うがもう遅い。次の瞬間には、ぐい、と身体は無理矢理引き起こされていた。
ヒムロの脇に手を差し入れ、まるで小さな子どもを持ち上げるように易々とヒムロを引き摺り起こした男は、少し苛立った顔でヒムロを見ていた。
さすがに、なかなか起きないヒムロに彼も苛立ちを覚えたらしい。
爬虫類のような金色の目と、銀色の髪が眩しくて、ぱちぱちと瞬きをしていれば、脇に差し入れられていた手がぱっと離れた。
「うわ!」
どすん、とヒムロの身体はベッドに落ちる。痛くはないが、驚いた。
「起きたか」
驚きに一気に目が覚めたヒムロに、彼も気付いたのだろう。く、と上がる口角の端から尖った犬歯がちらりと見えた。
「お、おはよう」
「ああ」
「起こしてくれてありがとう、ヴァイツ」
「ふん」
素気ない返答をしながらも、ヴァイツはその鉤爪のある手を差し出した。それを掴めば、あっさりとベッドから引っ張り起こされた。
役目は終わったとばかりに離れて行こうとする手を引き止めれば、ヴァイツは訝しげに眉根を寄せる。
銀色の鱗に覆われた手はざらざらと、人間であるヒムロの手に引っかかる。鋭利な黒い爪をそっと撫でれば、ひやりとしていて、硬かった。けして肌触りが良いとは言えないが、その手の甲に頬を寄せ、ヒムロはそっと目を閉じた。
それはさながら、神様にでも祈る敬虔な信徒の如く、穏やかで、静謐な表情だった。
「……物好きな」
ぼそりとそうヴァイツは呟いたが、ヒムロの行動を拒否も咎めることもしなかった。
こうしたヒムロの行動は、ヴァイツと契約した日からずっと続いていることだ。たった一年。されど一年。ヴァイツはもう慣れたらしい。
「……よし、着替えて食事を取りに行こう」
暫くして満足したヒムロが顔を上げる。ああ、と短く答えたヴァイツの手を名残惜しげに離して、ヒムロはクローゼットへと向かう。
それを横目で見たヴァイツは、のしのしと寝室を後にする。ヒムロが着替える際、彼は部屋を出て行く。それは彼の自発的な行動ではなく、着替えを見られる恥ずかしさにヒムロが頼んだことだった。
自ら頼んだこととは言え、何の躊躇いも無く、ヒムロを振り返ることも無く出て行く大きな背中をヒムロは少しばかり残念に思いながら見送った。
かと言って今更居て良いとも言えないし、恥ずかしいことに変わりはないので、何も言えない。そもそも、そんなことを言えば、ヴァイツも奇妙に思うはずだ。
「……はー」
学生服に着替えながら、漏れ出る溜め息は深い。シャツのボタンを留めながら、ふと見下ろすのは己の腹だ。
程よく筋肉がついた、白く綺麗な腹。そこをそっと撫でながら、傷が欲しいなあ、と独り言ちる。ヴァイツと揃いの、腹の傷。
そこまで考えて、あれ、と首を傾げた。
ヴァイツの腹に傷はない。勿論、ヒムロの腹にも。それは喜ばしいことだ。怪我はしないに越したことはない。しかし、何故か、腹に傷がないことに違和感を持ち、欲しいと思ってしまったのだ。
「おい、まだか」
「っ!」
部屋の外から、低い声がする。びくりと肩を揺らしたヒムロは、慌ててシャツのボタンを留めてブレザーを羽織った。
足早に部屋を出れば、壁にもたれ腕を組んだヴァイツが、ヒムロを待っていた。
人間の容姿をベースに、銀色の鱗が顔の半分の面積を占める彼の風貌は、その2m近い巨体も相まって酷く恐ろしく、そして、醜い。否、醜いというよりは、酷く他者を不安にさせる容姿だった。
彼の兄弟は、それぞれ系統は違えど大層美しい顔をしている。であれば、鱗にさえ覆われていなければ、ヴァイツは醜くなかったのだろうか?
そう疑問に思うが、しかし、ヒムロはすぐにその答えを考えるのを放棄した。
何故なら、ヒムロにとってのヴァイツとは、この恐ろしい風貌の異形の男だったからだ。ヒムロは、ヴァイツの容姿が好きだった。
だって、彼が醜い限り、彼と好んで契約したいと思う輩はそうはいない。たとえ強大な力を持ち得ていようが、美しくない彼と一生を共にしたいと思う人間は、ヒムロを除いていないはずだ。
「……何を笑っている?」
「え?ああ……俺、笑ってたか?」
指摘されて、ぺたぺたと顔を触るが、笑った気はなかったので分からなかった。
「まあ、良い……着替えたのなら、さっさと行くぞ」
「そうだな。ヴァイツも腹減っただろ?」
そう尋ねれば、分かり切ったことを聞くなとばかりに金色の眼がじろりとヒムロを睨みつけた。しかしその眼光に殺気は無い。
「じゃあ、行こう。そうだ、今日の授業では野外演習があるんだ」
「そうか」
「またヴァイツに頼ることになるけど……悪いな」
「別に。あれは俺にとっては飯のようなものだ」
演習の度に、皆が苦戦する魔物をあっさりと狩り、生のまま咀嚼するヴァイツの姿を思い出し、はは、とヒムロは苦笑した。確かに、彼にとってあれは食事に当たるのだろう。
「でも、朝食は生肉以外にしような」
「………」
少し機嫌が傾いたヴァイツの隣を、こそりと笑いながら、ヒムロは歩く。
学園の寮から校舎へ行く間、やたらと視線を浴びるのにはもう慣れたものだ。ひそひそと小声で交わされるやり取りはヒムロの耳には届かない。
しかし、その内容に関して多少想像は働くものだ。
片や、成績は優秀なものの人並み以下の魔力値の為に魔術関係の授業はからっきしで学園に入学して1年間もの間使い魔と契約できなかった、魔術の落ちこぼれ。
片や、そんな落ちこぼれのもとにやって来た、恐ろしく醜い風貌の、規格外の力を持った使い魔。しかも、これまで契約主を何人も殺してきたブラックリスト入りの化け物。
そんな二人が、仲良く肩を並べて歩いているのだ。一年前ほどではないが、それでも話題は尽きないのだろう。
だが、そんな好奇と畏怖の視線はヒムロにとってはどうでも良いことだ。そして、勿論、我が道を行くヴァイツにとっては路傍の石と同じこと。
少し気だるげに歩く隣の異形をちらりと見れば、彼の目はまっすぐ前を向いていた。歩いているのだから当たり前だが、少し寂しく思ってしまうその気持ちは、異端だろうか。
じっと見ても、彼はヒムロを見ない。きっと視線に気付いているだろうに、彼はヒムロを見ないのだ。
彼がヒムロに興味が無いわけではない、はずだ。もし興味が無ければ、彼はきっと既にヒムロを殺している。
そうしていないのならば、ヴァイツにとってヒムロは、少なくともこの学園にいる人間以上の存在のはず。
「……ヴァイツ」
見続けても結局こちらを向かない金色の眼に焦れて、こっそりと名前を呼べば、ようやく金色の眼はヒムロを見た。
縦に割れた瞳孔が、ヒムロを見下ろしていた。
呼んだは良いものの、その目をこちらに向けさせたかっただけなので、ヒムロは困ってしまった。困って、「ちょっと呼んだだけだ」ときっと面倒くさがりなヴァイツが好まないことを言ってしまった。
睨まれるかと身構えるも、ヴァイツはただ「そうか」と短く返しただけだった。
「……怒らないのか?」
「怒る?」
「いや、用事もないのに呼ぶな、とか」
ヴァイツは暫く視線を宙へとやり、それから再びヒムロを見て、何の躊躇いも無くさらりと言った。
「おまえの声に呼ばれるのは耳障りでも鬱陶しくもないから、好きに呼べ」
ぴたり、と足を止めてしまったヒムロを置いて歩いて行くヴァイツは、数歩進んで振り返る。それから、その恐ろしい顔を顰めて戻ってくると、ヒムロの腕を掴んだ。爪が当たらないように注意して、そして込める力も加減されていることがヒムロにはよく分かった。
「飯を食うんだろう。止まるな」
「へ?あ、ああ、うん………」
顔を真っ赤に火照らせるヒムロのことなどお構いなしに、ヴァイツはヒムロを半ば引き摺る形で歩き出した。それにされるがままのヒムロは、高鳴る心臓に沈まれと命じることで頭がいっぱいだ。
そんなヒムロをちらりと振り返ったヴァイツは、金色の眼を少しばかり細め、口角を緩やかに上げる。
「………ペットが飼い主を飼う、か。生意気な。だが、暫くは付き合ってやる……ペットと遊んでやるのも飼い主の務めとは面倒なものだ」
どこか穏やかな呟きは、ペットには届かない。
END.
転生パラレル、あるいはいつか見たペットの夢。
使い魔な飼い主と、魔術学校の落ちこぼれ(魔力使用以外の授業は最優秀)なペット。
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2017.05.08〜