ドラゴン、ペットに慰められる

「昨日、南の森の方へ行っただろう?そこのペットも連れて。それを見た人間どもが、ペットをおまえから奪う算段をしていたようでな」

 それを聞いて、ヴァイツはあの不愉快な視線を思い出す。最初は意に介さず放置し、段々と鬱陶しくなったのであの場からさっさと飛去ったのだが、あの時無精せずに殺しておけば良かったかもしれない。
 
「それを偶然、ヴェルドラが見ていたようでな」

 ヴェルドラ。魔族の中でも比較的大柄だが、その性格や口調は見目とはまるで正反対な男は、魔王リオラリュードの弟の一人である。
 その男が確かにあの場にいたのを、ヴァイツは気づいていた。気配をできるだけ消してヴァイツとヒムロを眺めていたのだ。
 甘えたがりなあの男が姿を現さなかったことが謎だったのだが、飛び去った後も特についてくる気配はしていなかったので、結局今まで忘れていたのだが。

「ん?ああ、ヴェルドラも来たがってはいたが、何やら調べることができたらしい。後日会いに来ると言っていた」

 来ると言っていたのなら、必ず来るはずだ。
 あれは確か黄金花から採れる蜜酒を好んでいたので、近々採ってくるかとヴァイツが少しばかり怒りを引っ込めて考えていれば、リオラリュードはやれやれと溜め息をついた。

「おまえは、あれには甘いな。少し妬けるぞ」

 そうは言われても、それは仕方のないことだ。リオラリュードやミルドレークと違い、ヴェルドラはヴァイツにとっては数少ない庇護すべき対象である。
 リオラリュードもそれを知っているから、拗ねた様子を見せてはいるものの、不機嫌さまでは見せていない。
 リオラリュードとしても、素直に慕ってくる弟であるヴェルドラを厭うてはいないのだろう。もう一人の弟であるミルドレークが生意気で可愛くないのが、余計にそれに拍車をかけているようにも思える。

 さて、と、リオラリュードは小さく呟いて立ち上がった。その赤い眼は、ヴァイツを見てから、その足下で小さくなる脆弱な人間を見た。
 ヴァイツに向けた視線がどこまでも甘さを孕んだものであるのに対し、ヒムロに向ける視線は、まるで路傍の石を見るかのような、温度も何も無いものだった。

「そろそろ俺は帰るとする。それに飽きたら、今度は俺がおまえに相応しいペットをくれてやろう。あの愚弟よりも素晴らしいペットを用意してやるぞ」

 リオラリュードの冷え冷えとした声を聞いたからか、それとも他に原因があるのかは分からないが、ヒムロが一際大きく震えた。

 そもそもペットを欲していたわけではないヴァイツとしては、ペットを増やされても困るだけだ。いらない、と意味を込めて唸るが、リオラリュードは肩を竦めただけだった。
 そして、リオラリュードは一度、手を叩いた。

 パン、と乾いた音が響いたと同時に、多くの魔力が集まり洞窟内にまるで蛇の如く這い回る。
 害為すものではないと頭では分かっているものの、本能的にその魔力の主であるリオラリュードに襲いかかりそうになる体をヴァイツは抑えつけた。
 ぶるり、と巨体が震え、視界に赤が散る。動きかけた足を踏みとどまらせれば、爪ががりがりと地面を抉った。

 ふうふうと荒い息を吐くヴァイツの様子に気づいたヒムロが何事かと見上げてくるのが分かるが、それに構えるほどの余裕はなかった。

 強大な力を持つ相手へ、生存本能から襲いかかってしまいそうになるのを必死に堪えているヴァイツをよそに、リオラリュードの魔力は洞窟内に浸透し、そして、崩れ落ちた岩壁や抉れた地面を修復していく。

「おまえがこれに慣れてくれることは無いのだろうな」

 洞窟の修復を終え、魔力をかき消したリオラリュードは苦笑して呟いた。どこか愁いを帯びた顔は、ヴァイツの前で魔力を使う度に垣間見せるものだ。
 リオラリュードだけでなく、ミルドレークやヴェルドラも、同じような表情を見せる時がある。

 彼らはけしてヴァイツを攻撃してこないと、ヴァイツも頭では分かっている。しかし、ヴァイツに害を与えることのできる力を見せられれば、どうしたってそれに反撃しようと体が動く。時には、目の前の相手を攻撃しなければと心も一瞬捕らわれる。

 殺されそうになる前に、殺さなければならない。

 それが、ドラゴンの血族であるヴァイツの本能だった。

 いくら親しかろうが、時としてリオラリュードたちを敵として認識してしまうことがある。
 それを悪いとは思うものの、心の隅では「仕方がないこと」だとヴァイツは思ってしまう。
 仕方がないのだ。彼らと、自分は違うのだから。どうしたって、仕方のないことなのだ。
 それを彼らは分かってる。だから、責めようとはしない。ただ、悲しそうにするだけだ。

「ではな、ヴァイツ。また来る」

 名残惜しげにそう呟いて、リオラリュードは一瞬の内に消え去った。
 去り際の悲しげな横顔に、ヴァイツは無性に叫び出したくなった。


 綺麗に修復された洞窟に、ドラゴンと人間が取り残される。


「……ヴァイツ?」

 しばらくの後に、ヒムロがおそるおそるヴァイツの名を呼んだ。
 ヴァイツは、地面を抉った自分の爪をぼんやりと見つめていた。その地面だけは、リオラリュードの修復が施されていなかった。

 ガリ、ガリ、と左前足の鋭い爪でひっかけば、固い地面は容易く抉れる。
 しげしげと爪と地面を見ていれば、それまで地面に座り込んでいたヒムロがよたよたと立ち上がり、ヴァイツの右足にそっと触れた。
 ちらりと見下ろせば、ヒムロが眉根を寄せて見上げてきていた。

「どうしたんだ?」

 その顔をするときの気持ちを、ヴァイツは知っている。
 ミルドレークたちでも見慣れているその顔。

 心配、しているのだ。この人間は。ちっぽけな脆弱な人間が!いつ殺されるかも分からないというのに、この凶悪なドラゴンを!

 そう思ったとき、なぜだか無性に腹が立った。

 弱者如きが心配など、馬鹿にしているのか。無防備に近づいて来るなんて。その呑気さが腹立たしくて、苛立たしくて、鬱陶しくて、憎らしくて、そして。

「……」

 ガリリ、と、柔らかな肉を浅く削る音がした。
 ぼたぼたと、ヴァイツの黒い爪を伝って鮮血が滴り落ちる。血の臭いが充満する。

 ヒムロの柔い頬肉を裂いた爪の動きは、けっして早いものではなかった。ゆっくり、ゆっくりと、ヒムロにあてがわれ、そして、その鋭利な爪は意志を持ってその頬を裂いた。
 避けようと思えば避けれたものだった。
 それにも関わらず、ヒムロは避けようとしなかった。目を瞑ろうとさえしなかった。
 真っ黒な目で、ただひたすらに、ヴァイツの赤が少し散った金の目を見上げていた。けして、逸らすことはなく。

 頬を裂かれてもなお見つめてくる真っ黒い目に、ヴァイツは戸惑った。
 普段からヒムロの考えていることは分からなかったが、今まで以上に、分からない。

 ヴァイツ、と前よりも艶を取り戻した薄い唇が名を呼び、その手が、自分の頬を裂いた黒い爪に躊躇い無く触れた。
 白く頼りない手が、人間の腕の太さはゆうにあろう鋭い爪の一本を握っている。

「ヴァイツ、どうしたんだ?悲しいのか?」

 笑い出したい気分だった。声に出して、大笑いしたかった。

 いつ牙をむくかも分からないドラゴンを前に、そのドラゴンに害為す力を一切持たない脆弱な人間が、無防備に近寄り話しかけ心配する呑気さが腹立たしくて、苛立たしくて、鬱陶しくて、憎らしくて、そして。

 そして、妙にくすぐったかった。

 そっと顔を近づけても、ヒムロは動かなかった。
 頬を止めどなく流れ落ちる鮮血を、べろりと舐めあげる。途端に、ぎょっとした顔をしてヒムロは握っていた爪を手放した。
 顔を真っ赤にして、自分の頬を抑えて口をぱくぱくとさせてる様が何とも可笑しくて、ヴァイツは金の瞳を細めた。

「な、ななな、なんっ、舐め、て、って、あ?痛く、ない……?」

 ヒムロの頬は、既に傷が塞がっていた。痕は残っているが、もう血が流れることも、痛みもないだろう。
 目を白黒とさせるヒムロの胸を、鼻先でぐい、と押せば、よろけて後退りをする。
 そのままぐいぐいと押して、ついによろけて倒れたが、そこは羽毛や毛皮が敷き詰められた場所だった。

「うわ、っと!どうしたんだよ、本当に……」

 ぼやくヒムロを無視して、ヴァイツはゆったりとヒムロの背後に回り、座った。
 そして尾でヒムロを腹に引き寄せ、首を丸めて、ヒムロと顔を合わせるように顎を床につけた。

「……え、あ、もしかして、甘えてるのか?痛っ!」

 最小限の力で、ヒムロの頭を尾で叩く。痛いとは言ってるが、じゃれ合いにもならない力加減なので血は出ていないはずである。
 ヒムロは痛みに顔をしかめていたが、暫くすると、そろそろとヴァイツの顔に手を伸ばした。

「なんか、いつもと逆だ。今日は俺がヴァイツを慰めてる」

 嬉しそうに笑うヒムロの黒い瞳が煌めいて見えた。それをじいっと見つめていれば、ヒムロは体を起こして、そしてヴァイツの顔を胸に抱きしめた。

「……俺、さ。さっきの魔族が来たとき殺されると思って、すごく怖かった。只でさえ弱いし、殺されるのは仕方ないんだろうなって思ったけど、怖かった。でも、殺されることが怖かったんじゃないんだと思う。それに、ヴァイツとあの魔族がすごく仲良さそうなの見てさ、なんか、何だろう……死にたくないって、もっと思ったんだ。会話してないのに、ヴァイツのこと理解してるのが、なんか、嫌だった。はー……意味、分かんね。ドラゴンなのに。くそ、マジで俺、どうしたんだ……」

 傷の残る頬を撫で顔を赤らめたヒムロは、目を潤ませてヴァイツの顔にそっと頬擦りをした。
 どこもかしこも、柔らかな人間だった。固い鱗に覆われたドラゴンの体に比べて、大層ひ弱な肉体だった。
 踏みつぶせば、一瞬にして肉塊と化すだろう。今まで殺してきた人間のように。
 そう思うが、実際にそうしようという気にはもうなれなかった。

 ヒムロに殺気を向けられようとも、ヴァイツはけして反射的に襲いかかることはないだろう。
 ヒムロという人間は、この世界の中ではあまりに弱すぎた。
 どんな生き物でも多少の魔力を備えているはずなのに、魔力を一切持たないヒムロは、ヴァイツの本能を刺激する力がない。

 今までどれだけ親しい相手でも、それこそ血の分けた相手でさえも、ヴァイツにとっては敵になりうるのだと本能が告げていた。 
 頭ではあり得ないと分かっていても、本能を曲げることは不可能だった。

 だから、ヴァイツの本能を素通りしてしまう人間が居ることに、ヴァイツはほんの少しだけ、安心したのだ。

「……寝よう、ヴァイツ。あの魔族のせいで中途半端に起きたし、ゆっくりしよう」

 ヒムロの囁きに、ヴァイツの金色の瞳がとろける。
 ヒムロの言うとおり、ゆっくり寝よう。そして、飯を食って、そして。

(俺の所有物に手を出す愚か者を、食い殺しに行かなければなるまい)


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ドラゴンのペット

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2016.10.31〜