イレギュラーな対面



「何が食いたい?」

 その言葉と共に、テーブルに放られたのはラミネート加工された一枚のメニュー表だった。見覚えのあるそれは、この学校の購買で販売されている飲食物の一覧だ。
 何故、こんなものがあるのか、と柳瀬が疑問に思ったのを察したのだろう、御伽は尋ねられてもいないのに口を開いた。

「どこかの馬鹿どもが馬鹿やらかすからな、食堂で昼飯なんざゆっくり取れやしねぇ。何食いたいかここで決めて買いに行かせてんだ」

 どこかの馬鹿ども、というフレーズに嫌に力が込められているのは、きっと気のせいではない。その“馬鹿ども”に含まれる心当たりが二人はいるので、その内の一人であろう柳瀬はその言葉には触れないことに決めた。
 ふぅん、と小さく相槌を打ちつつ、メニュー表にさっと目を通した柳瀬は「焼き肉丼」と言った。

「ああ。……おい、宇藤」
「はいっ!」

 ソファの椅子の背もたれに腕をかけ、背後を振り返った御伽が声を掛ければ、風紀委員の一人が即座に反応した。ついでに、これまでまるで存在を消さんとばかりに息を殺していた他の風紀委員もビクッと肩を揺らしているのが見えた。

「焼き肉丼二つ買ってこい」
「はい喜んでー!!」

 まるでどこぞの居酒屋店員の如くそう叫び、まるで軍人の如く敬礼した宇藤と呼ばれた風紀委員は、俊敏な動きで風紀室を出て行った。
 そんな彼を何となく見送って、柳瀬は改めて御伽と対峙した。
 すると目がすぐに合うものだから、どうやら向こうはじっと見てきていたようだ。その目は、まるで肉食獣が相手の力量を推し量ろうとしているような、そんな目だった。少し、谷萩に似ていると思った。
 ただし、少なくとも谷萩より知性のある肉食獣だ。

「……何で笑ってる?」

 そう指摘されて、薄っすらと自分が笑っていたことに気付く。それまでじっと見ていた御伽の目が、どこか気まずげに僅かに逸れていた。

「その目が……ッてぇ」

 ぴり、と口の中が痛んだことに、柳瀬は小さく悪態をついた。同時に、焼き肉丼は止めておけばよかったかもしれない、と今更ながらに思う。ソースが傷に沁みそうだ。

「怪我したのか?」
「そりゃ、喧嘩してたら多少は」
「おまえは、いつも上手く躱すだろう」
「今日は調子が悪い……」

 そう言葉を返しつつ、普通に会話していることに違和感を覚え、更には御伽の言葉に引っ掛かりを感じた。
 その柳瀬の訝しげな顔を見て何を思ったか、御伽は舌打ちをして、ソファから立ち上がった。

「……谷萩とおまえだったら、いつも谷萩の方が怪我してんだろ」
「あいつ、避ける前に殴るからな。避けることくらい覚えろって言ってんのに、避ける前に殴った方が早いとか馬鹿言いやがる。そんな馬鹿より、俺の方が少し賢く立ち回ってるだけだ」
「仲の良いことだな」

 どこか刺々しい声音に、柳瀬は御伽に目を向けた。御伽は、風紀室に備え付けられているらしい冷蔵庫の前に立っているので、背中しか見えない。冷蔵庫の中から何かを取り出した御伽は振り返り、室内をぐるりと見回す。

「見回りに行っとけ」

 その一声に、それまで部屋の端に立っていた数名の風紀委員は、「了解です!」とやたら元気よく答えて、そそくさと風紀室を出て行った。
 あっという間に、室内には柳瀬と御伽の二人だけになる。

 その状況に、柳瀬は小さく溜め息をつき、肘掛けに頬杖をついた。


 御伽にほぼ強制的に風紀室に連れて来られた時には、罪人の扱い、とまではいかないものの、さてどんな扱いを受けるのやらと思っていたのだが、実際には風紀室に通され、ふかふかのソファを勧められ、昼食までもデリバリー中だ。何とも好待遇だ。
 てっきり嫌味と説教と反省文を食らうと思っていたのだが、今のところそれも無い。
 今はいなくなってしまった風紀委員は、御伽が柳瀬を連れてきたことに酷く驚き、しかし何も言うことなくただ部屋の片隅で静かにするだけだった。
 そして、御伽は柳瀬の向かいに座り、普通に会話をしている。

 正直に言って、違和感しかない。あの凶悪面で追い掛け回してきた日々は何だったのか。そこでふと、柳瀬は思い出す。
 御伽はいつだって「谷萩」を追いかけていた。見た目も素行も不良な谷萩を、風紀委員長である御伽が目を付けるのは分かる。しかし、その谷萩の隣に常にいた柳瀬に対してはどうだっただろう。
 そう考えて、柳瀬は内心で唸った。思い返しても、柳瀬は“一人でいた時”に御伽に会ったことは無かったのだ。柳瀬が御伽に遭遇するとき、必ずと言っても良いほど、谷萩が傍にいた。そして、一緒に追いかけられた。

「……なるほど」
「あ?」

 ぼそり、と一人納得の言葉を呟けば、御伽が聞き返してきた。言葉遣いといい、その見た目といい、御伽は割と粗野だった。一見、風紀を取り締まるというよりは、乱す部類にも見える。谷萩とは系統が違うが、御伽もまた、不良だと言われれば納得してしまう見た目をしている。

 聞き返してきた御伽に、何でもないというように柳瀬が肩を竦めると、御伽は柳瀬に何かを投げてよこした。弧を描き振って来たそれを掴めば、ひやりとした冷たさが手に伝わってくる。

「目立たねぇが、一応冷やしとけ。口の中は……消毒液でもかけとくか?」
「いや、やめとく……悪いな」

 これ、と受け取った保冷剤を軽く振った。ご丁寧に、薄手のタオルまで巻かれている。
 その厚遇に違和感は募っていくばかりだが、谷萩が絡まないとこれが御伽の普通なのかもしれない、と思った。それが真実かは、谷萩と一緒に追いかけられた時以外接点のない柳瀬には判断はつかない。
 保冷剤を頬に押し当てると、その冷たさが心地良い。目を細めて、ふ、と短く息を吐きだした。それから柳瀬は顔を上げると、再び向かいのソファに座った御伽に目を向けた。

「それで?何が聞きたいんだ」
「なに?」
「俺をここに連れてきたのは、本当に飯を一緒に食うためか?」
「そうだと言ったら?」
「生憎、風紀委員長さんと仲良しごっこする気力は無い。聞きたいのは、会長と哲人のことだろ」
「……そうだな」
「さっきも言ったが、正直、俺にもよく分かってない」
「おまえが、か?」

 おまえが、という言葉は、まるで念押しするかのように力強く響いた。何が言いたいんだと見返せば、御伽は目を眇めて柳瀬を見た。
 本当に分からないのか、本当に知らないのか、と。声に出されずとも、そう問われていることなど容易に分かった。それは裏を返せば、谷萩のことを柳瀬は何でも知っているはずだ、と思われているということだろう。
 言い表せない不快感が生まれ、柳瀬はじろりと御伽を睨んだ。御伽が軽く目を見張ったのが分かったが、どうでも良かった。

「哲人のこと、俺が何でもかんでも知ってるわけないだろう。知ってるのは……知ってるのは、」

 そこで、柳瀬は迷うように口を噤んだ。それまで御伽を睨んでいた目は自然と下がり、柳瀬はテーブルに置かれた購買のメニュー表を睨むこととなる。
 口の中に、じんわりと血の味が広がる。

「……ただ、あの二人が昼飯一緒に食ってるってことくらいだ。あの会長の手作りのな」

 少し柔らかくなった保冷剤を頬から離し、意味なく軽く指で弄ぶ。それから、独り言のように呟いた。

「何でそうなったのか、何考えてんのか、俺は知らない」

 だって、その話を柳瀬は谷萩から詳しく聞き出していないのだから。

 そこで、柳瀬は我に返る。言わなくても良いことを喋ってしまったことに、柳瀬は苛立ち、持っていた保冷剤を少し乱雑にテーブルに放った。

「柳瀬、」
「すんません、委員長!!遅くなりました!!焼き肉丼二つ買ってきましたー!!」

 勢いよくドアが開き、ぜいぜいと息を切らした宇藤が風紀室に飛び込んでくる。それから持っていた袋を掲げ、顔を上げた宇藤は、ヒッと小さく悲鳴を上げた。

「も、ももももしかして、俺、タイミング悪かっ……ごめんなさい、すみませんでした!見回り行ってきまーす!」

 持っていた袋をテーブルに置くと、宇藤が慌ただしく風紀室を出て行った。その怒涛の勢いに、柳瀬は一拍置いてから、深々と溜め息をついた。柔らかな背もたれに背を預け、ぼんやりと天井を見つめた柳瀬は、小さな声で言った。

「……忘れろ。格好悪い」
「おまえはッ……」

 御伽は何か言いかけたが、柳瀬が視線を寄越さなかったことに思う所があったのだろう、少し黙り込んでから「とりあえず食え」と言った。がさがさと袋を漁る音がした。

 初めて訪れた風紀室で、初めて風紀委員長と二人きりで食べた焼き肉丼は、やはり口の中で沁みたが、その痛みに涙が出るほど柳瀬は幼くは無かった。



[ prev / next ]
[7]

2017.06.25〜