可愛いがお好み



 校舎から出て、柳瀬は寮へと戻る道をぶらぶらと歩く。休日ではあるがその道を使う者も少なくなく、数人とすれ違ったが、その全員が絶対に目を合わせないようにしていたことに柳瀬は気付いていた。
 しかし、気にはならない。ポケットに手を突っ込み、柳瀬はだらだらと進む。さて、どうなったのやら、と考えつつ寮の玄関を通ったとき、前方から歩いてくる生徒に見覚えがあって、柳瀬は僅かに眉を上げた。
 どこか気だるそうに歩いてきた男も、どうやら柳瀬に気付いたようだった。
 初めて近い距離、真正面から見た生徒会長は、やたらと人気があるのも頷けるほどに綺麗な顔立ちをしていた。しかし、女性的では無かった。これで女らしい美しさがあったのであれば、あの女好きの谷萩がうっかり抱いてしまったというのも納得できるのだが、生徒会長の笹野は残念ながら、「抱かれたい」と男に思われるような、そんな美しい青年だった。
 その、はずなのだが。

 笹野の薄めの長袖のシャツとズボンの下には、あの生々しい痕跡があるのだと思うと、その気だるさに何処か色気を感じてしまい、柳瀬はつい顔を顰めた。
 その柳瀬の表情の変化をどうとったのかは分からないが、笹野は柳瀬をじっと見ていた。

「……おい」

 さっさと行こうと無言で横を通り過ぎようとしたとき、笹野が明らかに柳瀬に向かって声を発した。ちら、と横を見れば、笹野は柳瀬を見ていた。
 少しばかり目線が下に行ったことによって、柳瀬は、笹野が自分よりも背が低いことに気付いた。とは言え、数センチの差なので、笹野の身長はきっと180cm前後なのだろう。

 声をかけてきたというのに、笹野は口を開きかけて止まった。何を言おうか、迷っているのか。それとも、なにも言うつもりは無かったのに、無意識に声をかけてしまって戸惑っているのか。あるいは、柳瀬に無言でじろりと見られて、言葉を失くしてしまったのか。
 別にどれであろうと良いのだが、きっと、その狼狽える会長の姿というのは、珍しいものなのだろう。
 遠巻きで見ていた数人の生徒が、どこかハラハラとした様子でこちらを窺っているのを感じて、柳瀬は頭をかいた。

「なあ、何もないなら、俺は行くが」

 歩いて行こうとしていた道を指差しそう尋ねると、笹野ははっと我に返った様子を見せた。それから、柳瀬の腕へと手を伸ばしてきた。振り払うこともできたのだが、殴り掛かるような動作ではなかったし、笹野の行動の意味を見極めるためにわざと好きにさせた。
 笹野は、柳瀬の腕を掴んでぐい、と引き寄せた。柳瀬の方が体格が良いのでよろけることは無かったが、油断していたこともあり、柳瀬は笹野の方へと上半身を傾けてしまう。
 ふわ、と香ったのは、よく知る匂いだ。色気のない、シャンプーの香り。柳瀬と谷萩が毎日使っているそれは、何故だか笹野から香ると少し異なる匂いにも感じた。
 その匂いが分かったのは、笹野が顔を近づけたからだった。柳瀬の耳に、笹野は囁く。

「あれは、俺が貰う」

 目を見開き、間近に見た笹野を見れば、笹野はにやりと笑みを浮かべていた。高慢な自信家の笑みだ。
 咄嗟に手を振り払い、笹野の手首を掴む。笹野が痛みに一瞬顔を顰めたのが分かったが、そんなこと、柳瀬にはどうでも良いことだった。遠くで、誰かの騒ぎ声が聞こえたとしても、どうでも良かった。
 覗き込んだ笹野の眼には、真顔の柳瀬が映っていた。名前に鷹がつくのも頷けるような鋭い目つきをしているな、と柳瀬はどこか他人事のように思った。

「遊びで奴を惑わすな」

 びく、と僅かに笹野の身体が跳ねた。ばたばたと、騒がしい足音が聞こえてきて、柳瀬は笹野の手首を掴んでいた手を離した。

「ここは、あんたが来るような場所じゃないだろ。さっさと自分がいるべきところに戻れ、会長様」
「……ッ、俺は絶対、諦めないからな!」

 てっきり、賢く面倒くさい切り返しでも来るのかと思えば、まるで子供の駄々のような言葉が笹野の口から飛び出たことに、柳瀬は軽く目を見張った。
 先程までの腹の立つ高慢な笑みが一転、目を潤ませ柳瀬を睨みつける顔は、けして“大人”ではない。

「おまえなんか、ただの幼馴染の癖に……!」

 笹野は目元を仄かに赤く染め、そう悔しそうに吐き捨てる。睨んでいた目を僅かに逸らしたその姿は、まるで拗ねているようにも見えた。
 つい、柳瀬は手を伸ばしてしまう。

 くしゃり、と撫でつけたのは、柳瀬同様に一度も染められていないだろう黒い髪。少し癖毛な柳瀬とは異なり、癖のない髪は艶がありさらさらとしていた。

「……おまえ、“可愛い”な」

 そう呟いて、柳瀬は舌打ちをした。今の発言も、そして、頭を撫でてしまったことも、ついやってしまったことだった。大多数の学校の生徒に「抱かれたい」と思われている男を、「抱けるかもしれない」と思ってしまったことに、舌打ちせざるを得なかった。

「は……?」

 ぽかん、とした様子の笹野の頭から、柳瀬は表情を変えぬまま手を引いた。それから、何事も無かったかのように踵を返して歩き出す。

 背後に戸惑いの視線を感じつつ、柳瀬は誰にも顔が見えないことをいいことに、軽く天井を睨みつけ、呟いた。

「……そう言えば、おまえは“可愛い”のが好みだったな、哲人」



 誰ともすれ違わずに部屋に戻った柳瀬は、部屋のリビングに入って溜め息をついた。長いソファの肘掛けには、足が置かれている。
 近づけば、そのソファに寝転がる金髪頭の男が見えた。

 ズボンははいているが、上半身裸のその男は、近づいてきた柳瀬を見上げて「おー」と気の抜けた声を出す。それから、すん、と鼻を鳴らした。

「俺が大変だって時に、煙草かよ」
「どうせ、自業自得だろ」
「だから、俺が襲われたっつってんだろ」
「それを楽しんだのはどこのどいつだ」
「……あ゛ー、うるせぇ」

 向かい側のソファに腰を下ろした柳瀬を、谷萩は不機嫌そうに見やったが、すぐにふいと顔を背けた。

「さっき笹野と会った」
「ささの?」

 寝転んだ体制のまま柳瀬を見ていた谷萩は、きょとんとした顔をした。見た目はまるっきり不良のくせにそんな幼げな表情が妙に似合うと思ってしまうのは、長年側にいた柳瀬くらいだろう。

「会長」
「あー。名前、ささのって言うのか」

 どうやら、その言葉は本気のようだ。しかし、柳瀬は谷萩が会長の名前を知らないことにさほど驚きはしなかった。むしろ、予想の範囲内だ。

「で、結局どうなった?」
「とりあえず今日のは遊びで」
「おう」
「これから平日は昼飯作って来るっつってた」
「ああ?」

 つい、谷萩の荒っぽい口調が移ってしまった柳瀬は、やはり煙草を吸いに行かずに一緒にいれば良かった、と思った。
 谷萩の言っている意味が分からなくて、柳瀬は頭が痛くなる。

「……昼飯?」
「おー。おまえも来るか?飯は俺のしかねぇけど」

 ハルのも作るのかって聞いたらおまえのだけだとか言われてよー。そんなことを言う谷萩は、相変わらずだらしなくソファに寝転がっている。

「行かない」
「そーかよ」

 柳瀬の拒否の言葉に、谷萩は特に気にした様子も無く頷いた。柳瀬と同じ学校に行く、と過去に二度駄々をこねた谷萩であるが、谷萩が柳瀬の行動を制限したことはない。勿論、好き勝手に柳瀬を連れ回し振り回しはするが、けして「あれをしろ」「あれをやるな」といった命令はしない。
 谷萩も柳瀬も互いに互いを「対等」だと思っているからこそ、谷萩は柳瀬を引き摺り好き勝手やるし、柳瀬もそれに不承不承付き合うのである。

「そもそも、何でそんなことになったんだ?」
「知るかよ……なんか、あいつが部屋出て行く頃にはそうなってた」
「馬鹿か」
「仕方ねーだろ!俺にも分かんねぇよ!何かよく分かんねー内にあいつが俺の飯作ってくるって話になったんだっての!」

 吠える谷萩に、柳瀬はソファの肘掛けに頬杖を突き、言う。

「あいつ、可愛いな?」
「あいつ?」
「笹野」
「はあ??」

 谷萩は酷く驚いた顔をした後、すぐに真顔になってソファから起き上がった。そして居住まいを正すと、どこか躊躇った後、何やら腹の立つ心配そうな顔をして、言った。

「おま……大丈夫か?あいつ、完璧男だったろ。可愛さとかないだろ?おまえ、疲れてんのか?」
「その可愛さがない野郎をどこかの誰かがノリノリで抱いたらしいぞ」

 途端に口を引き結んでしまった幼馴染を見て、柳瀬は呆れて肩を竦めた。自ら墓穴を掘るのはいつまで経っても変わらない。



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2017.06.25〜