座り込んだ場所からは、角度的に中庭は見えない。それでも、柳瀬が時折視線を向けていたことに、御伽は気付いていたらしい。
「奴は本気らしいぞ」
その言葉に柳瀬が向かい側に座る御伽に目を向ければ、鋭い目がじっと柳瀬に向けられていた。きっと睨んでいるつもりはなく、ただ柳瀬を見ているだけなのだろうが、如何せんその眼光は鋭すぎる。
柳瀬としては怖いとは思わないので気にならないが、それでも、意味なく怖がられるのだろうなと思うと少し、御伽に同情した。
「何の話だ?」
御伽の言葉の意味が分からず尋ねれば、御伽は残っていたペットボトルの麦茶をごくごくと飲み干した。逞しい喉が隆起するのを何となく眺めていれば、飲み終えた御伽がペットボトルを口から離した。
それから、柳瀬の問いに答える為か、口を開いた。
「あのバ会長だ」
「……ああ、笹野か」
一瞬反応が遅れてしまったのは、御伽が忌々しげに「バ会長」と言ったことと、その「バ会長」が誰なのかすぐに出てこなかったからだ。
噂程度に聞いた話では、風紀委員と生徒会は仲が悪く、その中でもトップである風紀委員長と生徒会長の仲の悪さは折り紙付きだと言う。
「で、笹野は何に本気だって?」
正直、笹野が何に本気なのかどうでも良いが、ぶつぶつと笹野に対しての鬱憤だろう言葉を吐いて機嫌が悪くなっていく御伽を見かねて、話を戻すべくそう聞いた。
「谷萩だ」
「………そういうことか」
つまり、笹野は谷萩を本気で手に入れたがっている、ということか。柳瀬が黙り考え込んだのをどう思ったか、御伽が少し躊躇い気味に柳瀬を呼んだ。
それに応えることなく、柳瀬は屋上の床をじっと見て、そっと唇を撫でた。無性に、口寂しかったのだ。
「笹野は、本気か」
「そうらしい」
「遊びじゃなく、本気で、哲人に惚れてるって?」
柳瀬は顔を上げて、御伽を見据えた。御伽は一瞬迷ったような顔をしたが、それでも顎を引き、鋭い眼光はそのままに柳瀬を見返した。その目は、真剣だ。
「ああ、奴は、本気だ。本気で、谷萩を手に入れたがってる。なりふり構わず、それこそ自分を変えてまで、な」
「……」
「俺は、あそこまで奴が他人に執着するのを初めて見た」
その言葉は、柳瀬に向けてと言うよりは、独白に近かった。
柳瀬は、傍らに置いていたペットボトルを手に取り、一気に呷った。生温い緑茶を飲み干して、空になったペットボトルをぐしゃり、と潰す。
そして、それを袋に放り込むと、柳瀬は立ち上がった。
「で?それを俺に言って、何になる?」
探る様に見てくる御伽の目が、不快で仕方がなかった。座る御伽を、柳瀬は苛立ち混じりに睨みつけた。
しかし、御伽はその立場上睨まれることに慣れているのと、そもそも睨まれても怯えるような性格をしていないのだろう、柳瀬の睨みに怯んだ様子は見られなかった。
それがまた、柳瀬にとっては腹立たしく感じる。
「昨日から、何だ?俺を通してなんて回りくどいことするな。哲人のことが聞きたいなら、本人捕まえて聞け」
そう吐き捨てながら、柳瀬は内心で頭を抱えたくなった。我ながら嫌味の籠った言い方だと思ったからだ。
しかしながら、どうしてそんな物言いをしてしまうのか皆目見当つかないことが、より柳瀬を困惑させた。
「……違う」
低い声に、柳瀬は改めて御伽を見た。御伽は、じっと柳瀬を見上げている。眉根を寄せ、眉間に皺を刻んだ男の顔は、明らかに不機嫌さを露わにしていた。
「谷萩の野郎なんざ、どうでも良い。俺がいつ、谷萩のことを聞きたいと言った?」
「昨日言わなかったか……?」
「あ?ありゃ、何であのバカが谷萩を庇うのかって意味だ。谷萩本人のことなんざどうでも良い。大体、何で庇うのかも昨日奴に直接聞いたからそれもおまえに聞く必要はねぇな」
庇うくらいには本気で惚れてるんだろう、とどうでも良さげに呟く御伽を、柳瀬は何とも言えない顔で見下ろした。
ではなぜ、この男はここに居て、柳瀬に話しかけているのだろうか。
「俺は、おまえと話したかった」
「……は?」
「20日前。ここの多目的室で襲われてた奴を助けて内線かけてきたのは、おまえだろ?」
「……」
「さっき、廊下ですれ違った奴は、半年前にオタクだからって殴られてた奴で、おまえが助けた。そうだろ?」
「………」
「それだけじゃない。去年は、」
「もう良い、黙れ」
最初は呆気にとられた顔をしていた柳瀬だったが、御伽の口から出てくる言葉に目つきを鋭くし、言葉を遮った。御伽は一瞬黙ったが、目を細めて、再び口を開く。
「感謝してたぞ。あの二人も、去年助けられた奴らも」
「黙れよ」
ガシャン!と金網が響く耳障りな音がして、柳瀬は自分の拳が金網を殴りつけたのだと気付いた。無意識に出てしまった手に、柳瀬は内心動揺する。
柳瀬には、己が冷静な人間であると言う自覚がある。いや、冷静というよりも、多少のことでは動じない、と言った方が良いのかもしれない。
それはおそらく、トラブルメーカーの谷萩と長年過ごしてきた産物、というわけではなく、きっと柳瀬鷹晴と言う人間が元々そういう性分なのだ。
良く言えば冷静沈着、悪く言えば無関心、なのだろう。
そんな性分の柳瀬は、滅多に激昂しないし、今の様に気に入らないからと言って無意識に八つ当たりをするような人間ではない。少なくとも、柳瀬は自分自身をそう評価していた。
だからこそ、無意識下の感情に任せて金網を殴りつけてしまった自分に、柳瀬はゾッとした。
最近の自分は、本当におかしい。どうかしている。
そんな柳瀬の焦りなど知りもしないだろう御伽は、柳瀬を見上げて薄く笑っていた。
思わず怒鳴りつけそうになって、しかし、柳瀬はぐっと言葉を飲み込んだ。それから努めて冷静な声音で、問う。
「……何かおかしいことでもあったか?」
「いや?ただ、いつも谷萩の隣で飄々としてるお前が、珍しい顔をすると思っただけだ」
「そうかよ……」
つまりは、嫌がらせか何かなのだろうか?昨日風紀室で昼食を共にしたのも、今、わざわざこんな場所まで出向いて面と向かって食事をしたのも、全て。
であれば、何とも面倒な手段を取ってくる男だ、と柳瀬は呆れた。
しかし、結果は成功だ。今のこの奇妙な心理状況の柳瀬には、有効な手段とも言えた。
「おい、どこ行くんだ」
「飯も食い終ったし、帰るんだよ」
踵を返し屋上の出口へと向かう柳瀬は、背後からかけられた声に振り向かずに答えた。がさがさと袋の擦れる音がするのは、ゴミをまとめている音だろう。
見た目に反して行儀が良いのは、きっと育ちが良いからだ。
昨日も今日も対面で食事をしたが、綺麗に食べているのが印象的だった。
谷萩も育ちは良いので綺麗に食べるが、もっとガツガツと勢いよく食べる。
「なあ、柳瀬」
その声に、柳瀬を引き止めるための威圧感は含まれていなかった。ただ静かに、名前を呼ばれただけだった。しかしその声は、何故か柳瀬の歩みを鈍らせた。
「何で、そう頑なに否定する?」
「………」
「感謝されるようなことをしたんだ。自慢しても良いくらい、おまえは人を助けてる」
「俺じゃない」
「おまえだ」
「違う。哲人だ」
振り向き、柳瀬は強い語調で告げた。
「俺は感謝されるようなことはしてない。そいつらの礼も、見当違いで、筋違いだ」
振り向いた先で見えた御伽の顔は何か言いたげだったが、柳瀬は目を逸らし、足早に屋上を去った。
ポケットに手を入れれば、煙草の箱に指が触れた。
どこでも良い、一人になれるところで、ゆっくりと煙草を吸いたかった。
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2017.06.25〜