小説 | ナノ

 第41話:腕相撲


 屋敷から出て広い敷地の奥へと目をやると、何やら人だかりができていた。
 四、五十人は集まっているだろうか。
 その数からして、隊士さんのほとんどが集結しているようだ。

 一帯は、わいわいとお祭りのように賑やかだ。
 時折人の輪の中央が大きく沸き立ち、その声は玄関まで響いてくる。


「何をやっているんですかね……?」

 ひとまず、訓練には見えない。
 輪の中心の様子がうかがい知れないぶん、無性に気になってしまう。

「もう始まっているのか……」

 陸奥さんは、いかにも面倒くさげな視線を人だかりに向けて、足を止めた。
 今にも引き返してしまいそうだ。


「おーーっ!! 天野ちゃんだーー!! みんな、天野ちゃんがきたよーー!!」

 人だかりの端から上がる、突然の大声。
 声の主は西山さんだ。こちらに笑顔で手を振っている。
 それを受けて、玄関の前で立ち尽くす私のほうへ一斉に視線が集中した。
 すぐさま熱くその場が沸き立ち、つぶてのように無数の声が飛んでくる。

「おお! 陸奥さんもいるのか!」

「天野!! こっちこいよ!!」

「応援に来てくれーー!!」

 わっと豪雨のように降りそそぐ言葉たちに、私と陸奥さんはすっかり面食らってしまった。

 応援って、何のだろう?
 とにかく呼ばれているんだよね……?
 行ってみるべきかな。

 近づいてみましょう、と陸奥さんに目で合図して、小走りで彼らのもとへ向かう。
 間近まで寄ったところで、人の波をかきわけて中央から田中先輩が飛び出してきた。



「むっちゃん、来てたのかよ!」

 私たちの顔を見て、先輩は嬉しそうににかっと笑った。

「坂本さんや長岡さんも一緒だ。三人で天野の様子を見に来た」

「そっか。あとの二人は中にいんのか?」

「ああ。坂本さんは中岡さんと話をしている。長岡さんは、部屋で休んでいるらしい」

「なるほどな。んじゃまあ、むっちゃんだけでも参加してけよ!」

 ばしん、と勢いよく陸奥さんの背を叩きながら、田中先輩は彼を輪の中心へと誘う。


「あの……先輩たち、一体何をしてるんですか?」

 こんなに大勢で集まって、楽しそうに……。
 私は首をかしげながら、先輩の着物の袖を引っ張った。

 先輩は人だかりの奥へと歩をすすめ、ついてこいと手招きをする。
 進んだ先には、なにやら使い古された小さな台がぽつりと置かれているのみで、ほかには何も見当たらない。



「腕相撲だ。おめぇもやるか?」

 台をコツコツと手の甲で叩きながら、先輩はこちらに笑いかける。

 腕相撲かぁ……。
 周囲に散らばるガタイのいい隊士さん達をぐるりと見回して、私はすぐさま首を横に振った。
 無理です。勝てるわけないです。


「天野もやろうぜ! あーまーの! あーまーの!!」

「あーまーの!! あーまーの!!!」

 お調子ものな隊士さんが私の名前を叫びながら手拍子をはじめると、つられて周りの仲間達もおおいに盛り上がり始めた。
 なにこれ、恥ずかしすぎる……!


「皆歓迎してるみたいだぜ、やってみねぇか?」

「じゃ、じゃあちょっとだけ……一回くらいなら。」

 しぶしぶ承諾すると、皆オッシャー!! と両手をふりあげて歓喜する。
 熱い人ばっかりなんだな、陸援隊士って。


「おし、決まりな。最初だし、今日はオレとやるか」

 拳を握ったり閉じたりしながら、いかにもやる気まんまんといった様子の田中先輩。
 大丈夫かなぁ。
 私、まだいまいちお腹に力が入らないんだけど……。


 なんて、若干尻込みをしていると。

「いや待ってください兄さん! 僕だって天野ちゃんと勝負したいですよ!」

「俺もっス!!」

「おれもーー!! ずるいぜ兄さん!!」

 対戦台を囲む隊士さんたちから、一斉に不満が噴出した。
 こんなに対戦希望者がいるなんて、どういうことだろう……。
 私が見るからに弱そうだからかな。


「うっせぇ! おめぇら手加減できねぇだろうが! 今日はオレが程よい加減の仕方を見せてやっから、それ見てしっかり勉強しとけ!」

 不満爆発な隊士さん達を無理矢理押さえ込みながら、田中先輩は試合開始の合図をする。
 どうやら、中断していた戦いを再開するようだ。



 先輩の声に従って、さっそく二人の隊士さんが台を挟んで向かい合う。
 名前を呼ばれなくてもすぐに出てきたという事は、あらかじめ順番が決まっているのかな?

 私はおとなしく、行司をつとめる先輩のとなりで対戦のゆくえを見守っていた。



「どうだ? 結構おもしれぇだろ。皆真剣なんだ、夕餉のオカズ賭けてっから」

「えっ、賭け!? いいんですか? そんな事……」

「ハシさんも中岡さんも一応黙認してくれてる。こいつらは今んとこ、これくらいしか楽しみがねぇからな。訓練ばっかじゃキツいだろ?」

 なるほど、そうなんだ。
 見回してみれば、確かに皆楽しそうに笑いあっている。
 中には負けて地団駄を踏む人もいるけれど、その表情はどこか生き生きと輝いている。
 隊士さん達を見守る田中先輩は、中岡さんや大橋さんと一緒に居る時とは雰囲気が違って、頼れる兄貴分といった感じに見える。

 ――こうして皆に慕われるのも、分かる気がするな。
 幹部の中でも一番身近に平隊士さん達と接して、兄弟みたいに気にかけてあげているんだ。




「ところで、陸奥さんはどこにいったんでしょうか?」

 少し前まで一緒にいたはずなのに、いつの間にか姿を消している。
 あわてて周囲を見渡してみるものの目に見える範囲では確認できない。

 そうこうしていると、

「むっちゃーん! 遠巻きに見てねぇで、こっちこいよ!!」

「……」

 ふいに田中先輩が上げた大声に、観念したように陸奥さんが姿をあらわした。
 人混みの中から、忍者のようにぬっと中央へと抜けでてくる。
 ……まさかそんなところにいたなんて。
 無理やり付き合わせてしまったけど、こういう場が苦手なのかな。



「せっかく来たんだし、むっちゃんも腕相撲やってけよ。対戦希望者いねぇかー!?」

 田中先輩が陸奥さんを台のそばに立たせて対戦相手を募ると、どっと希望者が殺到した。
 陸奥さんは、あっという間に迫りくる人波に押しつぶされる。

 うわ……大丈夫かな……?




「オレが勝ったぜーー! むっちゃんさんに勝ったーオッシャー!!」

 静寂を裂くように落胆と歓喜の声が沸き上がったかと思えば。
 次の瞬間、人だかりの中から軽快な足取りで一人の隊士さんが飛び出してきた。
 陸奥さんの対戦相手だった人だ。

 台のまわりの野次馬は、ああだこうだと愉快そうに対戦内容を語りながら、その場を離れ始める。
 残ったのは、押しつぶされて変な体勢のまま突っ伏している陸奥さん一人だ。



「大丈夫ですか!? 怪我してませんか?」

 あわててそばに駆け寄る。
 すると陸奥さんは疲れ果てたようにのっそりと起き上がって、手首のあたりを押さえている。
 右手の調子が悪いみたい……。

「無傷だ、気にするな」

 心配して彼の手に触れようとすると、さらりと払いのけるようにして、かわされてしまった。
 機嫌をそこねちゃったかな。
 気がすすまないようだったのに、無理を言って連れ出してしまったことを今さらながら反省する。



「残念、むっちゃん。また次回挑戦してくれ! おし、次はオレと天野だ。やろうぜ!」

 田中先輩はねぎらいを込めて陸奥さんの肩に軽く手を置き、そして――。
 ぐりぐりと腕を回しながらこちらに歩み寄ってくる。
 やる気まんまんだ。始める前から全く勝てる気がしない……。





「手、出せよ」

 ばさりと着物を脱ぎ捨てて上半身をあらわにした田中先輩は、自信満々な笑みでぐっと腕を構える。

 ……どうにも、目のやり場に困ってしまうな。
 ちらりと視線を向ければ、筋肉質で引き締まった体つきが目に入る。


「あの……手加減、してくれるんですよね?」

 まともにやったら、腕をへし折られてしまいそうだ。
 先輩の手にそっと自分の手を重ね合わせながら、顔を見上げる。

「おうよ。もしオレに勝てたら、何でもご褒美をくれてやる。そのかわり負けたら、オレに何かよこせよな」

「えっ!? ちょっ……」

 返事をする前に、頭上で開始の合図が聞こえた。

 思わず体を硬くして身構える。
 力を入れすぎたせいか、治りかけの脇腹にかすかな痛みが走った。


「……おい、力入れろ。オレ加減されてねぇか?」

 私の顔をのぞき込みながら、田中先輩は不満げに眉をよせる。

「してませんっ! これが全力です!」

 カチンと来て思いきり体重をかけてみるものの、ビクともしない。
 まさに山のごとしだ。
 一寸たりとも動かせる気がしない……!

「おし! ガンガン来いや!」

 受けて立つ! と先輩は一層強く私の手を握ってきた。
 ありったけの力を込めて倒しにかかってみたけれど、結局先輩の腕は微動だにせず、ついに私はがっくりと力尽きた。




「オレの勝ちィ」

 力が抜け切った私の腕をぱたんと倒して、田中先輩は手を離した。
 私は、伏せたままぜえぜえと肩で息をする。
 腕相撲って、こんなに疲れるものなんだ……。

 汗ひとつかかずに余裕の表情でこちらを見下ろす先輩を、私はむすっとした表情で見上げた。


「手加減、してくれなかったです……」

「しただろーが。優しく倒してやったつもりだぜ?」

「全然優しくないですっ」

 こんなに精魂尽きるまで付き合わされるとは思わなかった。
 いっそすぐに倒してくれた方がよかった気がする。

「まぁいい、約束通りご褒美もらうぜ。さぁ何くれる? 思いつかねぇならオレが欲しいもの考えるぜ」


 マズイ。
 そんな約束してたっけ。どうしよう……。

 台のそばにしゃがみ込んだまま、息をきらして頭を悩ませる。
 あげられるものなんて何かあったかなぁ……。
 あ、そうだ! 金平糖ならいくつか風呂敷に入れて持ってきてたっけ。


 なんて考えを巡らせていると、これまで静観していた陸奥さんが間近まで歩みよってきた。
 そして無言で私の手をとり、ぐっと腕を引っ張って立ち上がらせてくれる。


「敗者復活戦をさせてくれ。おれとこいつ、負けた方がお前に何か差し出す事にする。」

 陸奥さんは私の方にちらりと視線を向けると、台の前から田中先輩をそっと押し出し、こちらに向けて腕を差し出してきた。


 私と陸奥さんの対戦?
 どうして……?


「なんだよ、唐突だなァ。でもまぁ、面白そうだ! いいぜ。さっそくやろうや!」

 なんだか変な流れになってきた。
 私と陸奥さんが戦って、負けたほうが田中先輩に何かを差し出す?

 そんなの、私が負けてしまうに決まってる。
 敗者復活戦なんて、やる必要あるのかな?
 陸奥さんは一体どういうつもりなんだろう……?




「手」

 すでに対戦台の上で腕を構えている陸奥さんは、乗り気じゃない私を促すように、一言つぶやいた。

「一応やりますけど……」

 しぶしぶ手を合わせると、陸奥さんはかすかに力を込めて私の手を握る。

 田中先輩と立ち合った時ほどの圧は感じない。
 勝てはしないまでも、さっきのように全く歯が立たないということはないかもしれない。


「むっちゃん、手加減してやれよ。天野のご褒美も欲しいが、むっちゃんから何か貰うのも悪くねぇなぁ」

 一人楽しげな田中先輩は、ニヤニヤと笑いながら開始の合図をする。



「いきます、先手必勝!」

 合図とともに思い切り力を入れると、ほとんど抵抗なく陸奥さんの腕は大きく傾いた。
 やった……!
 田中先輩の時と違って、ちゃんと通用する!!


「……」

 台に触れそうな位置まで追い詰めて、これは勝てる! と心の中で勝利宣言をしかけたその時。
 陸奥さんは、ぐっと腕に力を込め、一気に開始位置まで持ち直した。


「あれ……?」

 あまりにもすんなりとふりだしに戻ったので、私は呆然とする。
 陸奥さんはというと、開始からずっと表情を変えずに手元だけを見ている。

「もうちょいだったじゃねぇか、天野。諦めんな! まだまだ攻めていけ!!」

「はい!」

 先輩の檄に大きくうなずいて、ふたたび腕に力を込める。
 ――けれど、今度は少し動いただけですぐに元の位置まで修正されてしまう。


 それから、同じような事を何度か繰り返した。
 陸奥さんは自分から倒しにかかることはなく、ただただ私が動かした分を修正するのみ。

 一体何なんだろう、この状況は。
 手加減されている事だけはハッキリ分かる。
 陸奥さんは負ける気もなければ、勝つつもりもないようだ。


「田中先輩よりも意地悪です……」

 ただ遊ばれているだけなのかもしれない。
 力の差があるのは、もうハッキリと分かった。
 いっそ早く倒してほしい。

 私は不満をぽつりと口にして、腕の力を抜いた。


「おいこら、むっちゃん! いくら何でも遊びすぎだろうが!」

 ぱしんと、勢いよく陸奥さんの頭をはたく田中先輩。
 それでも陸奥さんは、表情を変えない。

「勝つなら勝ちやがれ! いつまで手ぇ握り合ってんだ!!」

 先輩がシビレを切らして叫んだ瞬間、屯所の方からこちらに向かって近づいて来る人影が見えた。
 坂本さんと長岡さんだ。




「盛り上がっちゅうのう、腕相撲か!」

「陽さん、帰って仕事の続きやるよー」

 対戦台の脇までたどり着くと、二人は興味深そうにあたりを見回しながら陸奥さんの肩をたたいた。

「用事は済みましたか……悪いがそういうわけだ、田中。勝負はここまでにする」

 坂本さんたちに一瞥したあと、陸奥さんはぎゅっと握っていた私の手をほどいて、台から身を離す。


「待ちやがれ、一体何のつもりだ!? オレはこういう白黒はっきりしねぇ戦いが一番気にくわねぇんだよ!」

 納得いかないといった表情の田中先輩は、そのまま背を向けて去ろうとする陸奥さんの肩をつかんで声を荒げた。


「何じゃ陽之助、嬢ちゃん相手に勝てんかったがか……それはさすがに男としてマズイのう」

「骨折でもしてるんじゃないの……」

 やたらと熱くなっている先輩を見て目を丸くした坂本さんと長岡さんは、何事かと陸奥さんの顔を見やった。


「いえ、違うんです。陸奥さんが明らかに勝っていました。でもその、手加減をしてくれて……」

 坂本さんと長岡さんが顔を見合わせながら『若年おじいちゃん』だとか『歴史的虚弱』だとか不名誉なあだ名をポンポンと生み出していくのを見て、さすがに一言入れる。


「おお、そうじゃったか。陽之助は根が優しいきのう、おなごの手を台にたたきつけるようなまねはできんかったんじゃろう」

「てことは、引き分けだね。再戦はまたの機会にってことでいいかな?」

「はい……」

 これにて一件落着とばかりに満足げにうなずいた二人は、立ち止まる陸奥さんの背をたたいてふたたび歩き出した。


「ちょっと待った!! そんじゃ、ご褒美の件はどうなんだよ、むっちゃん!」

 腹の虫がおさまらないといった調子で青筋を立てる田中先輩は、なおも陸奥さんに食い下がる。
 さっきの取組の内容が納得いかなかったのはわかるけど、少し熱くなりすぎなんじゃないかな……。

 猛然と進路に立ちふさがる先輩にじろりと目を向けた陸奥さんは、気だるそうに口をひらいた。

「引き分けだから敗者がいない。つまり負けたほうが何かを差し出す*束もナシだ」

「はあぁぁぁ……!?」

 陸奥さんの言葉に面食らった田中先輩は、眉をひそめてその場に立ち尽くす。



「じゃあな。行きましょう、二人とも」

 ずかずかと、振り返ることなく陸奥さんは歩いていく。
 先を行く坂本さんと長岡さんが、また来ると言って笑顔で手をふるのを、隊士さん一同は背筋をただして見送った。


 もう少しゆっくり海援隊の話を聞きたかったけれど、忙しそうにしている彼らを無理に引き止めるわけにはいかない。
 今度また、落ち着いた頃にこちらから会いにいこう――。





 三人の背が見えなくなり、盛り上がっていた隊士さんたちも散り散りになった広い庭の真ん中で。
 私はふとさきほどのやり取りを思い出して、はっとした。
 そして、長銃を手にとり苛立たしげに屋敷へと戻っていく田中先輩のあとを追う。


「陸奥さんは、最初から引き分け狙いだったんですねぇ。どちらも先輩に何か差し出さなくていいように」

「要は、おめぇを助けたってわけだ。オレから何かよこせってせがまれて困ってたからなァ」

「そういうことですよね……私、知らずに陸奥さんにひどいこと言っちゃったかもしれません」

 申し訳ない気持ちでいっぱいになって、ぎゅっと胸がしめつけられる。
 坂本さんが言っていた通り、陸奥さんは優しい人だ。
 どうしてもっと早く、彼の気持ちを分かってあげられなかったんだろう。

「後悔してんなら、次会ったとき謝りゃいいだろ」

「そうですね。先輩も一緒に、ごめんなさいしましょう」

「ああん!? オレ何かしたかよ!?」

「頭をはたいたりとか、怖い顔で怒鳴ったりとかしてました」

「いや、まぁ、そりゃあよ……」

 仕方ねぇだろ、と。
 少し拗ねたような顔になって先輩は口を尖らせる。
 いくらか頭が冷えたのか、もう話していて怖い感じはしない。


「また今度、二人で酢屋さんを訪ねてみませんか?」

「……まぁ、いいけどよ。それはおめぇが外出できるようになってからだな」

「はい!」


 かすみさんが目を覚ましたら、お見舞いも兼ねて少しずつ外に出ていくようにしたい。

 もちろん十分に身を守るための注意はした上でだ。
 あとで中岡さんに、そのあたりのことを相談してみよう。


[*前] | [次#]
戻る


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -