「難儀な身体だね」
「そう?あんまり考えたことないけど」
穏やかな陽の差す木陰で、ベンチに腰掛ける。
並木の下にあるそこは、日向が気温30℃の灼熱であるということを忘れさせる。
目の前で繰り広げられる、暑さで皆ぐっでりとした体育を見なければ、きっと思い出さないままだ。
「それをいうなら佐助だろ?」
「なんで?」
「足、佐助はめったにお医者には行かないでしょ」
小太郎の目の先、佐助の足には頑丈なテーピングがしてあって、横には松葉杖が立て掛けてある。捻挫を悪化させて、疲労骨折に持ち込んだ結果だった。
「こんくらい。面倒なのは風呂に上手く浸かれないくらいだよ」
本当に。柄にもなく、平素のありがたさというものを考える機会になるくらい、動けないというのは退屈で、慣れない松葉杖の移動は大変だった。
でもそれもせいぜい一月の辛抱である。隣に座る小太郎にくらべたら、そんな時間、と思える。
「そういう方が大変さって大きいと思う」
「小太郎に比べたら一瞬だよ」
「そんな言うほど、俺はもう苦労感じないし」
病院のお金とか出す親の方が、よっぽどご苦労なんじゃないかな。なんて人事のように言ってのけてるけど、俺が知ってるのから数えても次から次と見つかる心身症で小太郎がお医者通いを始めてから、5年は経っているはずだ。
幼い頃のはノーカンだから、もしかしたらもっとかもしれない
曰く、ストレスをいなすことが苦手らしい。
するすると忍術を会得していくのと同じように、それを吸収していく。
伝説と謳われた時の小太郎が蓄積していたものが忍としてのスキルなら、今はそれがストレスである、という話だ。
毎度毎度、どうしてそんな厄介ばかり背負うのか、まったく難儀な身である。
しかも、質の悪いことに小太郎がそれを無意識のうちに隠してしまうものだから(昔からあい変わらずだ)、まわりが気付くのはいつだって、異変が現れてからなのだ。
「喉はもう平気なの?」
「全然問題ないよ。へいき。」
「なら良かった」
いうと小太郎が笑った。
赤茶けた髪がゆらり、揺れる。
毛色は、前とは違い周りに溶け込んでいたというのに、いつの間にかすごくデジャヴュを感じた。
薬の飲み合わせがよろしくなかったらしい。
いつの?と尋ねても、ええと…と言ったきり答えがでなかった辺りが、らしいといえばらしいことだ。
「そういえば、ストレスの耐性って遺伝子も関係あったりなかったりするんだって」
「どっちだよそれ」
「ちょっと聞きかじっただけだから、俺もよく分かんないけど」
「けど、遺伝子レベルで耐性ないとか言っちまうと」
「うん、身も蓋も無いけどね」
でももしかしたら、遺伝子云々というのもあながち間違いじゃないのかもしれない。
小太郎の両親は確かいなかった。
(なんで死んだのか、とかなんも知らないからなんともいえないけれど)
もしそんな遺伝子があるのなら、それはとても理不尽なような気がした。
ある種生への足切りのような気がした。
「見えないものに翻弄されるのもねえ」
「佐助がそれをいうの?」
「…どういう意味」
「なんにも」
そういえば以前小太郎に、俺が死んだら泣くか、と尋ねられたことがあった。
ちょうどあれは、小太郎の親代わりである氏政が倒れたときだったはずだ。
今でこそ、元気に(腰痛持ちであるが)唾を撒き散らす勢いでしゃべったり、のったり茶を啜ったりする老人であるが、あの時は本当に危なかったのだという。
病院で覚悟を迫られたらしい小太郎にそう尋ねられた時、いつもはシャープな小太郎の目元が腫れぼったくなっていた。
あの時、小太郎は何を思ったのだろう。
親を失い、祖父を失い、とうとう天涯孤独の身となることを恐れたのか。
氏政を見舞い、悲しみ、小太郎を励まして去っていく人をみて、天涯孤独の身となった後の自分の死後を想像し、恐れたのか。
あの時俺は、なんと答えただろう。
「小太郎はまだ、自分の死を泣いてくれる人がほしい?」
「いらないよ。佐助がいるし」
「そういや俺あの時なんて言ったっけ」
「忘れないって」
「え?」
「泣くかは分かんないけど、ずっと思い出して忘れないって。」
「…それで」
「ひとりが寂しかったら、俺がずっと覚えててあげるから。そうしたら、俺が死んだらいっしょにお墓に入れるから寂しくないでしょう?って」
「……」
「どうしたの?」
「いんや」
小太郎がこちらを覗き込む。
話を聞いて思い出した自分の言葉に、恥ずかしくて顔を隠していると、どちらが言葉を続けるより早く、チャイムが鳴った。
あー、だの、あっついだのと云いながら、だるだると体育をしていた奴らが帰ってくる。
ふたりも、教室に帰るために立ち上がった。
「小太郎」
「なに?」
「嬉しかった?」
「…うん」
「そっか」
「佐助はなんかある?」
「死んだ後のはなし?」
「うん」
「べつに…何もないから、なんか思いつくまでは小太郎とお揃いでいいよ」
「そっか」
並木の下の木陰を抜けて、校舎に行くまでの日向を歩く。
気温30℃の灼熱は、コンクリートの助けも借りて、容赦なく照り付ける。
半袖の制服の下から真っ白い肌を覗かせる小太郎は、そのままこの灼熱に溶けてしまいそうな気もしたけれど
ずっと暗がりに息を潜めていた時よりも、生き生きして見えたし、なんとなし合っていると思った。
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