――その日の夜、私は自分が眠っていたベットでぼうっと天井を眺めていた。
だらりと、放りだした片腕が少しベットからはみ出していて、鉄平さんが用意してくれた押して進む形の歩行器の冷たい金属に触れている。
食人植物はもう移動させたようで、この部屋には私が一人いるだけだった。
「私って、なんだろう」
ぽそりと、口から洩れた小さな呟きはこの静かで孤独な空間に吸い込まれていく。
私はあの話の後、少し体調が悪くなり横になることになった。
思えば、きっと精神的に疲労困憊したのが原因だろう。
私を運んでくれた鉄平さんが「ちょっとタイミングが早かったな」と少し眉を下げて笑ってくれた。
「……IGO、か」
――与作さんが私に話してくれた『本題』の内容。
簡単に言うと、IGOという組織に保護されてみないかという内容だった。
しかしそれは、私という人間の遺伝子に関する実験や生体調査を行う前提の話だそうだ。
実験。
生体調査。
正直、怪しさ満点だと思う。
だけど、口が半開きになっている私に、与作さんが追い打ちをかけるように言った言葉が頭に焼き付いて離れない。
『……後、IGOに行けばお前の戸籍が手に入る。身元不明からおさらばってわけだ』
――戸籍。
元いた世界では、何も思わなかった存在証明書。
馬鹿らしい話だ。
私という存在は、この場所、この時にいる自分以外の何ものでもないのに。
それでも。
この世界に、自分という存在の証が出来るのかと思うと……甘い言葉に聞こえた。
――遺伝子が違うという事実が、思いの外、私に重くのしかかっている。
この世界とは違う、逸脱した存在であるということが形になるだけで、とても恐ろしくなった。
「……ダメだなぁ」
私は緩く首を振る。
どうも弱っているみたいだ。
――こんな時、ココさんならなんと言うだろう。
ふと沸いた思考に、私の胸は一気に不安へと掻き立てられる。
あぁ、もう。
自分で自分の思考の移り変わりについていけない。
自分のことで精いっぱいの筈なのに、ココさんのことを考えると何故か彼のことしか考えられなくなる。
大丈夫だろうか。
もう苦しくないだろうか。
食事はしているのかな。
占い屋復帰は……まだだろうな。
私の手紙、読んでどう思ったろう。
怒っているかな。
それとも……。
「……あぁ」
一気に思考が支配されて、溜息をついた。
今、この混乱している中でさえ、誰よりも何よりも、会いたいと思ってしまう。
でも。
一体どんな顔をして会えっていうんだ。
止めてくれというココさんの意見を丸無視して、自分勝手に行動してしまった。
その上、あんな置き手紙を残して飛び出してきたのである。どう考えても、私は最低で失礼極まりない。
――嫌われても仕方ないとは覚悟していたが、実際それを目の当たりしたら私は押しつぶれてしまいそうだ。
私は自分の前髪をぐしゃりと両手で押さえつけた。
「あれ、泣いてる?」
「……っ!?」
突然かけられた声に、私は飛び起きた。
緑色のリーゼントの彼が小首を傾げて私を覗きこんでいた。
せめて、明かりくらい点けてくれても良いのに。
「鉄平さんっ」
「あ、泣いてなかった」
「泣いてませんよ……」
私が困りながら言うと、鉄平さんは緩く笑いながら、また私が横になっているベットへと腰掛けてくる。
……だから、近いんですってば。
しかしもぼんやりと暗いせいか、妙に緊張する。
「どうしたんですか?」
「いや、そう言えばまだ話の続きだったなと思って」
鉄平さんは足を組むと、その上で頬づえをつく。
少しだけコチラ側に傾いた彼の体のせいで、余計に顔が近くなった。
「話の続き、ですか?」
「ああ、四天王ココの所にいたんだよな」
「……あ」
そう言えば、鉄平さんにはそのことを話したんだった。
――つい、与作さんとの話に思考回路の全てを持っていかれていたけれど。
私が目をパチクリしながら鉄平さんを見つめると、彼は口に緩やかな笑みを浮かべた。
「そこには、帰らない?」
「……え、っと」
その言葉に、私は一瞬声が詰まる。目が泳ぐ。
「わ、わかりません」
「ん?」
「その、私かなり身勝手ことをしてしまいましたし……顔を再びお見せしていいものか、どうか……」
「あー、そうだな」
鉄平さんの冷静な声に、私はぐぅっと気が滅入るを感じて、少し視線を下げた。
目に映るシーツは、窓からの月明かりで青白い。
私はそのシーツの上で手を組み合わせ、指先を落ち着きなく動かす。
すると、鉄平さんの大きな手がその指先に覆いかぶさってきた。
驚いた私は反射的に顔を上げる。
「て、鉄平さん?」
「指先、すいぶん動くようになってきたなぁ」
「あ……そうですね」
なんだ。
そういうことか。
変に驚いてしまった自分が恥ずかしくなる。
鉄平さんは、私の手に視線を落とすとその指先を少しだけ摘まんだり、押したりしてきた。
――うん。
鉄平さんの挙動や発言は、あまり意識しないほうがいいのかもしれない。
この距離の近さも、鉄平さんは意識していないようだし。
何よりもよく話の内容があちらこちらに飛ぶ気がする。
鉄平さんはしばし私の指先を弄ぶと、ゆっくりその手を離した。
「あのね、ワカメちゃん」
そして、また言葉を紡ぎ直す。
「あまり、深く考えないで自分の思うままに決めればいい」
鉄平さんは私から離した手の指先で、トントンと自身の胸を指す。
「紙切れ一枚と、ここの重さの違いは明らかだろ」
――そう思わないか? と、鉄平さんは口の端を上げながら言った。
私は、それをポカンとした間抜けな顔で聞く。
存在を簡単に証明することができる魅惑の品物を、あっさりと『紙切れ一枚』と言い放った彼。
ようするに、彼は心のままに動けということを言っているのだろうか。
「与作さんは、私がIGOに行くことを進めてましたけど……鉄平さんはそうは思わないんですか?」
私がそう問うと、鉄平さんは少しだけ笑みを引っ込めて私を見た。
「生きたいと思う場所で生きる、それが生物の本来の姿だと……俺はそう思うだけだよ」
鉄平さんはそう言うと、またすぐにニコリと笑みを取り戻す。
その言葉の端々がなんだか新鮮な空気のように、私の心へ小さな風を起した。
「まぁ、ワカメちゃんがIGOに行きたいなら別にそれも止めたりはしないけど」
あ、でも俺の言うことは全部間に受けないでいいよ、大体適当だから――と、続ける鉄平さんに、私はゆっくりと首を横に振った。
「そうですね……やっぱりIGOはちょっと……」
私はポソポソと呟くように言葉を落とす。
すると鉄平さんが、方眉を上げて聞いてくる。
「なにが嫌なんだ?」
「実は、私……」
「うん」
「注射、嫌いなんですよね」
私の発言に鉄平さんの目が見開かれ、口が微かに開けられた。
「実験とか調査って絶対注射ありますよね、だから嫌なんです……なーんて」
――まぁ、注射は嫌な理由の些細な一部でしかないけれど。
目の前の鉄平さんがあまりにも呆気にとられた顔をするものだから、私はちょっとだけ可笑しくなった。
私が少し声を出して笑うと、鉄平さんも次第に格好を崩して笑い出す。
「私も案外適当なのかもしれないです」
「そうかもなぁ」
なんだかんだで、けっこう笑い続けた私と鉄平さんだったが、ふと突然鉄平さんが何をを思い出したかのように立ち上がった。
その顔には気まずいという感情が張り付いている。
「……しまった、忘れてた」
「どうしました?」
「怒んないでね」
苦笑いを浮かべる鉄平さんに、私は首を傾げる。
「えーっと、エンペラークロウのキッス? だっけ」
「はい」
「……実はさっきから、外に居るんだよね」
鉄平さんはハハッと乾いた笑い声を洩らしながら「ごめん」と、私に頭をぺこりと下げた。
あまりにも軽薄な謝罪に、私は開いた口が塞がらない。
て、適当なのはいいですけど。
そ、そう言うのは早く言って下さいっ。