だってもうオッサンだもん俺ー
ぴんぽ――ん。
そんなひらがな表記が似合う、間抜けた音が部屋に響き渡った。
どこの家庭にもあるごくごく普通なドアチャイムも、木佐さんが奏でるときだけは表情豊かな音色を呈するのが不思議だと思う。
軽やかに転がるような音と共に訪ねてくるときは大抵機嫌が良いし、何か悩みごとがあるときは、チャイムの音色もどこか沈んでいる。
今日は音色から察するに――時期的に自明の事なのだが――、過酷な仕事で死にそうな上、校了も終わって気が抜けているのだろう。
――なんて、久し振りに恋人に会える幸せに胸が高鳴って。洗った手をエプロンで拭きながら、玄関へとぱたぱた足裏を鳴らす。

「木佐さん、おかえりなさーい」
「……ただいま…」

ドアを開ければ、ほら。死にそうな顔をした愛しい人がそこにいた。

「悪い……、マジで俺、無理……」
「ちょっ、木佐さん!?」

半開きのドアを放って、三和土に一歩踏み込んできたと思ったら、木佐さんがとさりと俺の胸に落ちてくる。同時に閉まる扉。
どきりと跳ね上がった鼓動が伝わっているかもしれないと思ったが、木佐さんにそんな余裕はないようで、うー、と唸り声をあげた。

「大丈夫なんですか?具合悪いですか?」
「死にそーなだけ……」

世間一般では「だけ」で片付く問題ではないが、ここでそんな話題を出しても詮がない。
恐らく、今の木佐さんの状態は「死にそうに疲弊しているが、具合が悪いわけではない」。

「飯ありますけど、先に寝ます?」
「や、飯…」

回らない口をもごもごと動かしている様子が不謹慎ながら可愛らしいと思ってしまう。
すっぽりと俺の腕に収まる小さな身体はやつれているせいで更に細くなったようで、食事を作って待っていてよかった、と安堵した。

「ごめん、俺、風呂4日入ってねーんだ…」
「いいです、けど」

だんだん掛かってくる体重が増えてきて、情けなくたたらを踏んだ。それでも木佐さんの身体からは、更に力が抜けていく。
仕方なく、押し倒されるような形で上がり框に腰を下ろして、木佐さんを抱き止めた。
ふわりと漂ってくる匂いは成程、鼻に慣れたそれではない。
体育倉庫のような匂いとインクの匂いと…しかしそれらに紛れた木佐さんの匂い。ちっとも嫌だと思わなかった。

「木佐さん、肩貸すんで、とりあえずリビング」
「……もーちょい…」

このまま、と俯いた唇が動く。
――反則じゃないだろうか。
久々に木佐さんに会えたと思ったら密着されて、あまつさえこの発言。
こんな疲労困憊している恋人に手を出すわけにもいかずに、火照りそうな顔を落ち着かせるほかないではないか。

「木佐さん、」
「んー…」

拒否されるとでも思ったのだろうか、俺の胸に頭を押し付けてきた。そんなことするわけないのに。
油と埃の浮いた髪に手を差し入れて、顔を上げさせる。

「可愛い顔が台無しですよ」
「可愛くなくて結構……」

嘘だ。木佐さんはどんな顔だって可愛い。
くりくりと泳ぎやすい大きな瞳は充血して、むくんだ瞼に隠されている。
つやつやとして、指先に吸い付くように潤った肌は、かさりと乾燥して軋むような感触がした。
痛々しく浮かんだ隈を親指でなぞると、木佐さんはくすぐったそうに口元を綻ばせる。

「飯、何…」
「コンソメと鶏肉の雑炊です」
「なんだそれ」
「だから、"コンソメ"と"鶏肉"の"雑炊"です」

とりとめのないやりとりに、額を突き合わせて笑いあう。
腕の中の体温が幸せで、独り占めしてしまいたい。どこにも行かせないで、俺だけ見ていてほしい、と思う。
そんなことを考えてしまうのは自分が子供だからかもしれない。こんなにボロボロになっても好きだと言える職を手にしている恋人は少々卑屈なきらいがあって、俺と付き合うことに、未だに自信が持てないらしい。
――だけど、それは俺だって同じなのだ。
木佐さんは可愛くて守ってあげたくて…でも、9歳も年上な強い大人で。

「……雪名?」

疲れていたって、俺の意識が違うところにあることを見抜いてしまう。まだまだ子供な俺にはとても出来ない芸当だ。
その眼差しは真っ直ぐでやさしくて、愛しげに俺を貫く。

「俺、木佐さんを守れるように、はやく大人になりますから」
「は……?」

視線にほどかれるように滑り出した台詞に、木佐さんが怪訝そうな顔をした。

「木佐さんは俺のこと王子みたいだって言うけど、全然そんなに強くないし」
「おい待て、その文脈だと俺はお姫様なんだが」

嫌そうな顔をして上体を起こす木佐さん。
いいから飯食いたい、とそっぽを向くのは照れ隠しなのだろうか。
糖度を増した空気に居心地が悪そうな彼の背を叩いて、ローテーブルへと促した。

「わかりました。用意するんで、席ついてて下さい」
「…雪名」

キッチンへと立ち上がると、木佐さんが俺のエプロンの裾を掴んでいるのが目に入った。

「俺は、お前のこと子供だとは思ってねーから」
「え?」
「お前はすげーよ。恋人なのに、俺、全然会ってやれなくて。それなのにさ」
「木佐さん、いいですって」

この人の事だ、俺のもやもやを察知して、それに責任を感じているのではないだろうか。
木佐さんに会えなくて寂しいのは事実だけれど、年上の恋人の仕事に文句を言うような子供じみた事はしたくない。それに、今ここに木佐さんがいてくれるなら、俺はそれで幸せなのだ。
そう言おうと口を開きかけると、木佐さんがふるふると頭を振った。

「そうじゃ、なくてさ」

エプロンに皺が強く刻まれる。
うつむいた木佐さんの表情はわからないが、言葉がだんだんと眠たげに舌ったらずになっていく。

「やっぱ、飯あとででいい」
「いや、ちゃんと食べないとダメですよ。疲れてるんですから――」
「雪名がいい」

彼らしからぬ、支離滅裂かつ可愛らしい言動に俺は言葉をなくした。
もごもごと意味をなさない声を発する木佐さんは、やはり眠いのだろう。飯の前に一眠りさせてあげるべきかと思案していると、聞き取れなかった声が形を持ちはじめた。

「…ゆきな」
「なんですか?」
「会えなかったのに、お前は大人だと思ったんだよ…」

一瞬、脈絡がないように思えた台詞。
しばし首を傾げて、思い当たった。先程俺のことを凄いと言った台詞の続きなのだろう。

「なにが、ですか?」
「俺は会えばこーやって甘えて、ゆきなにメーワクかけてんのに、お前は、そゆのしないから、と思って…」

だから大人だ、と。
やはり彼は疲れているのだ。普段木佐さんはこんなに自分の中身を吐露しない。それほど、今月の仕事が切羽詰まっていたのだろう。
そこまで考えて、ふと木佐さんが船をこいでいることに気がついた。

「木佐さん、寝るならベッド行きましょう。飯あとででもいいですから」
「……てけ…」
「木佐さん?」

エプロンの裾を強く捕んだまま動こうとしない木佐さんの口元に耳を寄せてしゃがみこむと、乾燥してひび割れた唇の動きが読み取れた。

「わかりました」
「ん……」

皺の寄った布地に手を這わせると、それを掴んでいた木佐さんの指が絡み付いてきた。温かな感触を名残惜しく思いながらも、その指をゆっくりとほどいて木佐さんを抱き上げて、ベッドへと運ぶ。
小柄な身体をさらに軽く細くして、彼は既に寝息を立て始めていた。
木佐さんの寝顔はいつも以上にあどけなく見える。しかし、俺は木佐さんの表情がその幼い造作に似合わない色香と達観、諦観に揺れることも知っている。
きっと、俺の知らない20年以上の時間でそんな表情を見た人などたくさんいる。
けれど、こんなに無防備な寝顔は?
明るくおどけて、ときには悪ぶって強がって、そんな木佐さんが深く刻まれたクマとかさついた肌を晒して、安心しきったみたいな顔で眠るのは――俺の腕の中だからだろうか。そうならばいい。
ふっと吐いた息が黒い前髪を揺らす。くすぐったそうに木佐さんが瞼を震わせた気がして、俺は慌てて木佐さんをベッドに降ろす。
布団をかけてあげようとしたとき、木佐さんがむずかるみたいに唇を動かした。

「ゆきな……」
「はい?」

寝言だと思いつつも、習慣で返事をしてしまう。
自分はどれだけこの人が好きなんだろうと、ひとり微笑みながら木佐さんの荷物を拾いに立ち上がる。

「ここにいろ」

そのとき、そんな風に言われたら。
ついさっきかけたばかりの布団を剥いで、深い呼吸を繰り返す可愛らしい恋人を抱きしめるしか、俺には術が残されていないのだった。





→あとがきへ
誰だこれはーーーーーー!!!!?!?

ちょっ……疲れたからってここまで素直な木佐さんに違和感ありありでちょっとどうにも……。

でもこっから修正も面倒かn(不可能だと判断したのでそのまま投下←

タイトルもお題サイト様から可愛いのを引用。そう、疲弊して甘えちゃうのもオッサンだからしょうがないんですよ!皆さん納得して!!!
(でも文は雪名目線)

えー、だいぶ待たせた割にこのクオリティはどうなのかと自分でも思うけどごめん!友人のよしみで見逃して☆



……はい、前置きが長くなりましたがあにょnからの10000hitフリリクで「子供っぽく雪名に甘える木佐さん」でした。

あにょnのみお持ち帰り可なので、こんなんで良ければご自由にどーぞ♪

そしてそして!いつも訪問してくださる皆さん、10000hit本当にありがとうございましたー!
(これを書いている現在15000hitも達成していたりする。どんだけ待たせたんだ自分)

ではでは、またの訪問を心よりお待ちしております





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