※※第174話:Shout of Love.1









 カシャンッ――――…

 拳銃を思わず床へ落とした勇真は、愕然とし、腰を抜かしていた。
 射撃など、祖父に習いほんの少しかじった程度だった。
 しかも、実戦で弾を撃つのは初めての経験だった。

 思い余っていた勇真は、見事なまでに的を外した。
 彼はただ、薔が手にしているナイフを振り落とさせたかっただけだった。
 しかし的は見事なまでに、“致命的な”外れ方をしてしまったのだ。











 ナナの右肩には激しい痛みが走ったが、それはすぐに消えていった。
 傷もすっかり消えてしまった彼女は、ゆっくりと体を起こす。


 そして、

 「…――――――――薔…?」

 ナナは目を見開いた。









 目の前に、とても静かに彼は横たわっていた。
 その表情は残酷なまでに美しく、ただ眠っているだけのようにすら見えたほどだ。

 ところが、撃ち抜かれた左胸から流れ出た血液は、薔のシャツを真っ赤に染め、尚もじわじわと鮮やかな赤を床へと広げていたのである。




 「しょっ、…薔…、薔っ……」
 ナナは何度も彼の名前を呼びながら、愛しいひとの体を抱きかかえた。
 両手に伝わるのは、雨が混じった生温かい血の感触。
 反対に、彼の体からはどんどん温もりが奪われてゆく。

 「薔っ…、薔…っ!」
 彼女の必死の呼びかけに、重く瞳を閉ざした薔が僅かばかりの反応を見せることもなかった。







 本能がしきりに、恐ろしい警鐘を鳴らしている。
 はやく、はやく彼の命を繋ぎ止めなければ……


 …――――――薔は死んでしまう。








 あと5分も、残されてはいない。

 「やだっ、薔っ…、薔っ…!」
 ナナは泣きながら、震えるくちびるでいつもより冷たい彼のくちびるへとキスを落とした。
 キスは自分の涙の味がした。

 それでも、目を開けた薔が彼女に向かって微笑みかけるようなことは、なく。









 「うわああああああああああぁぁぁああああ―――――――――――――――――――っっ!!!!」




 ナナは天を仰ぎ、泣き叫んだ、喉が裂けるくらいに。
 いつしか裂けてしまった喉から叫びを上げるくらいに。
 あまりにも悲壮な絶叫が、地下室から、雨に濡れた夜へと轟いた。


 びりびりと辺りは今にも崩れ落ちそうに震え、目に映る世界も脳が捉える世界もすべてが歪みに歪んだ。

 大いなるバランスをたちまち失くしてゆく、ナナにとってこの世のすべては薔だったのだ。
 痛みも然り、肩に感じた痛みが彼女にとっての痛みではなく、彼が心臓に受けた痛みこそがナナにとっての痛みだった。

 想いを馳せるすべてであって、想いのすべて、薔がすべてなのだ、離れられはしないのだ。







 狂ったように痛哭しながら、ナナは鋭く牙を剥き出した。
 自らの手首に突き立てる牙を。


 事態は一刻を争う、もはや薔の命を繋ぎ止めるために残された道は、ただひとつ。

 ナナの血を分け与え、彼をヴァンパイアにしてしまうことだけだった。
 待ち受けているその先へと思いを巡らすことのできる余裕など、彼女には微塵も残されてはいなかった。









 真っ赤な血の海の中で、愛するひとを守るためだけに翳されたナイフは未だ、銀色の輝きを見せていた。

 改めて思い知る、それは無情なる現実。


 いつも力強く、頼もしく感じていた薔の命はじつは、

 こんなにも危うく、儚いものだった。















  …――And does eternity erase sweethearts…?

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