短編 | ナノ



悪魔と繋いだおてて


ようやくとれたオペラのチケットに私は興奮しながらめかしこんで会場へ向かった。今人気の俳優が出ているおかげでこのオペラはとても人気だった。今までなかなかチケットをとることができなかったが、遂に私にも運がやってきた。とれたチケットは1枚だけ、日曜に1人寂しいがしょうがない。席についてまわりを見渡しても人ばかりだった。しかし私の左隣は空席のまま。それに首を傾げながらも開演のブザーが鳴るころにはそんなことすっかり忘れて演劇に魅入ってしまった。

演劇も中盤にさしかかったころ、私の左隣に人が座る気配がしてそちらに目を向けた。私の知っているその人物はにっこりと胡散臭い笑みを浮かべながら小声で声をかけてきた。

「やあ、納豆チャン。こんなところで会うなんて奇遇だね。」

『びゃ、白蘭さん…。』

思わず自分の頬が引きつるのがわかった。うまく笑顔をつくれないまま挨拶をする。

「“白蘭”でいいって前から言ってるのに。それによそよそしい敬語もいらないよ。君とボクの仲だろ?」

いつからか彼は私のまわりに頻繁に出現するようになっていた。どういうわけか彼に気に入られてしまった私は会うたびにこうして絡まれることになる。

『白蘭さんと私はただの知り合いです。友達未満です。』

「ひどいなあ。ここで会ったのも偶然じゃなくて運命かもね?こんなに人がいる中で納豆チャンとボクが隣同士に座る確率なんてすごく低いと思うんだけど、」

『あの、劇に集中できないんで静かにしてもらっていいですか?まわりに迷惑なので。』

尚も一方的に話す白蘭さんの言葉をさえぎってきつい言葉を投げつける。その言葉にも彼は笑みを崩さない。わかったよ、という言葉にほっと胸をなでおろして演劇に目を向ける。白蘭さんに邪魔されたせいで観られなかった部分が悔やまれる。

物語の終盤、ようやく隣の気配を気にせずに演劇を観られるようになった頃、椅子の肘掛けに置いていた自分の左手が冷たい何かに包まれて思わずびくっと体が揺れた。出そうになってしまった声は慌てて飲み込んだ。勢いよく左側を確認すると、張本人の彼と視線が重なる。白蘭さんの右手が私の左手を握っていた。それを振りほどこうと奮闘するが、ビクともしない。

『あの、』

「しー、静かに。ね?」

子供に言い聞かせるように口許で人差し指を1本立て、そう言う彼に腹が立つ。私がさっき静かにしろと言ったばかりに、彼は尚も私の左手を弄ぶ。感触を確かめるように握ってみたり、指先でなぞったりするように。

『いい加減にーーー…!』

「終わっちゃったね。」

我慢できなくなって声を発しようとした私に白蘭さんは澄まし顔で舞台を横目で見る。その視線の先を見ると赤い幕が下りてくるのがわかって絶句した。周囲は拍手の嵐で、終盤を完全に見逃したことがありありとわかった。

『そ、そんな…。せっかくの舞台だったのに…。』

震える私を横目に見て白蘭さんはおもしろそうに笑う。そして席から立ち上がって、いまだに繋いでいた私の左手を引っ張る。

「納豆チャンはこの後の予定は?お昼はもう食べた?よかったらここから少し先においしいピザのお店があるんだ。一緒にどうかな?」

あっけらかんとしたその物言いに怒りで体が震えた。誰のせいで舞台に集中できなかったと思っているんだーーー!!
思わず繋いでいた左手に力を込めてしまった。彼はそれに何も言わず、私の手を余計にしっかりと握った。

「もしかして怒ってる?」

『ええ、とても。すごく楽しみにしていたオペラだったので。』

「ごめんね、納豆チャンが隣にいてついはしゃぎすぎたみたいだ。うーん、そうだなあ。じゃあこういうのはどうだい?納豆チャンが今からボクと食事をしてくれるんだったら今日と同じオペラのチケットをプレゼントするよ。」

思わず目が点になる。だって、このオペラは全然チケットがとれないことで有名で。それを知らなくて彼は簡単にプレゼントする、なんて言うのかーーー。

『ここのチケットなかなかとれないんですよ…?』

「うん、知ってるよ。でもボクにかかればなんとでもなる。」

どうかなとたずねる悪魔に私はもう首を縦に振ることしかできない。

数日後に本当にオペラのチケットが郵送で贈られてきて、時間をとって劇場に行った。そして驚愕した。また隣に真っ白な彼がいた。運命だね、なんて笑われたときに、すべて彼の手の内だったことに私はようやく気づいたのだった。


悪魔と繋いだおてて


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2023*06*05

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