短編 | ナノ



時間はためらってくれない


聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
最初は空耳かと思ったがはっきりと聞こえた自分を呼ぶ声に振り返る。

高校卒業後イタリアに渡って早5年弱。あれだけ嫌だったマフィアのボスに自分がなり、仕事をこなしていくうちにあっという間の時間だった。たまたま今回長期休暇がとれて何をしようかと悩んでいた俺に久しぶりに日本へ帰ったらどうかと提案したのはリボーンだった。自分がいない間に何かあったらと言った俺は、リボーンが突きつけた銃口に即座に口を閉ざすことになる。そしてこうして1人日本へ帰国した。

振り返った俺は一瞬時が止まってしまった。俺の記憶にある彼女は髪が長くて大きな瞳が俺をうつしていて艶のある唇で、だけど最後に見た彼女は唇を歪めて瞳には涙の薄い膜ができていた。
しかし今目の前にいる彼女は長かった髪をばっさりと切っていて両耳には小柄な花のピアスがついていた。大人になった彼女に誰だかすぐにはわからなかった。

『綱吉くん。』

「納豆、ちゃん…?」

『やっぱり綱吉くんだ!よかったあ、後ろ姿だけだったから違う人かもって思ったんだよ。久しぶりだね!元気だった?』

仕事終わりだろうか、パンツスーツに身を包んだ彼女はにっこりと俺に笑いかける。目の上で光っているアイシャドウと唇にのせている赤がより彼女を美しく見せた。

中学の頃から彼女に寄せていた片思いが実ったのは高校になってからだった。顔を真っ赤に染めた彼女を目を瞑れば今でも脳裏に思い浮かべることができる。おそらく自分もまったく同じ顔をしていただろう。
マフィアとは無関係の彼女にそのことを伝えることはできなかった。隠している罪悪感。結局高校卒業と共にマフィアのことを伝え、イタリアに行くことを伝え、それでおしまい。今そのときの彼女の顔を思い出してもやるせなさを感じる。

「うん、元気だよ。ほんと久しぶり。納豆ちゃんは…仕事帰り?」

『うん、仕事帰り。夕飯の買い物して今から家に帰るところ。綱吉くんはどうしてこんなところに?』

「休暇中なんだ。それで日本に。久しぶりに帰っておこうかと思って。」

『へえ、お休み中なんだ。そんなタイミングで会えるのすっごい偶然だね!いつまで日本にいるの?』

「一週間はこっちにいる予定だよ。」

『そうなんだ、お休み楽しんでね。』

会話が途切れて彼女がそれじゃあ、と踵を返そうとするのを慌てて引き止める。彼女に会えた偶然をこんなに簡単に手放すのはどうしても嫌だった。

「あの、さ、よかったら、ご飯でも、」

彼女は苦笑いしながら片手に持っていたスーパーの袋を持ち上げてみせた。

『ごめんね。食材買っちゃってて、』

「そ、そうだよね!ごめん!変なこと言って…」

とっさにご飯に誘ってしまってしかも断られてしまって内心焦る。そりゃあ夕飯の買い物して今から帰るって言ってたもんな。これ以上彼女を引き止められる気の利いた台詞が思い浮かばなくてため息をこぼす。

『あの、もし、綱吉くんが嫌じゃなかったらーーー…』

暗くて彼女の表情まではわからないけれど、むずむずと唇を動かしているのはわかった。そして彼女は言いづらそうにひとつの提案をして、俺はそれに首肯する。


ーーー


『ごめんね、散らかってるかも。』

どうぞあがって、彼女に促されるまま玄関に入る。心臓がドキドキと音をたてる。まさか、彼女の方から家に来ないかと誘ってもらえるなんて。緊張と一種の期待のようなもので全身が震えた。
入った部屋は殺風景で、物が少なく散らかっているなんてことはなかった。

『ご飯つくるから綱吉くんは座ってて。』

「ううん、俺も手伝うよ。」

『でもせっかくのお休みだし私が誘ったようなものだし。それに本当に簡単なものしかつくれないから。』

大丈夫だよ、と言う彼女に折れて俺はリビングで待つことにした。カーペットの上に座って悪いと思いながらも部屋を見回す。カウンターテーブルの上には俺の知らない納豆ちゃんの写真が数枚飾られていた。おそらく大学生のときに撮ったであろう写真の中の彼女はすでに髪が短くなっていた。彼女の隣で同じ時間を過ごせなかったことをずっと後悔していた。だけど笑顔の写真を見て少し安堵した。そして自分の中で葛藤する。やっぱり彼女が好きで、中学の頃の初恋がまだ自分の中にあることを今日偶然にも出会ってしまったことで再確認してしまった。この機会を逃したらおそらくもう偶然出会うことはないだろう。だけれども一般人の彼女を裏社会で生きている俺が手を出すなんてーーー…

『綱吉くん?どうかした?』

「や、別に、なんでもないんだ。」

『お待たせ。ご飯できたけど、疲れてる?』

「ううん!全然!うわあ!うまそう!」

『お口に合えばいいんだけど…。あ、ビールしかないけどいいかな?飲める?』

両手にビール缶を持った彼女が俺に聞く。頷いた俺を見て片方のビールが手渡される。お礼を言って受け取りタブに指をかける。小さな音をたてて缶が開いた。乾杯と言って納豆ちゃんの持つ缶に自分の缶をあてた。ビール飲むんだな、と目の前で缶に口をつけている彼女を見て思った。高校時代の彼女までしか知らないからかその光景は少し違和感がある。

「納豆ちゃんがお酒飲んでるの見るとちょっと違和感あるよ。」

『私だって大人なんだから飲むよ。…ふふ、でもちょっとわかるかも。私も綱吉くんがお酒飲んでるの見ると変な感じする。それだけ歳とったんだから変化があって当然なんだけどね。ねえ、イタリアで綱吉くんがどんな生活してたのか教えてほしい。』

彼女の言葉に首肯して過去に思いを馳せる。彼女と別れてからのことをすべて伝えるように、事細かに話していった。
話終わる頃には彼女のつくってくれた料理はほとんどなくなり、変わりにビールの空き缶が机の上に増えていった。納豆ちゃんは顔が赤くなっていてあきらかに飲みすぎだとわかった。目をこすっているのを見ると眠いのだろう。

「納豆ちゃん、眠いんじゃない?」

『んん、ねむくないよ…』

「目とじちゃってるよ?」

『だって綱吉くん、帰っちゃうでしょ…?行かないで、ほしい。』

心臓にグサリときた。彼女の指が控えめに俺のシャツの裾をつかむ。このまま彼女を腕の中にとじこめてしまいたい欲求と自分の中に残っているわずかな理性がせめぎ合う。

「納豆、ちゃん、おれ、」

『ずっと、高校のときからずっと、綱吉くんのことが好きだよ。忘れられないの、』

その言葉と彼女の潤んだ瞳で最後の理性までもなくなってしまった。肩を掴んで自分の腕の中にとじこめる。とれてしまった赤い唇に自分の唇を押しあてる。

「俺もずっと納豆ちゃんのことが好き。」

そう耳元でささやけば彼女の瞳から涙が溢れた。
本当に嬉しいとき、言葉よりも涙が出るのだと知った。


時間はためらってくれない


title//ユリ柩
2023*03*19

診断メーカー・こんなお話いかがですか より
「聞き覚えのある声が聞こえた気がした」ではじまり
「本当に嬉しいとき、言葉よりも涙が出るのだと知った」で終わるお話

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