4.にどめまして

この家に鶴見中尉に通じている兵士……おそらく谷垣……がいるはずだ。
そうアタリをつけた尾形百之助と二階堂浩平は、フチの家の敷居をまたいだ。
中には老婆と、孫と思しき幼い子どもがひとり。

不都合なことに老婆はアイヌ語しかしゃべらないようだった。子どもに事情を訊くと、要領は得ないが、一人の和人が世話になっていることはわかった。
「ばあちゃん、悪いけど中で待たせてもらうよ。」


「フチ、ただいま帰りました。」

ふと、女の明るい声と、服から雪を払う音が表からする。
囲炉裏端に座る尾形とフチの肩を揉む二階堂に、軽く緊張が走る。

「シンナキサラ!」
オソマが迎えに出ると、今朝初めて外を歩くことができた谷垣が早々に戻っているのか、とコタンに残り谷垣の治療を続けていたnameは思ったが、不穏な気配を感じて訝しげな顔をした。部屋の入り口に軍靴が二足、並んでいるのだ。
大体、オソマは谷垣のことを今更「シンナキサラ」とは呼ばない。
「谷垣ニシパ」と呼んでよく懐いているはずだ。

嫌な予感がしたnameは獲物のエゾリスを外に置くと、急いでチセの中に入った。靴を脱いで部屋に上がると、二人の軍人がいることを認め、内心息を飲んだ。
一人は歩兵銃を抱えて囲炉裏で手を炙り、一人はフチの肩を揉んでいる。明らかに、異様だ。
nameの手が、さわっ、と腰に差したマキリの位置を確認した。

「軍人さんが、どうかなさいましたか?」

nameの硬質な声が招かれざる客に降り注ぐ。

「怪我をした兵士がこの家で世話になっていると聞いてな。待たせてもらっている。」

そう尾形が説明すると、nameの嫌な予感はますます増していく。フチの肩をぐっ、ぐっ、と揉む男の手が、心なしか強くなるのを見て、nameは人質を取られたこと、銃を獲物と共に家の外に置いてしまったことに歯噛みする。小銃は抑制力になるからだ。
しかし屋内ならマキリやタシロのほうが小回りが利いて動きやすいかもしれない。
軍人の装備が、囲炉裏の男の抱えている小銃だけとは到底思えないが、いざとなれば……そう、いざとなれば。

「この家に滞在しているのは谷垣さんという方です。今は外に出ていますが、獣用の毒矢の仕掛け弓にかかってしまったのでこのコタンで治療をしていました。今日は怪我の治り具合を見るだけなので、すぐに戻ります。」
ここで嘘をついても仕方がないので、事実をのみ述べて、部屋の入り口に近いところに座る。外に置いたリスをなるべく新鮮なうちに捌きたかったが、この状況では仕方がない。
「そうか、世話になっているのは谷垣源次郎一等卒か。そんなに警戒しなくても、取って食いやしねえ。俺たちの用があるのは、あくまで谷垣だ。」

尾形は内心、驚いていた。
不死身の杉元に不覚をとった自分を川から引き上げ、手当てをした女が目の前に現れたのだ。
あのときの意識はおぼろげだったが、焚火に照らされた女の顔が場違いなほど美しかったことをよく覚えている。

「ところであんた、前に川に流された兵士を助けなかったか。」
唐突に尾形が問いかけた。

虚をつかれたnameは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。
「え、ええ、はい。」

「あれは俺だ。にどめましてだな。谷垣共々、世話になった。」
尾形がニヤリと笑いながら言う。

確かにあの時の和人は顎が割れてパンパンに腫れていて人相が分からなかったが、この男だったか。そう言われてみれば、顔に縫合痕が残っている。

「それは、回復されて何よりです。」
「礼がしたい。何か欲しいものはないか。」
nameは顔を引き締めて、「いえ、お元気になられたことが一番ですから。」と言う。
「そう言うな、名は何というんだ?」尾形が畳み掛ける。
二階堂はそれこそ内心意外に思っていた。尾形上等兵が他人に執着する様を見せることなどついぞなかったからである。
「nameと申します。でも本当に、お気遣いはけっこうです。」


そこへ谷垣の声が降ってきた。「おばあちゃん、ただいま。」
オソマが迎えに出て、「シンナキサラ!」と来客を告げるが、谷垣は杉元が帰ってきたのかと気にも留めず、雪を払い落としている。

谷垣が部屋に入ると、またしても空気がピリ、と張り詰める。

「谷垣源次郎一等卒……。」
尾形の、低い声が響いた。




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