15.傷痕えぐる声


土方の拠点では、これまでは基本的に自分のことは自分で、というやり方であったが、怪我をしたnameと家永が転がり込んだことにより自炊や洗濯が始まり、尾形も加わって大所帯となったため、目立つ牛山や怪我の癒えない家永、脱走兵の尾形の代わりに、自然とnameによる日々の買い出しが習慣化していた。

nameは夫が亡くなって小樽からコタンに戻って3年、離縁した元婚家との関係がよくなかったこともあり、一度も小樽には下りなかった。
今でも小樽の街中を歩くことに抵抗があったが、これもいつまでもぐずぐずと決着をつけずに生きていくことも出来まい、と、半ば諦め、半ば開き直って出歩いていた。


その日nameは珍しく乱れた足音で帰ってきて、裏口の扉をぴしゃりと閉めると、荷物を降ろして水甕に直行した。
湯呑に水を汲んで音を立てて飲み下すと、nameはその場にしゃがみ込んでしまう。

「どうした?」
nameの気配に気づいて台所に入ってきた尾形が訊く。カラン、と下駄の音がして、尾形が土間に降りてきたことがわかる。
尾形がしゃがみ込んでいるnameの肩に手を置くと、nameの体がびくっと跳ねる。

「だいじょうぶ、なんでもないよ。」
身をひるがえしたnameは土間を抜けて上の部屋にあがろうとするが、ふと立ち眩みがしてよろけたところを尾形が抱き留める。
「だいじょうぶって顔色じゃねえだろ。なにがあった、言ってみろ。」

nameは息を整えると、尾形に縋りながら、道すがら我慢していた涙をボロボロとこぼす。
「元、婚家のお義母さまに会って……。」
「(元婚家?コイツ結婚してたのか。)」
nameは途切れ途切れに話し始めた。


nameが買い物を済ませて街を歩いていると、すれ違った人力車から声がかかる。
「name3さん?」

聞き覚えのある声にnameは弾かれたように振り返る。
「お義母さま……。」
人力車に乗っていた婦人は、nameが小樽に嫁いでいたときの、義母であった。

「name3さん、小樽に戻ってらしたのね。アイヌの勇ましい服が似合うこと。」
「ハイ……ご無沙汰しております。」
「そうよ、ちっともname2の家に顔を出さないんですもの、あの子も悲しむわ。今度いらっしゃい、お仏壇に手を合わせてあげてくださいな。」
「はい、ありがとうございます……。」
name2の義母の声に、nameの声が不釣り合いに小さくなっていく。

「あら……指輪、まだ外してらっしゃらないのね。あなたはもうname2の嫁ではありません。いいかげん自由に生きてくださいな。」

婦人の声に険が混じる。

nameは「……はい。」と言いながら、左手の指輪を隠すように荷物を持ち替え、深く一礼して立ち去った。

たった数分の出来事だった。


それだけを涙と共に口から落ちるように話し終えると、nameは尾形に縋ったまま、ごめん、ごめんね……と、謝罪を乞う。


「俺は事情は知らねえが、」茨戸の前の土方の面接のとき、まだいなかった尾形が口を開く。
「それは誰に対してだ?」

nameはゆっくり顔をあげると、こぼれそうに涙のたまった目尻を歪ませる。尾形がnameの頬を包み込むと、また一筋涙が落ち、尾形の手をぬらした。夕陽が二人の横から差し込み、涙がてらてらと光っている。
尾形は頬に手を添えたまま、ぬれた手をべろりと舐め、一瞬躊躇したのち、nameに接吻した。

尾形がnameの顔から離れて見ると、nameはすがめていた目を大きく見開いていた。まだ涙はまんまんとたたえられている。ふたりとも無言でいて、nameがまばたきするとまた大粒の涙が落ちた。

「泣きたくなったら俺に言え。」尾形が薄暗くなりかけている台所でnameを掻き抱く。
「うん……ありがとう。」nameはゆっくりと答え、するりと尾形の腕を抜けると、土間から上がって姿を消した。


その晩、結局nameではなく尾形の用意した夕食の席にnameは現れず、与えられた部屋にこもっているようであった。牛山と家永はいぶかったが、土方と永倉はいつも通り無駄口はたたかずに飯を済ませ、尾形も何も言わなかった。


次の日の朝の台所にnameは姿を見せ、表向きは普段通りの生活に戻ったが、nameは少しずつ小樽での暮らしに疲弊していった。




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