dishs and books 6
その夜、nameは仕事を持ち帰ってきていた。
いつもならば仕事は仕事、プライベートはプライベートときっちり分ける主義であるが、
いかんせん小さな会社のことである。
急な案件のヘルプにかかったせいで自分の仕事のノルマが達成できなかったのだ。
いま訳しているのは、先日例の殺人犯が読んでいた漫画である。
自分主体のプロジェクトが本格的に始まった今、遅らせるわけにはいかなかった。
風呂に入り、髪もろくろく乾かさずにまとめ上げ、
部屋着で椅子に片膝を立てて、とにかくひたすら文字を追う。
ジャポン語と共通文字は文法が同じなので、ジャポン語にさえ精通していれば
あとはひたすら単純作業だ。
ゆえに、「ジャポンのコミック」自体はマイナーだが、「共通語に訳されたジャポンのコミック」はそれなりに競合他社がある。正確性はもちろん、スピードも大切なのだ。
nameはジャポン出身でこそないが、
両親がジャポンかぶれだったもので半ば強制的に留学させられ、
そのことを不満に思った時期もあったが、
結果こういう仕事についているので人生とはわからない。
ふいに、ベランダ側の窓からコンコン、という音がした気がした。
コンコン。
また。
いやな予感がしつつカーテンを開けると、鼻先30cmに白い能面が闇に浮いている。
一瞬のち、それがくだんの殺人犯の顔であると理解した。
(ヒッ!)(どっちも怖いわ!)
と内心悲鳴をあげつつ、よく見れば黒髪黒服が闇に溶けているだけで、手も足も付いている。
今日はえのきだけが生えていないのだなあと現実逃避しつつ腰を抜かしかけたnameがほうけていると、殺人犯はまたもや窓をコンコン、とノックする。
nameは慌てて窓を開けた。
「こ、こんばん「や。こないだの、できてる?」
片手を上げて食い気味に挨拶した彼は、部屋に上がり込みながら早速本題に入る。
(来るって言ってたけど、来るって言ってたけど!ほんとに来たよこの人!!)
「靴……。」
nameはポツリともらした。
殺人犯はまたもや首をコテンとかしげる。
「くつ、ぬいでください、いえのなか、なので、っ……!」
涙目になり、顔を真っ赤にして、声を震わせながらnameは言い切った。
「ああ、靴ね。ごめんごめん。ハイ脱いだよ。」
殺人犯はあっさりと靴を脱ぎ、ベランダに置いた。
(今日も窓から飛び降りるつもりなんだろうか……)
先ほど振り絞った勇気は何処へやら、nameは唖然としながら彼の挙動を追う。
屈んで靴を置く殺人犯の髪がまたサラリと流れる。
靴を置いた殺人犯は両の掌を差し出して、
「はい、こないだのコミック。」
とのたまう。
髪にまたもや見とれていたnameはハッとして、
「えええええええと!途中までしかできてないんですけど、しかもまだ原稿なので手書きなんですけど……。」
と報告する。
(そういえば前回、「次までに完成させておいてね。」なんて言ってた気がする……もしかしてわたし死ぬ?!)
「それでいいから、見せて。」
(死ななかった!!!)
テーブルに散らかった原稿に目をやると、
すいっと顔を寄せられる。目の前をさらりと流れた黒髪に思わず鼓動が跳ねた。
「ねえ。」
nameはハッと気を取り直し、今まさに作業していた、
拡大コピーされた漫画の脇の、手書きの共通文字を示す。
「こんなのしかないんですが!ええと……あなた、大丈夫そうですか?」
動揺を隠すように語気を強めつつ、後半はしりすぼみである。
nameの字はお世辞にもきれいとはいいがたい。
「イルミ。」
「……はあ。」
突然の聞きなれない返事に間の抜けた返事を返してしまう。
嗚呼、きっと今のわたし、最高に間抜けな顔だ。
「あなたじゃなくて、イルミ=ゾルディック。俺の名前。」
ほう、殺人犯が名前を明かすとはめずらしいのでは……と感心しつつ、
さらに感心する余裕がある自分に感心しつつ、
「あ、nameです!よろしくお願いします!」
頓珍漢な返事をしていることに彼女は気づいていない。
イルミは
「それで?最初から読みたいんだけど?」
と、スルー。そして幾度目かの催促。
そんなに読みたいのか。K原I教授先生の名作中の名作だけどさ……
nameは訳せた分だけまとめて、イルミをソファに座らせ、コーヒーテーブルに原稿を広げる。
「イルミさん、こちらが最初のページで、見開きになっています。
わたしはあちらで作業してますので、何かあったら呼んでください。」
nameは背後でパラリ、パラリとめくられる紙の音を聞きながら仕事に戻った。
(超部屋着ということに彼女はまだ気づいていない)
(もちろんノーブラ……)
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