救いの香り




何かがおかしい。


ヴァリアーの談話室の扉を開ければ、普段はブーブー文句しか言わないカエルは、オカマと茶飲み友達にでもなったのかと思うくらい、いつものように二人して優雅に茶を啜っている。少し離れた所では、暇だ暇だと言う割に、仕事は人に押しつける憎たらしい堕王子が手持無沙汰にお得意のナイフでジャグリングをしている。扉を開けた瞬間に、2、3本それが飛んでくるのはいつもの事だ。そして、部屋の隅の窓際では、何でわざわざ此処に居るのかも分からない変態がただジッとそこに佇んでいる。腕を組んで目を瞑り、本人は格好付けているのかなんなのか知らないが、部屋でやれ。と、いつも思う。

何かがおかしい。
いや、これらの光景はいつもの事なので、何一つおかしい事ではない。
カエルやら、奇抜なオカマやら、暗殺集団がどこぞのサーカスのピエロ集団に見えなくもないが、これらは認めたくは無えが、ここヴァリアーでは普段通りの事だ。
では、何がおかしいのかと言えば、ヴァリアーで俺以外では一番まともな人物が何処にも見当たらない事だ。


「あら〜ん、スクアーロ。一体誰を探しているのかしら?」


「ストーカーは嫌われますよー?」


「誰がストーカーだぁ!」


カエル頭に鉄槌を下し、オカマにギロリと視線を向ける。
そんな俺を見て、ルッスーリアは手にしていたカップをソーサーへと戻し、頬に手を添え小さく息を付いた。もどかしいその仕草にイライラしつつ、言いたい事があるなら早く言えと睨みつける視線を強くすれば、オカマはクネリと身体をくねらせ漸く口を開いた。


「それが、ここ数日誰もなまえの姿を見ていないのよねぇ。携帯に連絡してみても、電源がずっと切れたままなのよ。一体、どうしちゃったのかしら〜?」


「はぁ゙!?なまえが何処に居るか誰も知らねぇのかぁ!?」


「まあ、そういう事になりますねー。」


心の中で盛大に叫んだ。「ゔお゙ぉ゙ぉおおお゙お゙い゙ッ!」と。
何を暢気に茶なんて啜っていやがるのだ、こいつ等は。つい最近、なまえは味合わなくてもいいような思いをしたと言うのに。姿が見えないのをそのままにするとか本当にありえねぇ゙。万が一にも、ヴァリアーを狙うアホ共に誘拐されたりだとか、最悪な事態もゼロとは言えないにも関わらず。人はあっけに取られると本当に言葉が出ないなんて事があるのだと初めて知った。俺とは無関係だと思っていたが。


「……ゔぉい、フラン。まさかと思うが不審者が出入りしたとか無いだろうなぁ?」


「まさかー。そんな事あるわけないじゃないですかー。」


ここヴァリアーには、目には見えない結界みたいなものが張られている。
それは、フランの管理下の元、数人の幻術師によって行われている。怪しい奴の出入りがあった際、その侵入を一早く察知して、泳がせるなり捕獲なりする為だ。


「……そうかぁ゙。」


「ただー、“不審者”では無く“部外者”の出入りはありましたけどー。」


「はぁ゙!?」


「えーと、誰でしたっけー?チェ、チェー、チェリー?」


「……チェデフかぁ?」


「あぁ。それですねー。そのオッサンとかでー。」


チェデフのオッサンで真っ先に頭に思い浮かべるのは家光。家光が来る事は、最近では珍しいが、チェデフがヴァリアーへ来るのは特段珍しい事ではない。ボンゴレの中でも異端児のヴァリアーは門外顧問にとっては目の上のコブなのだ。これ以上の情報はここでは手に入りそうにもないし、なまえの安否も気になる俺は、そろそろこの場を離れようと踵を返そうとした。その時、フランが何かを思い出したように、「あ。」と、いつもよりも腑抜けた声をあげた。


「そういえばー、なまえさんとそのオッサン、一緒に出て行ったみたいですよー。すっかり忘れていましたー。」


「ゔお゙ぉい!何でそれを先に言わねぇんだぁ゙!」


「だってー、特に聞かれた訳では無いですしー……ゲロッ!」


フランに再び鉄槌を下し、文句を垂れるカエルと五月蝿いオカマは無視して談話室を乱暴に後にする。
どうやらなまえの安否は大丈夫そうだが、家光と。と、言うのが少しばかり気に入らない。足早に廊下を歩きながら少し考え、行き先を決めた俺は、迷う事無くボンゴレ本部へと向かった。









ボンゴレに来たのは他でも無い。
チェデフで何かしていようが、ボンゴレで大体の事は把握できると踏んだからだ。
それに、普段はファミリーに属さないチェデフへ態々足を踏み入れるのも億劫なのだ。

それと、ここへ来た理由はもう一つ。


「やあ。そろそろ来る頃じゃないかと思っていたよ。」


咽返る程の甘ったるい花の香りに包まれてロッキングチェアに揺られた爺が、相も変わらずこの甘ったるい空気に溶け込みそうな笑みを俺に向ける。
向けられた笑みに対して返す器量など持ち合わせて居ない俺は、ぶっきらぼうに質問を投げつけた。


「…なまえが、何処行ったか知ら無えかぁ?」


「あぁ。なまえならバカンスへ行ったと、家光が言っていたよ。」


「はぁ゙?バカンスだぁ?」


眉を寄せた俺を、9代目は向かいの席へと促した。
以前来た時と同様、来客が来る事が分かっていたように、湯気の立つカップを俺の前へ差し出した。


「用事はそれだけかい?」


笑みを浮かべたままの9代目を怪訝に見返す。何もかもお見通しの癖に、相変わらずいけ好かねぇ爺だ。


「前に聞きそびれた話を聞こうと思ってなぁ。何だか今聞いておいた方がいい気がしたんだぁ。」


「……そうかい。賢明な判断だね。」


そう言って、9代目の周りを覆う柔らかい雰囲気に少し陰が差したように思う。
ゆっくりと再び揺れ始めたロッキングチェアのその様に、絵物語にでも出て来るようなそんな情景を思い浮かべつつ、爺の昔話に耳を傾けた。


「私がなまえに出会ったのは、そうだね。日本では丁度桜が咲き誇る、気持ちのいい季節の事だったよ…」






―――ある春の日の事だ。

同盟ファミリーとの会合の帰り道、いつものように車の後部座席から流れる風景に目をやっていた。
そんな私の目に、一人の東洋人の姿が目に映った。こんなイタリアの僻地に東洋人など珍しいと、最初は見間違いかとも思ったが、こう見えても私は案外、目が良くてね。
おおよそ旅行者が訪れる土地では無いし、外国人が移住してくるような土地でも無い。
そう考えると、途端に興味が沸いて、私は車を止めさせて声を掛けたんだ。
物好きだと思うかい?まあ、大抵の老人は物好きなものだよ。


「やあ、お嬢さん。こんな所で何をしているんだい?」


私は取り敢えず、日本語で話し掛けてみた。直感から日本人だと感じたからだ。
すると、目の前の女性は目を白黒させて、驚いたようにこう言ったよ。


『……驚いた。日本語がお上手なのですね。』


それがなまえとの出会いだ。
そのまま私は、暫く当り障りの無い話をした。その会話から、なまえは日本から遊びに来ている旅行者だと言う事が分かった。しかも一人旅と言う事で、なんとも逞しい女性だなと思ったよ。しかし、その反面、隠れ潜む陰を持っていて、私はどうにも彼女の事が気になってしまったんだ。
この付近には旅行者が滞在するようなホテルは無いし、ましてや観光するような場所も無い。むしろ治安は良いとは言えないような場所なので、改めて何故彼女が此処にいるのか気掛かりになった。


「そうだ、お譲さん。帰りはどうするんだい?よろしかったら送ってさしあげよう。」


『いえ。もう少しこの景色を見てから…。それにもう直ぐ、ガイドさんも迎えに来てくれますから。』


「…そうかい。楽しい時間をもう少し過ごしたかったんだが、残念だ。貴重な時間をありがとう。」


『こちらこそ。グラーツィエ。』


無理強いも出来無くて、手を振って別れた。彼女の纏う空気とは裏腹に、別れ際のなまえはとても笑顔だった。
その笑顔に少しだけ安堵して、私は車へと戻った。
再び後部座席に乗り込む前に、もう一度彼女に挨拶をしようと振り返ると、もう其処になまえの姿は無かった。
一瞬、私は何が起きたのか理解出来なかった。私が彼女から視線を逸らした時間は、この見通しのいい場所で私の視界から完全に消えてしまえる程長くは無かったからね。
果たして、私が今まで話をしていた女性は、本当に実在する人物だったのか。そう思ってしまう程に不可能で不可思議な事だ。日本では「キツネにつままれる」とでも言うのかな。しかし、ポカンとする前に、私はとんでもない事態が起こったのだと感づいた。何故もっと早く気が付けなかったのかと今でも思うよ。


「ッ、コヨーテ!」


私が叫ぶのとほぼ同時に、コヨーテが駆け出した。
長年連れ添っているコヨーテは、全てを言わずともその全てを察し、素早く行動に移してくれた。彼の迅速な対応が無ければと思うとゾッとするよ。
画して、一瞬後にコヨーテも私の前から姿を消した。
少しして、「バシャンッ!」と、水しぶきの上がる音がして、私は二人の無事をただ祈った。
なぜなら、私の視線の先は、この時ばかりは邪悪に見える、青く広がる海だったからね。

そう、私となまえが居た道の柵の向こう側は、崖だったんだ。







そこまで語り、9代目は暫く口を閉ざした。
きっと、その時の事を鮮明に思い出してしまったのだろう、彼の眉間には珍しく皺がよっていた。俺はと言えば、ゴクリと喉を鳴らす事しか出来なかった。
ただただ、信じられないといった反応しか取れない。
あのなまえが?死のうとしたとでも言うのか?馬鹿を言うにも程がある。
しかし、目の前の爺が嘘を付くような輩では無い事も重々承知だ。
聞きたい事は山ほどあるのに、どうにも口を開く気にならなくて、無音の時間が過ぎて行く。
話の内容とは正反対の咽返るような甘ったるい花の香りが、今では少しの救いだった。



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