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『んっ…』


目を覚ますと、ふかふかのベッドの上。でもそれは、見慣れない場所だった。
横向きの背中に温もりを感じて不思議に思い振り返ると、紅い瞳とかち合った。


『ぅ…うわあぁあっ!?』


「っせぇ。まだ寝てろ。」


慌てて身体を起こそうとすれば、それを阻止される。


『こっ…こっこっここは!?』


別にニワトリになった訳ではない。焦り過ぎて、上手く舌が回らない。
必死にボスに尋ねる私に、彼は五月蝿いと言わんばかりに眉間に皺を寄せた。


「ヴァリアーの俺の部屋だ。」


そう聞いて、再び身体を起こそうとして、ボスにまた睨まれる。


『なんで、こんな事に…。』


ヴァリアーに無事に帰れた事への安心感よりも、なぜボスの部屋でボスのベッドでボスと一緒に寝ているのか!するとボスが、再び眠りにつく事を諦めたのか、上半身を起こしたので、私もそれに続く。身体はまだ痛むが、いつの間に治療が済んだのか、私の身体は包帯でしっかりと固定されていた。
ボスに、グイッ!と差し出されたミネラルウォーターのボトルを、恐縮しながら受け取る。
コクリと一口飲み干せば、冷たい感覚が、食道を流れて行くのが分かった。

先程よりも落ち着きを取り戻して行き、真っ直ぐにボスの瞳を見つめる。


変わらない紅い瞳。その色は何を見ているのだろう?
貴方のその瞳から見える私は、一体いつの私?


『ボス…私の事、覚えてるの?』


あの時、飲みこんだ言葉を口にすると、緊張からか声が震えた。返事を聞きたいけど、自分が期待している言葉を本当に貰えるのだろうかと不安になる。目の前にある紅い瞳に映る自分の姿は、少し情けない表情をしているように見えた。
呼吸もままならない程に、ボスの返事を待ちわびていると、ゆっくりと彼の唇が動き始める。


「あぁ。」


私を見つめ続けていた視線を逸らし、ポツリとそれでもしっかりと耳に響く音が彼の口から紡ぎだされた。それと同時に胸が高鳴る。本当に…本当に覚えていてくれたの?


『でも、ボス、私の事誰だ?って、聞いたじゃない…。』


ベッドから起き上がるボスの背中に問い掛ける。彼は無言のまま、起きた時にと用意されていたのか、軽食が並んでいるワゴンに手を伸ばしていた。
沈黙が流れる。それが何を意味するのか私には全く分からない。


ドクン…ドクン…ドクンッ……


心臓の音だけがやけに耳によく響く。俯きがちにボスの返事を待ちわびるがこのままでは私の心臓がその苦しさのあまりに、音を上げそうだ。

……やっぱり、覚えていないのかな。ボス寝起きだし、適当に相槌を打っただけかもしれない。
期待に満ちていた私の心にどんよりと雲が広がって行く。


「おい。」


『え?』


ネガティブな思考に支配されつつある私の頭の上からボスの声が降ってきて、慌てて顔を上げる。
ボスは手に小さなパンを持っていて、それを私に突き出した。
なんだろう、取り敢えず食べろって事かな?でも、とても何か食べられるような心境ではないのだけれど。それでも、ボスから差し出されたパンを受け取らないだなんて事ある訳が無い。


『ありがとうございます。』


パンを受け取り、一口だけでも食べようと口へと近付ける。するとボスが、「違ぇ。」と私の手からパンを奪い取った。一体何がしたいのだろうと、ぼんやり彼を見つめていると、再び手にしたそれをボスは半分に引き千切り私の口へ押し込んだ。



パンの味なんてまともに分からなかった。
けれど、自分の涙のせいか、しょっぱさしか感じないこの味を、私はこの先ずっと忘れる事は無いと思う。


「…忘れていたのは、テメェだろ。」


残りの半分のパンを口に入れながらボスが言う。


『忘れていないからここまで来たんだよ。忘れていたのはザンくんの方だ。』


覚えていてくれた事への嬉しさから、口調が自然と昔のように戻って行く。
実際、忘れていようが、思い出してくれたのなら今はなんだっていいのだ。
同じ約束を共有し、それが叶った事を喜び合えるなら、もうなんだっていい。


「忘れてねえ。」


『嘘。誰だ?って聞いてきたくせに!』


「お前が忘れていたからだ。」


『だから、忘れてなんか………じゃあ、最初から分かってたの?』


「あぁ。」


『幹部候補になってから?』


「入隊した時からお前だと気付いていた。それより前も、テメェは俺の目の届く所に居たからな。」


今日は、涙腺が弛みっぱなしで困る。ようやく止まりかけていた涙はまた何処からともなく溢れ出てくる。私が忘れていると思ったから言い出せなかった?二人して、お互いの様子を伺って何も言い出せなかっただけ?1年以上もの間、私達は一体何をやっていたのだろう。
そう思うと、おかしくなってきて笑いが込み上げてくる。それでも、涙は止まらなくって、泣いたり笑ったり、今の自分の顔がどうなっているかだなんて想像がつかない。


「忙しい奴だ。」


呆れたように言いながら、私の目元を大きな手が拭う。
何度触れてもその温もりは私の胸を躍らせて、沢山の喜びをくれる。
いつものボスからは想像つかない程、涙を拭うその手の動きが優しくて、くすぐったくて、クスクスと笑みを零していると、それを塞ぐように、ボスの唇が押しつけられた。
一瞬にして何もかもが驚きで止まってしまう。そんな私の様子を紅い瞳がジッと捕えた。



「約束は守ってやる。」


『私の事、守ってくれるの?』


「あぁ。俺の目の届く所にずっと居ろ。」


『……それって、』


私にしゃべらせないようにか、再び唇に感じる柔らかい感触。頬に添えられた大きな手。
触れられた場所から、どんどんと熱を帯びて来て、身体全体が熱い。


「嫌か?」


低い声が耳元でして、身体がビクンッと跳ねた。
嫌なわけがない。そんな事、天と地がひっくり返ったってあるわけが無い。

………約束を叶えたその後の事。
何も考えてないだなんて言いながら、実際にはこうなる事を切に願っていた。
でなきゃ、小さな頃の約束一つでこんな所にまでやって来ない。
幼い頃から私は、自分ではハッキリ気が付かない内に、この紅い瞳に恋をしていたのだ。


『ザンくん…。』


「その呼び方はもう止めろ。」


『……ボス?』


「…………。」


『……ザンザス。』


「なまえ。」


ここへ来て、初めて彼に名前で呼ばれた。少しの曇りも無く、真っ直ぐに私を見つめて来る瞳に、もう迷いや悩みなんて必要無い。信じられない事だけれど、信じられないだなんて、この紅い瞳を見て言える訳が無いのだ。
溢れだす涙を、じゅっと吸い取られ、再び口付を交わす。
この、しょっぱいキスの味も、私はこの先、一生忘れる事は無いだろう。
写真のように後に残らない大切な物が増えて行く。
それでも、一番の大切な宝物は、これからは、いつも私の側にある。



『約束を守り続けるって、約束するよ…。』











新たな約束を交わし、これからも二人はずっとそれを守り続けていく。
幼い頃のあの日から、そうしてきた二人にはそれは全く困難な物では無い。







fin.





























「ししっ。一体何なのアレ?」

「人が働いている間にいい気なものだね。まあ、僕は報酬が貰えたらなんだっていいけどさ。」

「ボスが動いたのは愛だったのね〜!」

「後でなまえでも問い詰めてみるかぁ゙。」


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