傷口に触れてはいけない


 これ以上寄り道はせず家路を急ぐつもりであった予定が変更したのは幻影旅団の男のせいである。きっとあいつがクモの頭なんだろう。追跡されている気配はないが念のため街をあちこち立ち寄って遠回りすることにした。そのせいで会いたくない男ベスト3に入る男から呼び出される事になるとは思いもしなかったのだ。

 ホテルのベットの上に倒れ込み、さあ寝ようと安堵しきっていた時ベットサイドテーブル上の受話器が鳴った。こんな夜更けに誰だ、フロントに何か忘れ物でもしたのだろうか。手だけ伸ばして受話器を取ると『今下にいるから』と感情がこもっていない短い声が聞こえたかと思えば既に切られていた。全く昔から自己中心的な男だ。彼にこのホテルに滞在していることは話していない、連絡すらとってない。彼の連絡先も確かだいぶ前に消してしまったからだ。しかしここで無視するほうが後々面倒なことは身をもって知っているので仕方なくローブを脱いで服を纏った。

「や。なにそのひどい顔」

 誰のせいだよと舌を鳴らしそうになったがなんとか推し止まった。部屋の扉を開けた先で既にイルミは待ち構えていたのだ。

「ロビーで待ってるんじゃなかったの?」
「待つとは言ってない。入れてよ」

 なら最初から部屋に行くと言えば良かったはずだ。周りくどいやり取りに何か意味がありそうだがその理由を考える隙を与えないようにイルミは扉の端を掴んで部屋に押し入ってきた。彼はセミダブルのベットに腰を下ろして無駄に長い足をクロスさせる。仕事帰りだろうか、相変わらず奇怪的な服を着ている。昔はよく服を揶揄って彼を不機嫌にさせていたが今ではそのファッションセンスでさえ尊敬に値すると思っている、そのテイストやスタイルが似合っているし、ファッションは似合う似合わないじゃない、何を着たいかと思うかが大事だからだ。他人が真似できないような独特な感性を持ち合わせそれにぴったりと彼はハマっているのだ。顎を押さえながら勝手にイルミの服の考察をしていた私を彼は黙って見つめていたがとうとう口を開いた。

「そろそろ俺と結婚してほしいんだけど」
「……は?」

 幻聴のようにも聞こえた単語にすっとんきょな声を出してしまった。こいつ何言ってやがる、頭大丈夫かと危うく罵倒しかけたが、昔キキョウさんが「ナマエちゃんとイルミが結婚してくれたらいいのに」と恐ろしい発言をしたことを思い出しては口の中で薬を溶かしてしまったような苦い感覚が広がった。

「本気?もっと良い人がいるでしょ?私殺し屋でもなんでもないんだけど」
「素質はあるよ」
「そういう問題じゃない。どうせ親が煩いからって理由でしょ?嫌だね、願い下げ」
「跡継ぎ産んでくれさえすれば苦労はさせないし、他に男作るなりなんなり好きにしなよ」

 とんでもない発言に怒るどころか呆れて強張っていた顔から一気に力が抜けた。イルミの隣に腰を下ろすと彼は変わらず同じ表情で私を見下ろした。人間味のない能面のような顔は小さい時から変わってない。だけどある意味イルミはとても人間らしいのではないかと思うのだ。結婚に対する事も、彼の弟のことも歪んだ思考でしか考えられない、そういう環境で育ってしまった彼を可哀想だと言ったことがあるが私はそれをとても後悔しているのだ。

「……愛のない結婚なんてしたくないよ」
「強い奴なら誰とでも寝るだろ?」

 下がっていた眉尻がイルミの一言によってピクリと動く。

「それとも俺ってお前に遊ばれてたの?」
「何自分が被害者みたいな顔してんの。お互い様だったくせに」

 昔のアルバムを見返したくない時のような気持ちだ。そこには目を逸らしたい自分が写っているし余計な事まで思い出す。それほど過去の自分がしてきたどうしようもない行動は直視したくないものだった。

「従姉弟とセックスはできるくせに結婚はできないんだ」

 さっきまでの落ち着きはどこへいったのか。沸騰して吹きこぼれそうな感情がすぐそこまできている。




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