女教皇の棺桶


『カイト』

 声質は細いが声色はそれほど高くはない、細い音がいくつも重なり合って音楽を奏でているような声は体に染み込んでいくような不思議な感覚をもたらす。声と同時に胸に飛び込んで来たのは同じ師を持つ女だ。当たり前のように頬を擦り寄せては小さな子供のように屈託なく笑う。彼女が笑っている所が好きだった、目元に皺を作って口角を上げ、白い歯を見せて笑えば誰もがつられて笑みをこぼす。自然に伸びた手が彼女の顎先に触れる、野生さと異常な美しさが一つになったような女の顔、欲望を掻き立てられるような唇に触れたいと思わせるその視線に上質な蠱惑の影がさし覗いている。

『私、強い男が好き』

 守ってやりたくなるような女だった、そう思わせるのが上手い女だった。何かに縋らなければ生きていけないような女をこれほど魅力的に思ったのは初めてだった。しかし抱きしめたいと腕を回せば猫のようにしなやかな体はするりと逃げていく。彼女がたどり着く先はいつだって自分達の師であった。

 ジンさんに腕を絡ませて、決して自分には向けないまっさらな微笑みを向ける。苦い嫉妬の色が濃く胸に蟠りを作っていく。息苦しく、喉の奥を掻き毟りたい衝動に襲われ時瞼をこじ開ければそこには見慣れた天井があった。

「おはよう、カイト」

 夢は目覚めると共にぼんやりと溶けていく山の景色のように曖昧になるものだ、しかしそれは鮮明に目の前に残っている。いや、これは現実だと勢いよく体を起こせば目の前の女はおかしそうに目を細めて笑った。

「ナマエ…」

***


「それでなんて言ったと思う?『動機の言語化は好きじゃない』ってさ、イカれてるでしょう?」
「その男から逃げるためにはるばるここまでやって来たってことか」
「違うよ、買い付けは元々予定してたの。近くにカイトがいるって知ったら嬉しくて連絡せずに来ちゃった、まずかった?」
「いや…」

 ナマエは眉尻を下げてこちらの様子を伺っているがそこには以前のように色を帯びた透徹な意思はないように見えた。何年かぶりに会った彼女は以前と雰囲気が変わっていた、身に纏っている服や相槌のタイミング、話し方、ただそこに存在していることを楽しんでいるだけのように落ち着いている。

「そういえば最終試験どうなった?」
「……放棄したって言ったでしょ」

 最後に会った時、直接試験を放棄すると言っていたのを忘れるわけがない。師を見つけるという最終試験、彼女ならクリアできたはずだ。しかし自分を慕っていた弟子が自ら放棄したことをあの人が信じるだろうか。普通ならクリアできなければそのまま終わるだけだ、あの人も面倒なことは好きじゃないのはよく知っている。だがナマエのことは誰よりも大切に思っていたはずだ。しかしそれを彼女に伝えるのは俺の矜持が許さないのだ。

(俺のしつこさも相変わらずだな)

「俺はジンさんほど強くはないが、お前を守れる」

 ナマエは目を丸くさせて瞠目していたが、ふっと息を吐き出して「守られる女、もうやめたんだ」と柔らかく笑った。時が経つのは一瞬だ、いつの間にか彼女は大人びて、誰かに縋ることをやめたのだろう。だから彼女は変わったのだ。自分自身を彩っていくものを見つけられたのだ。よく彼女は目を真っ赤にさせて怒りながら泣いてた、それもきっと無くなったのだろう。昔の彼女が恋しくないといえば嘘になる、しかしやっと吐き出した告白が虚しく散っていったことにこの上なく安堵している。

「ジンさんはお前をずっと待っているよ」

 ぐにゃりと歪んだ顔は平穏を築き上げていた彼女の心を乱す様を表している。やはり彼女はずっと昔から手の届かない人だったのだ。



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