最愛を狂気が微笑する




ヨークシンにて

 オークション会場のビル内に設置されたバーフロア、奥のテーブル席で向かい合って座っている男と女の姿が見える。奥に座っているのは黒髪で爽やかな笑顔を浮かべる好青年、手前に座っているのは青い髪で可愛らしい若い女の子だった。何の話をしているのか、二人は楽しそうだ。薄暗い空間を照らす暖色光が男の優しい微笑みを照らしている、その感情の矛先は私ではないのかと思えば胸の奥で糸が絡まっていくようなもどかしさを感じた。今すぐその間に割り入ってこの男は私のものだと言いたい、けれどもそうできないのだ。

 ――邪魔したら、だめ

 喉元まで迫り上がってきた息苦しい感情を飲み込んで彼らとは離れたテーブル席に隠れるように座り込んだ。優しそうな好青年が幻影旅団の団長だと知ったらあの女はどんな顔をするだろうか。
 
 ――ここに呼び出したのクロロなのに

 昨日暫く会っていなかった恋人からオークション会場で会おうと電話が来たのだ。最近は忙しくて会えなかった恋人に会える、エステに行ってネイルも新調し、美容院に行ってトリートメントもした。背中がぱっくりと割れた黒いドレスも彼のために着てきたというのにあんな光景を見せられてしまったら胸高まらせていた自分が馬鹿みたいだ。浮気じゃないことはわかってる、あれも仕事の内だろう。しかし、やるせない。

 カクテルを一気に飲み干して次はもっと強いお酒を頼む。それを繰り返していた時気づけばクロロ達の姿は無くなっていた。どこかへ移動したのだろうか、もしかして部屋に?華奢な彼女を押し倒して蕩けてしまいそうな微笑を浮かべる彼を想像してしまい一気にどん底に突き落とされたような気分になった。こんなに自分は嫉妬深かったのだろうか。もういっそこのまま帰ってしまおうか、と席を立ってエレベーターを待つ。しかし先ほどから中も外も騒がしい。何かあったのだ。その何かの原因が彼にあることなど分かりきっている、故にどうでもいいと思ってしまう自分はまるで子供のようだ。

 ――早く寝たい…

 一気に重たくなった瞼が落ちてきそうだった時、エレベーターのランプが点火し扉がゆっくりと開く。既に中にいた先客の男と目が合えば男は片手で扉の縁を押さえた。

「どうぞ」
「ありがとう」

 微笑みを浮かべて中に入れば男は私の顔を心配するかのように覗き込んだ。

「大丈夫?顔が随分赤いけど、歩けそう?」
「ええ、平気です」
「よかったら送って行こうか?」
「本当に大丈夫です、迎えの者が来るはずなので」
「でも今は外の交通が動いてないみたいなんだ、迎えは無理そうだよ。俺の車があるからそれで送ってあげるよ」

 優しそうな笑顔を浮かべていてしつこい男だ、それとも本当に優しいだけか、私の心が一切揺らがないのは心底どうでもいいからだ。この男も、他の男も。

「私が好きなのはね、肉の塊なの」
「え?」
「私に好きになって欲しい?」
「…そりゃあ、そうだね」

 男の目が期待を滲ませて細まる。手を伸ばして指先で腕に触れればスッと線を描くように手先まで撫でつけた。痺れるほど刺激的な美が、この先に待っている。人が肉塊に変わる時、私の胸の鼓動を高め、幸福感が体の隅々まで染み渡っていく。中毒性のある感覚なのだ。煙草を吸いたくなるのと同じで、感情が高まった時にこの爪で柔らかい皮膚を切り裂いて心臓をもぎ取ってしまえばどんなに気持ちが良いだろう。

 しかし、エレベーターの扉が閉まる手前で男の体は糸が途切れたように床に倒れた。倒れると同時に閉じかけた扉の隙間に手を挟み込んで再び扉を強引に開いたのは会いたかった男だった。クロロは床に倒れた男を外に蹴り飛ばして中へ入ると扉を閉じるボタンを押した。
 
「ひどいな、堂々と浮気なんて」
 
 クロロの黒い瞳が私を見下ろせば胸の奥が締め付けられるように痛い。
 
「挨拶もなしか?」
 
 グッと詰め寄ってきたクロロの表情はさっきの女を前にしていた顔と随分違う、憤りを感じさせるような表情に険のある声、しかし彼を近くに感じてじわじわと嬉しさが込み上げる。けれども素直になれないのはあの光景を見てしまったからだ。

「人のこと言える立場?」

 眉を寄せて問えばクロロの眉尻が少し困ったように下がった。

「違うってわかってるだろ。お前のは言い訳ができない、俺よりもあの男がいいってことか」

 拗ねた子供みたいな声色、普段見せない一面に自然に頬が緩んだ。

「何がおかしいんだ」

 彼の手が腰に回って引き寄せられれば暖かい温もりに包まれる。ほんの少し血の香りが混ざったクロロの匂いに包まれてこの上ないほど安堵している。次第に目頭が熱くなり、抱え込んでいた感情が押し寄せてくる。やはり私は酔っているのかも知れない。
 
「悪かったよ」
 
 耳元で囁くような甘い声に脳髄が刺激される。こうやって私を宥めてくれるのも慰めてくれるのも彼ではないとダメなんだ。胸に顔を擦り寄せてクロロの心臓の鼓動を聞く。食べてしまいたいほど愛おしい彼の心臓、私の両手で包んで愛でたい感情を殺すように押さえつけた。
 暫くそうしていれば心地よい温度と香りに包まれて微睡んでしまいそうだった。

「飲み過ぎじゃないのか、仕方ないな」

 眉が包帯で隠されているのか感情が見えにくい、しかしその声はひどく柔らかく聞こえる。気づけば体が宙に浮いて彼に抱き上げられていた。
 
 いつもより彼の感情にムラがあるように感じるのも、目元に浮かんだ寂しげな跡も、色々聞きたいのに額に柔らかい唇が触れれば寸前で押し留めていた眠気が波のようにやってきた。瞼が落ちる前にクロロを見れば口元に小さな笑みを浮かべていた。こんなに安心して眠りにつけるのはきっと彼がいる時だけだ。この感情と感覚を大事にしたいと思えば思うほど私の胸の内で眠る狂気が「思い知れ」と言わんばかりに笑っているのだ。



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