追わないから逃げないで




 ナマエという謎に包まれた後輩がいる。特級という階級、その力の大半は不明。本人もこちら側にまだ浅く、呪霊も呪力も術式もよくわからないと言っていた。しかし肉弾戦では悟に指一本触れさせず上回った。あの細い体では単純な力はあまりないのかもしれない、それを感じさせない速さと柔軟性。間合いの詰め方や、自分より体格が上の相手への闘い方、相手の攻撃の流し方、そしてなによりも経験値が違うと言っているような威圧感。彼女は戦場にいたんじゃないかと思うくらいに戦い慣れしているように見えた。

 高専の制服を纏っていれば年相応の学生に見えるがそれは表向きなように思えてならない。悟と近接した時に感じたあの空気が彼女の裏なのか、真実なのか。

 悟はあれから彼女によく突っかかるようになった。あいつは気に入らないと言ってはいるが彼女の謎が知りたくて仕方ないのだろう。「俺には雑魚にしか見えない」と連呼しているのはあの六眼でさえも呪力と術式の本質が見えないからだ。

 しかし、私は彼女の術式を見た事がある。それは大抵雲ひとつ浮かんでいない夜空に月が君臨している時に現れる。

 最初にそれを目撃したのは確か思ったよりも長丁場の任務帰り、深夜2時ぐらいだった。光の尾を引く龍が高専の上を駆け上がっていき、その龍が小さくなるほどの高さで浮遊していていた。呪霊かと思ったが違う、誰かの術式だろうが、あんな術式を持ち合わせている奴を知らない。気になって顕現させた呪霊に乗って後を追ってみればその龍に跨っている女が見えた。噂の後輩だった。彼女は何かしているわけでもなく、ただ月を眺めている。声をかけるのも忍びない空気を纏わせていたので、そのままひっそりと降下した。

 そして今日も夜空には月が浮かんでいる。少しだけ気になってあの時と同じように上空へ飛んでいけば予想通り金色の龍がいた。哀愁が滲み出ているような彼女の後ろ姿が見えた時、彼女は振り返って「お月見ですか?」と驚く様子もなく微笑む。

「そうだな、綺麗な月だし、お月見するのもいい。一緒にいい?それとも私は邪魔かな」
「いえ、構いませんよ。いつ話しかけてくれるのかと思ってました」

 なんだ、全部バレてるじゃないか。これじゃあストーカーだと思われてもおかしくはない。小っ恥ずかしい気持ちを片隅に彼女の下で安定して浮遊している龍を見つめた。

「その龍、ナマエの術式?式神じゃないね」
「…うーん、呪力を変化させて形を作っているようなものです」
「すごいな、自由自在ってことか。悟が知ったらまた相手をしろって煩いだろうね」
「………つっかかってくるの辞めるように言ってください」
「私でもあいつは止められないな。君に興味津々だから」

 彼女は分かりやすく嫌な顔をしたのが少し面白い。先に術式を見たって悟に言えばあいつもわかりやすく不機嫌になるんだろうな。

「なんでいつも月を見てるの?」
「………見張ってるんです」

 まるで誰かが月の向こうからやってくるような言い草だった。本当の理由を言いたくないのかとも思ったが、少し顔を下げて黒目の先だけで月を見上げている彼女は何かに怯えているように見えた。誰にも劣らない強さを持っているのに何が一体恐いのだろう、何が彼女を脅かすのだろう。その理由が知りたくて、喉の奥が少し疼く。

 そこで悟のように私も彼女をもっと知りたいのかもしれないと気づけば、彼女に対する感情の色が鮮やかに彩られていく。親友の存在を少しだけ疎ましく思うほどに。


===


 夕暮れ時、お互い単独の任務だったはずの悟が焦燥を滲ませた顔で前から走ってくるのが見えた。「ナマエ見なかった?」と挨拶もなしに問いかけられて胸の奥が少しざわめく。

「見てないよ」

 何かあったのだろうか。問いただしたい思いを抑えて平然な顔を装った。「ならいいや、ありがとな」と横を通り過ぎて行った悟の後ろ姿に咄嗟に悟の名前を呼んだ。「あんまり構うと嫌われるよ」なんて思ってもいない言葉が放たれて自分の中で矛盾していることに気づく。本当は、それを願っているのかもしれないと。

「別にいいよ。あいつの事嫌いなのは俺の方」

 悟はむっとした表情で眉を寄せてそのまま走り去っていった。胸糞悪いってのは多分、こういうことを言うのかもしれない。しかしその気持ちがすぐに霧散したのは角を曲がった先の校舎裏で蹲っているナマエを見つけたからだった。細い体を自分で抱き寄せて顔を埋めている姿から、やっぱり何かあったのだと思えばどこか心は落ち着かない。

「ナマエ、大丈夫かい」

 ゆっくりと近づいて様子を伺ってみたが返事はなかった。隣にしゃがみ込んでみれば、彼女の右手にこびり付いている血が目に入った。すぐにその手を引いて傷口を確認したが、血は止まっているがぐにゃりと肉を抉られたような生々しい患部に喉の奥に冷たい空気が通り抜けていく。硝子を呼ぼうと携帯を取り出そうとした手をグッとこれまで微動だにしなかったナマエの手が掴んで静止した。さっきまで顔を埋めていた彼女の青い目がすぐ側でこちらを見ていて心臓が一瞬止まりかける。目元が、赤い。

「大丈夫、このぐらいすぐ治ります」
「傷跡が残るよ」
「……傷跡なんてもう数え切れないほどありますよ」

 ふっと笑みを溢したナマエに信じられないほどの怒りを感じた。どうしてそんな顔をして笑うんだろう、痛みや傷跡なんてくだらないとでも言いたげで、自分には価値がないと決めつけているような目で笑う。しかし喉元まで迫り上がってきた感情を飲み込んだのは「本当に大丈夫だから」と言う彼女の心に強引に触れることは避けたいと思ったからだった。その領域に足を踏み入れては拒絶されるのは目に見えている、突き放されてしまえばもうそれ以上近づけない気がして、そのまま彼女の隣に同じように腰を下ろした。

「一人にして欲しいんだと思うけど、私もここにいさせて欲しい。何も聞かないし、指図もしないから」

 月夜に一緒に浮遊している時のように、ただ隣にいるだけでいいから。少し目を見開いてナマエは瞠目していたが、やがて諦めたようにまた顔を埋めた。でも彼女の冷たい指先が私の手に少し触れる。ぶわりと、突風のように胸に押し寄せた感情の熱に駆られてその指先から手のひらまでを逆に自分の手で覆い隠して握った。悟より先に彼女を見つけられたことに感謝して、今はこの時間だけ鮮烈に感じていたい。



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